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七日目 夕方

「僕と有紀さんは一緒に逃げる約束をしていたんですよ……」

 木岡は陰鬱な話し方をする男だった。


 彼にかかれば良く出来た笑い話も、冴えない不幸話にしてしまいそうだ。酷く聞き取りにくい声で、前ではなく下へ向かって吐き出すような言葉。

 暁人は突きつけられた銃口を見つめ、なんとか解放してくれるように説得する方法を考えていた。

 同時に、木岡の言ってる事をいまいち理解出来ないので、どうしたものかと暁人は唇を噛む。 

 拳銃を突きつけられた暁人は、木岡の部屋へと押し込まれ、不本意にも直立不動で押し黙っている。

 

 悟られないように目だけを動かして周囲を探る。本や電子機器などの荷物は多いが良く片付いた部屋。

 木岡は見た目は普通の大学生といった風体で、運動不足が顎の下に肉となって見える。背が低く、手足も短めだ。身奇麗にしているので、普通に合えばさほど嫌悪感はない。しかし、拳銃を持つといつ暴走するか分からない若者に見える。


「有紀さんは……どこにいるんですか?」

 暁人は吐き出された木岡の言葉を追うように、視線を下へと向ける。

「……部屋に居る」

 言ってから暁人は我ながら失敗だと思った。もしも木岡が有紀の寝室を見ると言い出したら、どうやって押し止めたらいいのか分からない。

 木岡が伏せ目がちに、暁人を下から睨み付けた。


「いませんよね?」

「……え?」

 木岡は暁人へ向けていた銃口を下ろす。

「有紀さん、いませんよね? 何処にいるんですか?」

「い、いやそれは……」

「わかってます。有紀さんは逃げてるんですよね?」

 暁人が言い淀むと、木岡はしたり顔で語り始めた。


「有紀さんは、とある組織から逃げようとしていた。僕はそれを手助けする約束をしてたんです。そして一緒に逃げようと……」

 木岡は暁人を部屋の真ん中に立たせたまま、近くの椅子に腰を下ろした。

「そ、組織って?」

「……『種を蒔く人』と呼ばれる組織です」

「種を蒔く……? ゴッホ?」

「案外、物知りなんですね。普通は種を蒔く人と言われればジャン=フランソワ・ミレーを思い浮かべる物ですが……。いやはや、ミレーの影響を受けて二枚も種を蒔く人を描いたフィンセント・ファン・ゴッホの名前を出すとは」

 木岡は歳相応の若々しい笑顔を浮かべ、暁人を見直したと言わんばかりに態度を改めた。

 

 実のところ、暁人は『種を蒔く人』という絵を正しくは知らない。たしか絵の題名だったかな? というボンヤリした記憶から、画家と言えばピカソとゴッホと連想して呟いただけだ。

 もしも「ピカソ?」などと言ってたら、木岡は暁人を侮る態度を取ったかも知れない。

 もっとも画家といえば、ピカソとゴッホの二人しか知らない暁人なので、その点を侮られても仕方無いのだが。


「種を蒔く人。彼らは自らをそう呼びます。時にはファーマーと。ただの犯罪集団なのに、ヨハネ伝の麦の種と称したキリストと信仰を、農夫に例えたミレーの作品から名前を取るなんて……」


 虚ろな目で木岡は爪を噛む。

 悪い癖だ。

 暁人を脅して部屋に招き入れているのに、すでに興味など失せたかのような態度で隙だらけ。濁った瞳には暁人を警戒している色はない。

 しかし暁人も然る者で……、

「俺も座っていいかな?」

 などと畳の上のクッションを指さして、木岡に尋ねた。

「……どうぞ」

 ふてぶてしい暁人に木岡も少し戸惑ったが、苛立たしく許可した。


「あなたが有紀の恋人じゃない事は知っている」

 暁人が座るのも見届けず、木岡が語り始めた。

 一瞬、暁人は動揺したが、そっぽを向く木岡に敵意の気配が無い事を確認して、クッションに腰を下ろした。

「それにあなたが『種を蒔く人』の関係者じゃない事も、ここ数日観察して分かった。多分、有紀さんの家で留守番する為に雇われたんでしょう?」

 木岡の言う事は、まるで的外れだったが、暁人は曖昧な表情で肯いて見せた。

「……有紀さんは靴屋だった」

「え? コンビニのバイトじゃないの?」

「本当にあんた、何も知らないんだな」

 木岡は呆れたという態度で、ため息混じりをついた。


「『種を蒔く人』のメンバーは、みんな呼び名を持っている。葬儀屋とか電気屋とか、翻訳屋とかなんとか屋って……。有紀さんは靴屋だったんだ」

「……あ、それ、そうだ。携帯電話のメールに残ってる。いったいなんなんだ?」

 拳銃を突きつけられてないので、暁人にも余裕が出てきた。

 案外、銃もおもちゃかも知れないと、暁人は気楽に考え始めた。


「全部は分からない。重訳屋はハッカーで、電気屋は潜入役らしいってのは分かったけど……。有紀さんの靴屋は、足跡を残す役だったらしい」

「足跡?」

 木岡はこくりと首肯く。

「ヘッドブックとかタタッターとか流行りのSNSとかあるだろ? あれで他人の振りをして、いろいろな足跡を残す役なんだ」

 

 木岡の説明は分かりにくかった。

 辛うじて暁人が理解出来た事は、種を蒔く人という組織は犯罪集団だ。

 人殺しや企業スパイ、アリバイ作りや犯罪のでっち上げなど、陰湿極まりない。

 有紀はその中で、アリバイ作りや犯罪の擦り付けを手伝っていたらしい。ヘッドブックやタタッターのハイジャックしたアカウントなどで、別人を演じてたらしい。


 ヘッドブックのGPS機能や写真共有機能を使い、装った人物がさもその時間、その場所にいたかの様に偽装する役目だ。

 もちろん、警察だって裏付け捜査はする。誰かがとある人物の振りをして、スマートフォンや携帯電話でアリバイ工作のヘッドブック更新を行おうと、それがすぐにアリバイ証明とは成り得ない。SNSなど他人が偽装できる事は、容易に想像できる。


 しかし、人間の記憶は曖昧な物だ。

 変装した……似た人物が、その時、その場所にいたと誰かが証言してしまったら? しかも事実、ヘッドブックに、その場所その時間で更新した事実があれば?

 こうなると弁護側が、「そこに居なかった」事を証明しなくてはならない。もしも、犯人に不都合なヘッドブックの更新内容なら、警察や検察は喜んで証拠として「そこに居た」事実を逮捕や起訴の理由にするだろう。


 いや……もしかしたら、警察も種を蒔く人の一員で、ヘッドブック工作は逮捕の方便に過ぎない。……と、木岡は妄想のような陰謀説を説明に加えた。


「……信じられない話だね」

 暁人は素直な感想を述べた。

「という噂なんです。実は、僕もそう思ってません。そんな工作が警察に通用するとは思えない。警察の能力を信用しているからじゃない。形跡を見ると、犯罪に利用するより犯罪を誘発する方に使ってるんです。五日前にあった整形外科の奥さんが、ダンナを殺して山に捨てた事件しってますか?」

「いや、さあ……ちょっと最近、事件に疎くて」

 暁人は有紀と同居して以来、死体を連想するような事件や事故のニュースを避けている。

「……あれは『種を蒔く人』が誘発させたんです。まさに種を撒いたんです。ヘッドブックを利用して、旦那と愛人が逢い引きしてるように見せかけたんです」

 種を蒔く……ここで、暁人は七井の発言を思い出した。


『おい、どうするよ冬奈。種でも蒔いておくか?』


 七井は大衆食堂で確か、そんな事を言っていた。

 符合する言葉を思いだして、暁人はあながち目の前の男が言っている事が嘘や妄想で無いことを確信する。


「有紀さんは愛人役としてヘッドブックを更新してました。旦那役の男と同じ時間、同じ場所で更新して、似たような写真を載せる。これを見た奥さんはどうでしょうか?」

「……浮気を疑う。かな?」

「ええ、そして『種を蒔く人』は他にも種をいっぱい撒いていたんです。旦那に都合のいい情報は潰し、奥さんが殺す為の道具を入手させるように誘導したり、遺体遺棄方法を思いつかせたり。あいつらは、人の行動を操ろうとしてるんです!」

 にわかには信じがたい話だ。と、暁人は首を捻って唸った。

 まず、その組織の行動原理とかそういう事が分からない。そこまでして、その整形外科を殺したかったのだろうか?

 

「……なんで、君はそんな事を知ってるんだ?」

 暁人はまず木岡に、どこから得た情報なのか尋ねた。

 木岡は右手に持った銃を床に置き、上着のポケットからもう一丁の拳銃を取り出して見せた。

「……十年前に、この街の中学校で銃乱射事件があったのを覚えてますか?」

「ニュースでくらいなら。俺、この街の出身じゃないんだ」

「そうですか。僕はあの時、その中学校に通ってました」

 二丁目の拳銃はオートマチックだ。木岡は手馴れた様子でマガジンを差し込み、スライドカバーを後方に引いて薬室に弾を送り込んだ。

 持ちかたも様になっていて、映画のようなかっこよさは無いが手に馴染んでいる。

「もしかして、犯人……?」

「まさか……。でも、犯人になっていたかもしれません。この拳銃は僕の下駄箱に入っていたんです。乱射事件の一ヶ月前でした」


「当時、僕は……今思えばいじめっ子でした。そんなつもりは無かったんですけどね、グループの一人で……あ、不良じゃないですよ。なんていうかその……わかるでしょう?」

「なんとなくは……」

 ちょっと生意気で運動か勉強が得意で、クラスの中で騒いだり威張っているグループ。そんなのを想像して暁人は同意した。

「ある日、早く登校した朝、僕の下駄箱にこの拳銃が入ってました」

 自動拳銃のマガジンを引き抜き、カバーをゆっくりスライドさせて薬室の弾を抜き出した。

「すぐ本物だって分かりました。そこで僕は何か勘が働いたというか……。もしかして他の下駄箱にも入ってるんじゃないかと思ったんですよ。そして探したら、グループの一人。友達の下駄箱にそれが……」

 木岡は床に置いたリボルバー拳銃を指さした。

「……いじめられてた子の下駄箱には入っていませんでした。でも、上履きじゃなくて下履きが入ってました。もう登校してたんです。そこで悟りましたよ。ああ、コイツの下駄箱にも拳銃が入っていたに違いないってね。事実、そうでした。一ヶ月後、その子に僕の友達は三人撃たれて、一人死にました」

 暁人の改めて喉が乾く。

 木岡の陰鬱な話し方が真に迫ってくる。

「拳銃を手に入れた日、僕はすぐに家に帰って、事件の後まで引き篭りました。なんとなく……本当に漠然と、誰かが僕たちに殺し合いをしろと言ってるようで……拳銃を握り締めて……。実は暴発させた事もありました。家族にはバレませんでしけどね」

「ははっ……。良く、家族が一ヶ月も休ませてくれたね」

 どうリアクションしていいか分からないので、暁人は少々的外れな質問をした。

「結果的は前後一ヶ月で、二ヶ月になりましたけど、うちの家族は僕に甘くて……」

「ああ、なるほど」

「もし、僕の勘が働かないで、友達やイジメられてた子の下駄箱を調べなければ……。あの子が銃を乱射したときに、リーダーの子と僕が拳銃の引き金を引いたかもしれません。……いや、たぶん咄嗟には無理だと思います。でも、どうなるかを観察しようとしてた奴が絶対いると思ってました。それが……彼です」

「……誰?」

「七井 清浄。彼は僕の顔を覚えてなかったようですが、あの学校にいたんです。彼も……」

 七井の名前が下に吐き出された。

「……本名だったんだ」

 暁人は偽名だと思っていたので、妙なところに驚いた。


「彼は危険です。調べれば調べるほど、彼がこの街の事件に関わった形跡があるんです。七井が有紀さんを見つけ出す前に、僕は助けたいんです」

 のっそりと木岡は立ち上がり、床に置いていたリボルバーを暁人に手渡した。


「僕はあなたを信頼するしかない。弾は三発しかありませんが、これを護身用に上げます。だから、有紀さんの行方が分かったら僕に教えてください。それだけでいいんです。後は僕が有紀さんを助けます」

 今まで下に吐き出されていた言葉が、前に向かって飛び出す。暁人へ向かって……。

 暁人はその言葉を受け止めざる得なかった。

 

 ずっしりとしたリボルバー拳銃を手に取り、暁人は強ばった顔で頷く。

(どんどん厄介な事になってきたな……)

 このアパートから逃げ出す手段も考えつつ、暁人は拳銃を上着に収めた。


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