交渉
王城を後にしたエレノア・レイベルンは、
夜空に浮かぶ自らの飛行船の甲板に立っていた。
それは、彼女自身のマナによって編まれた異形の船だった。
外観は金属で覆われているが、
その内部には脈動する魔力の管がある。
推進部からは、まるで生き物の呼吸のような音が漏れている。
その船内には、
昆虫、触手、肉塊――
もはや原型すら判別できない存在たちが、
静かに蠢いていた。
かつての、彼女の配下。
アーガスノルンの分類によれば、
「変異体」。
しかし、その異形たちは、
エレノアにも、執事ジェームスにも、
決して牙を剥かなかった。
理由は一つ。
エレノア・レイベルンが操る、
高位制御魔法――
《コントローラブル・バーサク》。
本来は、対象を強制的な狂乱状態に陥れ、
破壊衝動だけを抽出するための術式。
だが彼女は、それを“制御”に用いていた。
理性なき発狂を、
完全な服従へと書き換える。
「……ふふ」
エレノアは、
先ほどまでの王城の光景を思い出し、
鼻で笑った。
「理解できない人種ね……」
王女セレナ。
あの、無意味な抵抗。
感情という名のノイズ。
だが、すぐに思考を切り替える。
――ピクリ。
飛行船に据え付けられた
魔力探知用の魔道具が、
異常な反応を示したのだ。
ジェームスが、低く声を落とす。
「……お嬢様、この反応は……」
エレノアは、表示された数値と波形を一瞥し、
すぐに理解した。
「間違いないわ」
冷ややかに、断言する。
「この魔力……
ユベニウス帝国実験場を壊滅させた存在と同じパターンよ」
そして、わずかに眉を上げる。
「……それにしても……
規模が、桁違いに大きいわね」
以前とは、比較にならない。
「前より……強くなっている」
ジェームスが、驚愕を隠せずに問う。
「それは……
レベルが、上がっているということでしょうか?」
エレノアは、口元に薄い笑みを浮かべた。
「どうかしら?」
そして、空を見上げる。
「それを知っているのは……
あなた達、アーガスノルンじゃなくて?」
その瞬間。
――声が、響いた。
頭の中、直接。
《これはこれは、お久しぶりです。
アーガスノルン本社管制室――》
「前置きはいらないわ」
エレノアは、即座に遮る。
「例の襲撃者、
前より強くなっているんじゃない?」
一拍の間。
そして、
管制室室長の声が、淡々と返ってきた。
《ご明察のとおり。
あの実験体は、前よりも進化しています》
《現在のレベルは――
推定で、7かと》
エレノアは、肩をすくめる。
「レベル差があると、勝てないわよ?」
すると、声のトーンが変わった。
《レベルの引き上げには――
貴方が、当社にとってどれほど価値のある存在か、
示して頂かなければなりません》
エレノアは、少しも慌てない。
むしろ、
待っていましたとばかりに答えた。
「それなら、問題ないわよ」
「適当にいくつかの集落を襲撃して、
そこの住人を拉致して――」
視線を、船内の檻へ向ける。
「この飛行船に、監禁しているわ」
「あなた達の実験に、
使えるんじゃなくて?」
――沈黙。
数刻のあいだ、
向こうは黙り込んだ。
かすかに、
複数人の話し声だけが聞こえる。
《……どうだ、確認は取れたか》
《……わかった……》
エレノアは、余裕の笑みを浮かべ、問いかける。
「相談は、終わったかしら?」
やがて、
管制室室長の声が戻ってくる。
《素晴らしい手腕でございます》
《上と協議をしましたところ――》
《見事、あなた様は、
当社にとって有用な価値を示されました》
《特例措置として――
2ランクアップ》
《つまり、
あなたのレベルを、7に引き上げさせて頂きます》
《マナに関する、
かなりの権限と、知識へのアクセスが許可されます》
《おめでとうございます》
《それでは、
アップデート手続きを開始致しますので、
これで失礼致します》
――通信は、途絶えた。
直後。
エレノアの脳内に、
システムアナウンスが洪水のように流れ込む。
レベル上昇。
権限解放。
新規スキルの取得通知。
「……うるさいわね」
そう言いながらも、
彼女は即座に能力一覧を確認する。
その中に、
一つ、目を引く能力があった。
――
対象を指定し、
自身のレベル上限の範囲内で、
任意のレベルに設定可能。
(※一人ずつ指定が必要)
エレノアは、
ゆっくりとジェームスを見た。
「ジェームス」
「あなたにも、少し働いてもらうわ」
指先で、空間をなぞる。
「――レベル設定。
対象:ジェームス。
レベル7」
一瞬、
ジェームスの身体から、
膨大なマナが噴き上がった。
しかし彼は、
姿勢を崩さず、深く頭を下げる。
「……身に余る光栄でございます、お嬢様」
エレノアは、満足げに微笑んだ。
第三の勢力は、現れた。
そして――
次の舞台は、より高次の殺戮へと移る。




