橋の風景
長年家父長として家のことを取り仕切っていた祖父が亡くなったのは、私が19歳の冬のことだった。まだ六十七歳になった矢先の急死だった。あわただしく葬儀を終えた後、祖父の遺骨を納めるために、私たちは墓地への道を歩んでいた。
墓地は集落の南側にあり、この、我々が現世で住む家々と対峙するように立てられていた。死後も住んでいた土地を見守り続けることができるようにとの配慮だろう。寒風吹きすさぶ中、悲しみの行列は、しずかに、しかし確実にその足取りを進めていた。
墓地は小高い斜面に作られており、その前を小さな川が流れている。ここが、現世とあの世との分かれ道なのだ。そんな話を亡き祖父から聞いたことがある。
葬列はその川にかかった橋を渡り、斜面を歩いた。丘の一番上に、目指す墓はあった。葬列はその墓の前で止まる。男達の手で墓石がずらされて、遺骨を納める空間が開いた。祖母が泣きながら遺骨をその間に納めた。再び、人々の間からすすり泣きの声が上がった。それだけ、祖父は人々から惜しまれていたようだ。
人間の生死というものについて私は考えてみた。自分が今、こうして生きているのも不思議だったし、祖父が死んで、今はその墓の下に納められようとしていることが不思議だった。数日前まで、言葉を交わしていたはずの人間が今やいない。それが不思議だった。涙も湧いてこなかった。ただ、私は不思議な思いにとらわれていた。
納骨が終わり、読経も終わり、葬列は丘を降りた。そして、墓地の手前の橋を渡って、再びこの現世に帰ってくる。そこで葬列の人々は集まった。我々は葬儀のためのわらじを履いてこの儀式に加わっていた。この橋のたもとでわらじを脱ぎ、それら全てを燃やし尽くさなければならない。履き物に死者の霊がすがり、元いた家に戻らないようにするための作業なのだ。
たちまち、わらじは山のように重なった。葬儀を取り仕切っていた大叔父がライターを出してわらじに火をつけた。焦げ臭い香りがして、白い煙が立ち上った。
揺れ動く視界。煙によって乱される視界の先には、墓地を背後に控えた橋の風景があった。こうして、全ての縁が祖父と切り離された。もう、祖父は戻ってくることはない。それが人間の死であり、死んだ人間は二度とこの世に現れることがない。
不思議だったが、私は少しずつ、それが理解できていた。火葬場で祖父を焼いた時にはなかった実感が、じわりとわき上がってきていた。橋の前で燃え上がる火と煙。私にはそれが、祖父を焼く煙のように思われていた。
そして、私はその時、初めて泣いたのであった。
(終)