魔族は名を名乗らない
レイベルン家の地下には、
公式の地図に存在しない部屋があった。
壁一面に刻まれた魔法陣。
王家の監視網をすり抜けるためだけに設計された、
非合法かつ高精度の通信儀式。
「……起動」
エレノアは、ためらいなく指を切り、
自らの血を魔法陣の中心へと垂らした。
レベル3のマナが、一気に解放される。
空気が歪み、
光でも闇でもない“何か”が、部屋を満たした。
接続完了
通信確立
接続先:Argus Norn
権限確認中……
頭の中に直接声が流れてくる。
これが、魔族の声なのか?
<あなたが、呼んだ。>
それは疑問ではなく、
単なる事実確認だった。
「ええ。私よ」
エレノアは背筋を伸ばし、微笑む。
「レイベルン家長女、エレノア・レイベルン。
地方貴族、レベル3」
少しの沈黙。
<確認完了>
<発言を許可>
「話が早くて助かるわ」
彼女は、恐怖を感じていなかった。
目の前の存在が“魔族”であることを、
むしろ当然の帰結として受け入れている。
<問い。なぜ接触を試みた>
「取引をしに来たの」
エレノアは即答した。
「王家は、あなた達を“敵”と定義している。
でも私は、そうは思わない」
<続けよ>
「あなた達は、世界を管理している。
数値で、人間を、秩序を」
彼女は、少しだけ声を低くする。
「私は、人を資源として扱うことに抵抗がない」
沈黙。
「王家は、“人道”だの“尊厳”だのと言って、
あなた達の管理効率を下げている」
「でも私は違う」
エレノアの碧眼が、冷たく輝く。
「レイベルン領では、
資源を“安全に”確保できる」
「反乱リスクのない形で、献上できるわ」
<演算開始>
<利益評価中……>
彼女は、待つ。
貴族としてではなく、
交渉者として。
<結論:
提案は合理的
王家の干渉を回避可能
地方貴族による代理管理は
管理コスト削減に寄与する>
<問い:見返りは何だ>
エレノアは、笑った。
「優遇」
ただ、それだけ。
「マナ監視の“誤差”を、
私とレイベルン家には適用しないこと」
「将来的に、
レベル4以上への昇格を妨げないこと」
王族の領域に、
踏み込むための条件。
<観測結果:
個体エレノア・レイベルン
恐怖反応:低
道徳的制約:欠如
支配志向:高
王家への敵意:明確>
<評価:
人類側代理管理者として
適性あり>
<取引成立>
その瞬間、
魔法陣が静かに沈黙した。
部屋には、何も残らなかった。
エレノアは、深く息を吐く。
「……ふふ」
魔族は、王家よりも正直だった。
善悪を語らず、
ただ効率だけを見る。
「これでいいのよ」
彼女は、確信していた。
人は、管理されるべき存在。
ならば、管理する側に回った者が勝つ。
その夜、
魔族と呼ばれる、かつて旧世界に名を轟かせた組織、
民間企業アーガスノルンコーポレーション内の社内ログに、
新たな分類が追加された。
<人類協力個体
コードネーム:
レイベルン>
——世界は、静かに一線を越えた。




