実験ログ7096 ――アーガスノルン第3研究開発部 エリア番号■■■
被験者コード:D-7096
旧識別名:ユリア(管理区域個体・レベル0)
観測室の空気は、常に一定に保たれている。
温度、湿度。すべてが最適化され、人間の感情が介在する余地はない。
「投与開始から、三分経過」
私は、ガラス越しに被験体を見下ろしながら、端末に数値を打ち込んだ。
金属ベッドの上で、被験体の身体が小刻みに痙攣している。
「神経接続率、九八・七パーセント」
「高いな。適合型だ」
隣の研究員が、感心したように呟く。
それは褒め言葉ではない。歩留まりが良いという意味だ。
「旧王国基準で言えば、“マナ適性が高い”個体ですね」
誰かがそう言って、軽く笑った。
我々は、その言葉を内部では使わない。
だが、現地管理用の翻訳レイヤーでは有効だ。
――マナ。
彼らがそう呼ぶものの正体は、高密度自己複製型ナノマシン群だ。
生体組織に干渉し、代謝・神経伝達・筋出力を制御する。
魔法ではない。
ただの技術だ。
「細胞再構成、第二段階に移行します」
画面上で、被験体の内部モデルが書き換わっていく。
筋繊維の配列が最適化され、骨密度が増加。
神経束には、コマンド優先順位が上書きされる。
――従属プロトコル、正常に展開中。
「感情反応は?」
「恐怖と抵抗が強いですね。思考パターンに“自己尊厳”が残っている」
「なら、学習素材としては優秀だ」
私はそう答えた。
従順な個体よりも、抵抗する個体の方が価値がある。
命令に逆らおうとする意思を、どこまで抑制できるか。
それが、次世代制御モデルの鍵になる。
「貴族レイベルン家へのフィードバックは?」
「献上品としての品質は上々、とだけ伝えておけ」
誰かが、皮肉っぽく肩をすくめた。
「彼女――エレノアでしたか。ずいぶん熱心ですね」
「管理区域個体を差し出して、優遇措置を要求する。
あの階層にしては、理解が早い」
アーガスノルンは、敵でも味方でもない。
利益をもたらす存在を、使うだけだ。
王族も、貴族も、平民も。
すべて同じ資源である。
「被験体、意識レベル低下。第一フェーズ完了」
ガラスの向こうで、ユリアの身体が静かになった。
呼吸は続いている。心拍も安定している。
「成功だな」
私は端末を閉じた。
この実験が成功したところで、世界が変わるわけではない。
「次は?」
「第七〇九七次。都市暴走耐性テスト用だ」
誰も、被験体の名前を口にしない。
それはもう、不要な情報だからだ。
アーガスノルンにとって、
彼女はただの――
実験サンプルにすぎない。




