変曲点
回転翼の風が、瓦礫と灰を巻き上げる。
ヘリのハッチはすでに開いていた。
「急げ!」
部隊長の声。
護衛対象の重役たちは、次々と機内へ乗り込む。
ユリアは最後尾についた。
任務は、ほぼ完了している。
――そのはずだった。
「……7096か……」
あの言葉。
胸の奥で、
何かが引っかかる。
《異常思考検知》
排除されるはずのノイズが、
なぜか消えない。
7096。
それは識別番号だ。
ただの管理用コード。
なのに――
なぜ、“呼ばれた”感覚が残る?
ユリアの足が、一瞬だけ止まった。
その瞬間だった。
背後。
瓦礫の陰から、
生き残っていたアンデットが跳び出す。
「――っ!」
避けきれない距離。
腐臭。
裂けた歯列。
噛みつかれた。
肩口に、鈍い衝撃。
肉が裂け、歯が食い込む。
《感染確認》
《アンデット化プロセス開始》
ユリアは即座に肘を打ち込み、
銃口を押し付け、引き金を引いた。
雷光。
アンデットの頭部が爆ぜる。
だが――
遅かった。
血液内に、異質なマナ反応が走る。
《侵食率:12%》
《上昇中》
「……感染したぞ」
誰かが、低く言った。
部隊員たちが、反射的に距離を取る。
「規定だ」
部隊長の声は、硬い。
「噛まれた者は、
例外なくアンデット化する」
銃口が、
彼女に向けられる。
《排除プロトコル起動準備》
ユリアは、理解した。
撃たれる。
それが、正しい判断だ。
なのに――
胸の奥で、
何かが、強く抵抗した。
――死にたく、ない。
その思考が浮かんだ瞬間、
彼女自身が、戸惑う。
《異常自己保存欲求検知》
「……待て」
誰かが言う前に、
ユリアは跳んだ。
煙幕。
破壊された壁。
彼女は、瓦礫の向こうへ転がり込む。
「逃げた!」
「追うな!もう人間じゃない!」
銃声が響く。
だが、当たらない。
ユリアは、闇の中を走った。
視界が、赤く染まる。
心拍が異常に上昇する。
《侵食率:38%》
《神経系統、再構成開始》
――来る。
アンデット化。
理性の喪失。
だが。
身体が、壊れない。
むしろ――
内部で、何かが噛み合い始めている。
《警告》
《既存ナノマシン群と、侵食因子が融合》
熱い。
だが、制御できる。
痛みは、ある。
だが、意識は明瞭だ。
《侵食率:61%》
《安定化傾向…?》
ユリアは、膝をついた。
呼吸。
深く、整える。
視界のノイズが、消えていく。
《想定外適合》
《分類不能》
アンデットの衝動。
アーガスノルンの制御。
そのどちらにも完全には属さない感覚。
「……私は……」
名前が、喉まで出かかる。
だが、まだ、思い出せない。
遠くで、ヘリが飛び去る音がした。
――見捨てられた。
だが。
《自己再定義プロセス、開始》
彼女は、立ち上がった。
もう、部隊員ではない。
アンデットでもない。
アーガスノルンの想定にも、管理にも、
含まれていない存在。
闇の中で、
彼女の瞳が、静かに光った。
世界はまだ、
彼女が何者になるのかを――
知らない。




