献上品
意識が、ゆっくりと浮上してきた。
最初に感じたのは、冷たさだった。
背中から、腕から、脚から、じわじわと体温が奪われていく。石の床ではない。金属だ。冷え切った金属の感触が、薄い布越しに肌へと食い込んでくる。
――動けない。
そう思った瞬間、恐怖が喉を締め上げた。
手首、足首、胸、腰。身体のあちこちが、硬いベルトで固定されている。白い服を着せられているが、それは衣服というより、管理番号のない包帯のようだった。
「……ここは……」
声を出そうとして、気づく。
口は自由だが、声が震えてまともに出ない。
ゆっくりと首を動かすと、視界に入ったのは――
銀色の壁。
四方すべてが、清潔すぎるほど均一な銀色に覆われた広い部屋。装飾は一切なく、角も丸められている。まるで、感情というものを最初から想定していない空間だった。
そして、壁の一面。
そこには、強化ガラスの窓があった。
「……っ」
ガラスの向こう側に、人がいる。
十数名。
男女混じりで、皆、見たことのない服を着ている。身体にぴったりとした黒い服、首元に細長い布を垂らし、その上から白い外套のようなものを羽織っている。
貴族でも、騎士でもない。
神官でも、魔術師でもない。
彼らは、紙の束や板のようなものを見ながら、淡々と話し合っていた。
こちらを見ている者はほとんどいない。
――見られていない。
その事実が、かえって恐ろしかった。
私は、彼らにとって「見る価値のある存在」ですらない。
そのとき、一人の男が前に出た。
ガラスの向こう側で、黒い棒のようなものを口元に近づける。
「これより、第七〇九六次、マナ制御実験を行う」
声は、ガラス越しにもはっきりと聞こえた。
抑揚のない、報告書を読み上げるような口調。
「被験者に、制御用コマンドインストール済みナノマシン、ロット番号K一四二三を投与開始」
――被験者。
胸の奥が、ひどく冷たくなる。
名前は、もう呼ばれないのだ。
その直後、背後で低い駆動音が鳴った。
反対側の壁にあった金属製の扉が、静かに開く。
入ってきたのは、数人の人影。
黄色い、ぶかぶかの奇妙な服を着ている。顔の部分は透明な膜で覆われており、表情は歪んで見えた。
彼らは一切こちらを見ず、機械的な動きで金属の箱を開く。
中から取り出されたのは――
黒い液体の入った、透明なガラスの注射器。
「やめ……」
声は、喉の奥で消えた。
一人が、私の腕を取り、ためらいなく針を刺す。
鈍い痛み。
それだけなら、耐えられたかもしれない。
だが――次の瞬間。
「――――っ!!」
全身が、内側から燃え上がった。
血液が、沸騰している。
骨が、軋んでいる。
筋肉が、勝手に引き裂かれ、組み替えられていく。
悲鳴を上げているはずなのに、自分の声が遠い。
視界が白く滲み、銀色の壁が歪む。
(なに……これ……)
体の中に、異物がいる。
それは、意思を持った何かだった。
無数の、目に見えない存在が、血管を這い、臓器に潜り込み、細胞一つ一つに命令を書き込んでいく。
――書き換え。
王国で「マナ」と呼ばれていたもの。
その正体が、これなのだと、なぜか理解してしまった。
魔法ではない。
奇跡でもない。
「……意識レベル低下を確認」
「神経系への接続、問題なし」
「筋繊維の再構成、予定通り進行」
ガラスの向こうの声が、遠くで交わされる。
痛みは、やがて形を失い、
恐怖も、怒りも、思考も、溶けていく。
最後に浮かんだのは、
森の中で叫んだ言葉だった。
――私たちは、道具じゃない。
だが、意識が闇に沈む直前、
どこからか、冷たい声が聞こえた気がした。
「次は、献上品としての適合率を測定する」
そして、世界は、完全に暗転した。




