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六十四日目

遅くなりました。申し訳ありません

 監獄ジェイルという半地下室の喫茶店が、とある地方都市の駅前にあった。

 半地下室という低い位置の店舗は、客にとって敷居が高い。

 

 まして薄暗い階段の先にあるドアは重苦しく、もしかしたら店などないと思わせる造りになっている。客を寄せ付けない造りは、偏屈な人物が店主である事を連想させ、さらに人を遠ざける。


 時折、物好きやコーヒーに造詣が深い人物が監獄を訪れる。

 そして失望する。


 そこは店の名の通り監獄のようで閉塞感があり、とてもではないが落ち着けない。古いレンガの壁に板張りの床。天井も低く狭苦しい。六つのカウンター席。小さいテーブルが五つしかない。

 陰気で年老いた店主はサイフォンのフラスコを眺めていて、客を歓迎する素振りすら見せず、若いウェイターは掃除ばかりしていて、床とキスでもしそうなほど身を屈め、雑巾で板張りを磨いている。

 

 歩道下のブロックガラス窓から僅かに日の光が差し込むテーブルには、甘いお菓子を食べている蜘蛛のような男が陣取り、薄暗い奥の席ではカウボーイのような格好した男が、顔にテンガロンハットをのせて居眠りをしている。


 中には回れ右をして退出する客もいるが、ある程度覚悟しているチャレンジャーはカウンターに向かい、痩せ老いた店主にコーヒーを注文する。


 今日、監獄を訪れた若いスーツ姿のチャレンジャーは、「メニューの無いコーヒー店ではブレンドを頼む」というモットーを持っていた。

 ブレンドはその店を表すといってよい。


 ブレンドに美味い不味いは無いと彼は考えていた。ブレンドとはその店の味である。


 ある店主が飲みやすさを選べば、どこかの店主は複雑な味わいを選ぶ。凝りに凝ったブレンドを提供する店もあれば、業者謹製のブレンドで済ます店もある。

 

 監獄の店主はそういう意味では、面白みにかけるブレンドを用意してチャレンジャーをがっかりさせた。

 サイフォンで淹れられたコーヒーは、独特な甘い香りを放ち、早く飲みたく引力めいた魅力を持っている。

 口当たりも大変飲みやすく、これならば通ってもいい……そう思わせるのだが、どうしても飲みきれない。

 店主たちと店が持つ圧迫感と閉塞感。とても落ち着いて飲める場所じゃない。コーヒーはなかなかで、店の雰囲気が悪い。


 もったいない。そんな感想を抱いて、今日のチャレンジャーは監獄を後にした。


 チャレンジャーと入れ違いに、黒髪の少女と印象の薄い青年が入店した。

 冬奈と暁人だ。


 前日、偽装救急車で有紀の人形を一緒にアパートから離れ、途中下車して用意されたホテルで眠れぬ夜を明かした暁人は、朝になって冬奈に迎えにこられてここまで連れてこられた。

 

 暁人は初めて入店する喫茶店をぐるりと見回した。

 居眠りしているカウボーイはともかく、床を磨いている青年には少し戸惑った。

 奥の席でケーキを食べる七井を見つけ、暁人は軽く頭を下げた。

 七井は右手を上げて応じ、「マスター、鍵貰える?」と店主に声を掛けた。

 

 店主は壁に掛けてあるいくつもの牢獄の鍵束から、一つの錆びた鍵を取り出して七井に投げ渡した。


 冬奈は勝手に店の看板をクローズドに裏返すと、ドアを閉じた。それを確認してから、七井は居眠りを続けるカウボーイの背後に壁のヒビに、鍵を差し込んだ。


 錠前を回す擦過音と重い稼動音が鳴り、壁が僅かに浮き上がり隙間が出来る。

「さあ答えの間に、一名様ご案内だ」


 七井が壁を押し開け、その向こうに隠し通路が伸びた。冬奈が背後に付き、無言で暁人を進むように促した。

 

 死体の――有紀の人形があった寝室の襖を開けるより緊張して、暁人は隠し通路の奥へ入った。


 薄暗いが清潔なレンガ積みの通路で、誇りっぽさは無い。しかし冷えた空気と空調の容赦ない風が暁人の身体を震え上がらせる。


 七井が冷たい通路を先に進み、地下に進む階段の前で立ち止まった。

「地下はただの倉庫だから、こっちな」

 軽い調子で言い、右の壁に錆びた鍵を差し込んだ。

 再び隠し通路が現れ、七井が押し開けるとその先には牢獄があった。

 

 古めかしく、映画かコントに出てきそうな牢獄だ。チープな造りで本物のように見えない。

 だが、牢獄には囚人が入れられていた。


 有紀の遺体を――いや人形を刺して暁人を襲った背広姿の中年だ。


 床に固定された椅子に縛り付けられ、拘束具で手足の自由を奪われ、口には猿轡。こちらに気がついた彼は、目で何かを訴えながら身を捩っている。


 まさか、俺も?


 暁人は不安になって七井の顔を見上げたが、彼は涼しい顔で答える。

「安心しろって。俺たちはお前に答えを教えてやろんだよ」

「答えって?」

「お前が巻き込まれてた事件の真相だよ。そして、その答えを聞いたらお前の答えを聞く。そういう予定だ」


 正解を答えないとどうなるのだろうか?


 クイズ番組を余り見ない暁人は答え方が想像できず、ぞっとする思いで後ろに立つ冬奈を肩ごしに見た。

 冬奈はどこか普段と違って固い表情で、拘束された背広の男を見つめている。


 七井は暁人は檻の前に案内すると、背後に回って隠し扉を閉じた。ひゅっと空気の流れが変わって、軽い耳鳴りがする。


「気密性を高くして防音してます」

 不快に耳を抑えた暁人に説明すると、冬奈は一人で檻の鍵を開けて中に牢の入っていった。


 背広の男の前で、冬奈はくるりと黒髪を舞わせて振り返った。


「さて、ご紹介しましょう。彼の名前は小伊土 振一郎。とある銀行の融資担当です。融資のご相談でもなさいますか?」


 冬奈が半歩、横に移動して、暁人の目と小伊土の目が合った。思わず暁人は目礼をしたが、小伊土は目を背けて冬奈を睨め付けた。


「まあ、今頃、彼の横領が発覚して銀行が慌てている頃ですが。そして、彼は暁人さんがメールをしていた相手。マキの正体はこの小伊土さんです」

 あまりにも冬菜があっさり言ったので、暁人は何を言っているのか理解出来なかった。


「暁人さんが有紀さんの振りをしていたように、小伊土さんも真紀先輩の振りをしていたのです。驚きましたか? 男性同士で女性の振りをしていてメールをやり取りしていたわけです。想像すると気味の悪い話ですね」


 やや冷たい顔だが、どこか嬉しそうな冬奈。

 暁人と同様に、驚く様子の小伊土。

 我関せずと棒付き飴を舐め始める七井。


 暁人は三人を酷く遠くに感じながら、どこか納得する出来てた。

 音声電話をかけてこないマキ。メールも電話もしてこない有紀の母親。どちらも部屋を訪れる事もなく、やり取りされるどこかあっさりとしたマキからのメール。

 冬奈に事実を明かされ、呆然と冬奈と暁人を交互に見遣る中年の男。


 自分と同じ立場の存在ならば、いろいろとこの二ヶ月のやり取りが説明が付く。深く考えないでも納得できる。

 そして浮かぶ一つの可能性。


「まさか……この男は正仁と同じように」

「頭の回転が本当に早いですね、暁人さん。そのとおり」


 冬奈は言うや否や、小伊土の髪を掴んで無理矢理に顔を引き寄せた。立っている冬奈が容赦無く引っ張った為、男の首が痛々しく伸び、髪が抜けそうなほど頭皮が突っ張っている。

 冷たく鈍い光を放つ瞳で、冬奈は小伊土の怯える目を覗き込む。


「この男は有紀の母親と、有紀の妹である真紀先輩を殺した男です」


 冬奈が怒っている。

 長い間、人形を見つめて過ごしていたせいか、暁人は冬奈のわずかな表情の変化が読み取れる。冬奈の声は相変わらず冷たいが、彼女の身体からは今にも怒りという熱い物が吹き出しそうだった。


「この男は真紀先輩の進学で入学金などを工面する際、有紀と真紀の母親。利根由紀子さんにいろいろ便宜を測りました。まあそれはいいです。由紀子さんと個人的に深い付き合いになったのも仕方無いことです。由紀子さんも夫に先立たれ、女の子を育て上げたのですから生活力のある男性を求めるのも、むしろ良い事と言えるでしょう」


 そういいながらも、小伊土の髪を掴む冬奈の手により力が込められる。


「しかし、この男は私の真紀先輩とも関係を持ちました」


 私の真紀先輩……?

 思わず暁人は振り返って七井の様子を伺った。


「そういう意味でいいんだよ」

 暁人の疑問に気がついた七井は、棒付き飴を咥えたまま答えた。


「断っておきますが、私と真紀先輩はプラトニックな関係ですよ」

 これは大切な事です。と言い含めるように、冬奈の視線が暁人に飛んだ。

「は、はい」

 思わず暁人は頷いた。

 

 冬奈は締め上げるように、男の拘束具のバンドも握り締め、苦々しく言葉を続けた。


「それだけではなく、この男は真紀先輩との関係が由紀子さんにバレると、ロクでもない対応で二人を傷つけました。収める能もなく、手を出せるなら出すという下衆という他ない男が、性欲に身を任せた結果ですね。こんな男の存在を知っていたら、早めに殺して置くべきでした」


 見た目では分からないが、よほど興奮しているのか、直接的な表現が冬奈の口から出た。


「東京にいるからと目を光らせなかった私の落ち度もありますが……。こんな事なら私が離れずにいるべきでした」


 冬奈が今までにない怖い女の子に見えた。

 殺人などの犯罪を行う人物への恐怖とは違う。もっと醜く直視できないような恐ろしさだ。


 暁人はどう反応していいかわからず、七井の様子を伺ったが相変わらず彼は涼しい顔をしていた。

 実際に部屋は涼しいし、状況的に寒気もするのだが、七井は落ち着いた様子という意味で涼しい顔だ。


「トラブルの末に事故とはいえ由紀子さんを殺害。発覚を恐れて真紀先輩まで……」

 饒舌な冬奈ですら言葉に詰まる。いい表せない感情が見て取れる。

 見知らぬ真紀の心中は分からないが、目の前で怒りに震える冬奈の恋慕は本物なのだろう。

 女性同士の恋愛など分からない暁人でも伺い知れる。


「真紀……先輩まで殺して、この男は二人が生きているように偽装しました。真紀先輩が有紀さんに会いに行く予定だったので、多忙である有紀さんには真紀先輩が入院したとメールし、由紀子さんは付き添い。そうして一時的に誤魔化した。そして謀らずも同時期、林田正仁は我々から逃げ出そうと考えていた」


 何かの感情を振り払うように、男の髪と拘束具から手を離し、冬奈は暁人への説明を続ける。


「有紀さんは、妹の学費が欲しかったので私たちに協力的でした。私たちの渡す報酬は少なくありません。それを全て学費に回していたので」

「それじゃあ有紀は逃げるつもりはなかった?」

 暁人の質問に冬奈はもちろんですと首肯く。

 木岡の説明とは違う。しかし、妹の学費の問題があるならば、金の問題だけでなく姿をくらます手は行わないはずだ。家族に迷惑がかかる。


「ですが、林田正仁は残念なことに我々から逃れようとし、有紀さんを誘いました。そしてどういう事情があったのかわかりませんが、二人は旅行先でトラブルになり有紀さんは死亡しました。事故か衝動的な殺人かは、もう分かりませんがね」

「……正仁は自殺?」

「いえ、わかりません。自殺かもしれませんし、事故かもしれません。有紀さんの遺体も何処にあるか分かりません。残ったのは有紀さんの人形だけです」


「そういえば、有紀のあの……人形はいったい?」

「アリバイ工作用に以前から使用していました。ただ窓際で座らせていたり、その程度ですけどね」

 

 大家の言っていた一日中、膝を抱えて座っていた。あれはこの事なのだろう。


「正仁はこの男から送られたメールに返信。入院したという連絡で、真紀先輩の来訪が無くたったのですから幸いと思ったでしょうね。それからは、あなたとこの男でメールのやり取り。互いに偽装しあい、小伊土は死者を社会から隠す。愚かしいとしか言い様がありませんが、私はこの男にチャンスを与えました」

 

 突き飛ばすように小伊土から離れ、牢越しに冬奈が暁人に問いかける。


もがりというのはご存知ですか?」


 聞いたことも無い言葉だ。暁人は横に首を振った。

 

「日本に古来からある葬儀の形式です。本葬までの長い間、死体を安置して遺族が見守る。日がな死者が生き返らないかと眺め、夜には死んでいる事を思い知り、これは夢で死者が生きているのではと思いつつ眠りにつき、翌日に死体を見てやはり死んでいると改めて確認する。それを白骨になるまで繰り返す。今でいう通夜の原型です。通夜となった今は一日か葬儀場などの都合で数日ですが、当時は白骨するまでか遺族が死者の復活を諦めて埋葬するまで。それがもがりです」


 不意な事故で死んだ家族がいたら、いつまでも死んだと信じられない事だろう。暁人にも経験がある。両親が死んだ時、通夜で起き上がらないかと何度も柩を覗き込んだものだ。

 火葬される前と後では、骨が別人ではないかと考えたほどだ。


 昔の人たちが、朽ち果てるまで死者を眺める気も分からない訳でもない。


「私は真紀先輩が殺された知ったとき、小伊土にその時間を与えました。殺しておきながら死んでないと妄言を私の前で言いましたからね。たっぷりと自分の行った事を見つめて貰う時間を与えました。予想通り、彼は朽ちる遺体に困り、対処も出来ずに廃棄する手段を取りました。知性も理性も道義も愛も足りない男です」


 冬奈は侮蔑するような目で小伊土を見下ろす。

 慕う相手が死んだと知った時、冬奈がそこまで冷静だったのか理解できない。何故、慕う人を預けたままにできたのか? 

 暁人には冬奈の本意が分からない。


「暁人さん。あなたはその時間稼ぎの立場でした。この男が朽ち果てていく由紀子さんと真紀先輩を見続けるまでの。別に私が有紀さんの偽装しても良かったのですが、あなたが自首をやめたので役目を差し上げました。どうせあなたがメールの返信が下手でも、この男は自分の殺人がバレなければいいと思っていたので問題ありませんからね。返って都合よかったくらいでしょう。電話もかけず、メールもあっさりとした返信ばかりで、年末年始に帰らないというは」


 ハッと暁人はあることに気がつく。


「もしかして、こいつが有紀の部屋に来たのは?」


「ええ。誕生日に帰宅するとメールされていたので、動揺したのでしょう。それで正仁も有紀も殺してしまえと」


 実際に殺されかけた暁人に、ちょっと簡単すぎないかと思えるくらい、冬奈は他人の殺意を説明した。


 そんな冬奈に圧倒されながらも、暁人は改めて自分の今までを省みる。

 考えてみれば朽ちない人形であったからこそ、暁人は死体への忌避や畏怖が少なかったのだろう。腐臭の一つでもすれば、あっという間に逃げ出したに違いない。

 人形であったからこそ、暁人は毎日ながめたり話しかけたりする事が簡単だった。あまつさえ、目を覚ますのではないのかと、日に日に思うようになっていった。 


 しかし、腐ちていく二つの死体を目の当たりする小伊土は、暁人とはまったく違った状況だったであろう。

 毎日眺めるのも辛かっただろうし、目を覚ますなどいう幻想も日に日に無くなっていったことだろう。


 その時、不意に冬奈の携帯電話が音を立てた。


「失礼」


 冬奈は携帯電話を取り出してメールを読む。


「洗浄機とボイラーが届いたようです」


 冬奈は携帯電話をしまうと、小伊土にはもう用は無いと捨て置き牢を出て鍵を閉めた。暁人の脇を抜け、懐から取り出したメモを読み始め、七井に訪ねる。


「たしか洗浄には四%の過酸化水素水でしたか?」

「俺は詳しくないんだよ、そういうの。葬儀屋を呼べよ」

「いえ、作業は全て私が」

「隣で指導してもらえばいいじゃん」

「そうですね。では行きましょう」


「あの、どうするんですか? これから」


「帰って真紀先輩の骨を洗ってあげるんです」

「……ああ、そう」


 暁人はぞっとした。

 何を言ってるんだ? と聞きたかったが、説明されても恐ろしいので曖昧に返事をした。 


「完全な保存など出来ませんからね。やはり骨にするのが一番でしょう」


「ちょっと待って。君は何をするつもりなんだ?」

 追いつつ冬奈の背に声をかけた。そして暁人は浅はかな質問に後悔したがもう遅い。冬奈は悪びれる事なく答える。


「決まっているでしょう?」


 振り返り、冬奈が笑った。 

 毎日、有紀の人形を眺めていた暁人だからこそ、そのわずかな笑みに気がついた。


「これから、ずっと真紀先輩と一緒に暮らすんですよ、私」

 

 とても嬉しそうな顔に黒髪がかかり、童女のような輝く瞳が隠れ、口元の赤い赤い暗い暗い笑みだけが暁人の視界に残った。


「私が一番、真紀先輩を愛してるって事を、これから全ての人生で証明します」


 骨と添い遂げる。

 冬奈はそう言った。


今思うと、真紀宅を探りに行く暁人というエピソードを入れれば良かったと後悔です。

次回、最終話です。

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