ペンタグラム
その頃——
大洋の中央、航路にも地図にも記されない海域に、一隻の巨大な艦影が浮かんでいた。
戦艦。
否、それは戦艦と見紛うほどの重武装を施されながらも、純然たる研究用船艦だった。
艦名――ペンタグラム。
最新兵器、量子通信妨害装置、多層位相迷彩による高度なステルス機能。
アーガスノルン本社ですら正確な所在を把握できていない、第5研究開発部の“独立領域”。
その艦内深部、遮音・遮断された管制区画。
天井の高さだけで体育館並みの広大な空間に、壁一面を覆い尽くすモニター群。
数十名のオペレーターが、それぞれの端末に張り付き、光の洪水の中で作業を続けていた。
空気は張り詰め、わずかな呼吸音すら邪魔になるほどだった。
その沈黙を破る声が上がる。
「――ヴィルヘルム統括より、入電!」
瞬間、室内が静まり返る。
すべてのモニターに一斉に通信ウィンドウが展開され、次の瞬間、マックス・ヴィルヘルムの声が響いた。
『エリア1-Aについて、全管理個体のマナレベルの引き上げを実行しろ。
レベルは5に設定だ。
レベル変更承認申請は、例の回線を使ってくれ』
一瞬の沈黙。
それは“躊躇”ではない。“理解”に要する時間だった。
「……承知しました。直ちに」
主任オペレーターが低く告げると、続けて宣言する。
「これより、本社治安維持部隊が保有する軍用人工衛星を経由し、
ノルンシステム推論型回路へ——
擬装した魔法使用情報を多量に送信。
多重アクセス負荷をかけ、アクセスキーを奪取する」
管制室の照明が一段階落ち、非常灯が点灯する。
「アクセスキー入手後、承認AIプログラムを無効化。
強制承認を実行する」
その宣言と同時に、室内は一気に“戦場”へと変わった。
キーボードを叩く音。
ヘッドセット越しの怒号と確認応答。
「軍用人工衛星、チャネル165で接続成功!」
「王都内、全管理個体の魔法使用時刻を擬装開始!」
「魔法使用履歴、全データ転送中——
転送率90%……95%……100%!完了しました!」
モニターの一部が赤く点滅する。
「ノルンシステム側、異常検知!」
別のオペレーターが叫ぶ。
「マナ使用量データの受信および演算の過剰負荷を確認!
ノルンシステム、推論回路が自己防衛処理に移行——」
一瞬、ノイズが走る。
「——システムダウンを確認。
セキュリティシールド、無効化完了。
復旧まで20秒の猶予があります!」
空気が凍りつく。
「急げ!」
「アクセスキー、抜けた!」
「転送します!」
「アクセスキー承認!」
別のオペレーターが続けざまに報告する。
「システムダウン用に送信した、王都内全管理個体データを流用!
ノルンシステムへ再注入——
……セキュリティ復活!
データ整合性チェック、クリア!」
その瞬間、管制室全体に無機質な機械音声が流れた。
『アーガスノルンコーポレーション
全自動議会承認システム ver9563.15.00
正常に起動しました』
モニターが切り替わる。
『本日の承認済み議会案件は、255865件あります。
順次処理を開始します』
オペレーターの指が、最後のキーを叩いた。
『議会案件 No255833
案件名:エリア1-Aの全管理個体のマナレベルの引き上げ』
一拍置いて、音声が続く。
『本社特別条項 第三条に基づき、
全推論思考ユニットにより全会一致で代理承認されました』
室内の誰も、息をしていない。
『該当管理個体群のマナレベル引き上げに要する時間——
推定1.56秒』
モニターに、カウントが走る。
——1.56
——0.78
——0.00
『……完了しました』
その瞬間、管制室に抑えきれない歓声が上がった。
「成功だ……!」
「全個体、レベル5到達を確認!」
「ノルンシステム、異常なし。ログ完全偽装完了!」
歓喜が渦巻く中、金属製の管制室扉が、静かに開いた。
拍子抜けするほど穏やかな足取りで、マックス・ヴィルヘルムが姿を現す。
彼はモニターを一瞥し、満足げに呟いた。
「……上手くいったようだな」
その言葉の裏で、王都の全人間は気づかぬうちに“別の段階”へと移行していた。
それが祝福なのか、
それとも——




