エリア番号2 ――「東亜王朝」
アーガスノルン直属治安維持部隊・出動命令
名は、ない。
正確には――消去された。
薄暗い待機区画で、彼女は直立不動の姿勢を保っていた。
無駄な動きは許されていない。
呼吸、心拍、筋緊張。すべてが最適値に制御されている。
《個体識別コード:S-α7096》
《状態:安定》
《記憶領域:初期化済み》
耳元で、無機質な音声が流れる。
かつて、
誰かに名前を呼ばれた記憶が――
あるような、ないような。
だが、それは不要なノイズだ。
彼女は、アーガスノルン社直属治安維持部隊の一員。
それ以上でも、それ以下でもない。
突如、空間に赤い警告光が走った。
《広域緊急命令》
《実験エリア番号2 ― 通称「東亜王朝」》
《異常事態レベル:A》
視界の隅に、情報が重ね書きされる。
「……アンデット、発生数……三千超?」
隣に立つ同部隊の兵士が、かすかに声を漏らした。
《第5研究開発部による都市内マナ変異実験》
《制御失敗》
《変異体分類:アンデット》
死体ではない。
生体だ。
ナノマシンが暴走し、自己修復と攻撃衝動だけが残った存在。
「……また、5研か」
誰かが呟く。
だが、責める声ではない。
アーガスノルンでは、失敗もまたデータだ。
《追加任務》
《保護対象:役員級管理者 ×3》
《潜伏身分:王族・貴族》
彼女の視界に、三名分の顔データが浮かぶ。
王族の衣装。
貴族の装飾。
「……護衛任務か」
部隊長が短く命じる。
「目的は殲滅じゃない。
優先順位は――」
《第一優先:管理者の生存》
《第二優先:実験データの回収》
《第三優先:都市被害の抑制(任意)》
彼女の身体が、わずかに反応する。
――保護。
その言葉に、胸の奥で
理由のないざわめきが走った。
だが、すぐに沈静化される。
《感情反応検知》
《軽微》
《問題なし》
「S-α7096」
部隊長が、彼女を呼ぶ。
「お前は、前衛だ。
アンデットのマナ反応は、お前が一番正確に捉えられる」
「了解」
声は平坦。
感情はない。
……はずだった。
輸送機のハッチが開き、
遠くに燃え上がる都市が見える。
東亜王朝。
かつて、文明と文化を誇った地。
今は、実験場。
彼女の脳裏に、一瞬だけ、
森の匂いがよぎった。
雷。
緑の布。
見下ろす視線。
《不要記憶検知》
《自動遮断》
視界が、クリアになる。
彼女は一歩、前に出た。
命令は明確だ。
守るべき対象も、撃つべき存在も。




