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9番ピッチャー鳴沢さん  作者: タケヒロ
第二章 揺らぐ思い
9/15

4 父の思い

 家の小さな庭には朝日が射し込み、冷え込んだ草花を少しずつながらも暖かく包んでいる。そんな、穏やかな一日の始まりを感じる鳴沢家。

「夏帆、キャッチボールでもやるか?」

 そう言いながらリビングに入って来た父。

「えっ? 土曜日だよ。コーチしに行かなくていいの?」

 満天の星の下、大和、猛と話をしてから一週間。いつもなら野球部の練習へ行くはずの父なのに、この日は夏帆のグローブと自分用のキャッチャーミット、そして硬式ボールを手にしながら朝日のような笑顔を見せていた。


 父の思惑はこうだ。


 野球に対し距離を置くようになって時間が経った。しばらくぶりに硬式ボールを見た夏帆の気持は高ぶるか否か、大和や猛始め野球部員たちの思いは夏帆の気持ちをどちらに向かせるのか……。

 今後の夏帆の野球人生を決める賭けのような思い。


「うん、いいよ」


 以外にもあっさりと返事をして笑顔を見せる夏帆に、逆に拍子抜けさえ感じる父だったけれど、まずはひと安心といったところだろう。

 そして小さい頃からボクと夏帆、そして父の三人でキャッチボールをやっていた公園に来た。ついこの前、大和、猛と話しをした公園だ。

「久し振りだな、こうしてキャッチボールするのは」

「うん」

「寒いからな、しっかりウォーミングアップしろよ」

「うん」

 公園の端に沿って植えてある数本の高い木々。その脇でいつものように一球一球を丁寧に投げて、徐々に勢いをつけていく夏帆。

 そしてウォーミングアップを終え、昔、父が勝手に付けた十八、四四メートルの印の所まで距離を縮めた。

 ピッチングの勘を取り戻せているか心配をする父をよそに、夏帆は平然と投球練習に入っていく。

 そして夏帆の本気のピッチング、低いサイドスローからのジャイロボール。

 バシッ!

「オーケー!」

 そして得意のフレる球。

 バシッ!

「ナイスロー!」


 今の夏帆のピッチングに、父はホッとしている。数週間ボールを握らなかった時間はあったけれど、以前の夏帆の球筋に狂いはないからだ。そして父は更に突っ込んだ言葉を放ってみた。

「アイツらの気持ちに応えてやらなくていいのか?」

 夏帆の投球は変わらず変幻自在の変化球。

 バシッ!

「よーし、いいブレーキだ!」

 父からの問いにも投球が乱れることはない。どうやら、夏帆の気持ちは落ち着きを取り戻しているようだ。

「いろいろあるようだけど、みんな、夏帆と一緒に野球やりたいんだよ。みんなを信じてみたら?」

 父の言葉を聞いているのかいないのか、それでも一時間ほど続いたキャッチボール。夏帆の肩や背中あたりからは、熱気が湯気となり舞い上がっている。しかし、何のしがらみもなく、ただ純粋に好きな自分の野球を、ただ楽しいだけの時間を過ごせた気がしている夏帆だ。


 この状況に父は、第一関門を突破したような心持ちになり満足している。そして、夏帆はとても爽やかな表情で家に帰って来た。

「ただいまぁ」

「おかえり、楽しかった?」

 奥の部屋からは、家事仕事に勤しむ母の声が届く。

「うん。なんだかヒサビサって感じ。もう何ヶ月もボールを握ってなかったみたい」

「そう。楽しかったみたいで良かったわ」

「汗流してくるね」

 夏帆はシャワーを浴び、父は家の庭の植え込みの枝切り作業を始めた。滝岡高校野球部のコーチを引き受けてからは、なかなか手をかけられなくてボサボサに伸びている庭木の剪定、父の役割りである。

「たまにはキャッチボールもいいもんだね」

 誰かに話しかけているのか独り言なのか……、汗を流してさっぱりした夏帆は上下白のスエット姿でリビングに入り、腕まくりをしながらソファーに腰を下ろした。

「もう、お父さんったら、ミット置きっぱなしで!」

 ソファーの隅に無造作に置かれたキャッチャーミット。洗い髪をバスタオルで拭きながら公園でのキャッチボールを思い出している夏帆は、やっぱりつぶやいている。

「お兄ちゃん、今ね、お父さんとキャッチボールしてきたよ、公園で」

 夏帆はボクを見るわけでもなく、ボクからの返事を期待するわけでもなく、いつものように僕に語りかける独り言だ。

「あー、楽しかったぁー」

 バスタオルを首にかけ、ソファーに背をもたれてリラックス。

「今度お兄ちゃんも公園に行こうよ、キャッチボールしよう」

 自分のセリフを話し終えるタイミングで、何の気なしにボクに目を向けた。


「えっ? お兄ちゃん!」


 身を乗り出しながら二重まぶたの切れ長の目を真ん丸に見開く先には、最近では見ることのなくなっていたボクの姿が!

「お父さんお母さん、お兄ちゃんが!」

 突然の大きな声に、奥の部屋から母がリビングを覗き、庭からは吐き出しの窓を開けて父が顔を見せた。

「お兄ちゃんがどうした?」

 改めて見てみると、夏帆を始め、父母の目には、テレビの前に座るいつものボクの姿がある。

「あれっ……」

「どうしたの、夏帆?」

「今、お兄ちゃん、ボールを握ってて!」

「光輝がボールを? 見間違いじゃないのか?」

「そんなことないよお父さん。だって、ほら!」

 夏帆の指差す先には、確かにボクの手からこぼれ落ちたようにも見える硬式ボール。フローシングの床の上、中途半端な位置に転がっていた。

「いやいや、さっき帰って来たときにキャッチャーミットを無造作に置いたから、そんときにミットからこぼれ落ちたんだよ」

 そっけない、というよりは違っていたときのショックを考えて出た言葉かも知れない父の言葉。

「見間違いなんかじゃないよ。お兄ちゃんの症状回復は、やっぱり野球なんだよ。ねっ、お兄ちゃん!」

 いや、そう言われても……。ボクも、今そこに転がるボールを握っていたのかはわからないんだ……。

 それでも夏帆は確信したのだろう、今のボクにとって刺激になるものは野球であることを。

 そしてそのために、自分が野球をする姿を見せるべきことを!


 その頃、滝岡高校野球部は秋晴れの続く天候を見越して、少しずつ練習試合を行うようになっていた。夏帆のことは良きにつけ悪きにつけ話題の中心にはあったけれど、相手チームには適当な理由を付けて夏帆の出場は無しにしていた。

 それが功を奏したのか、不安だった投手陣も父の指導と選手の努力とが噛み合い、成果を期待することができつつあった。

「コーチ、自分の蹴り足の膝のに力が入っていないような気がするんです……」

「オマエは今までむりに膝を入れていた。それが足を置くつま先を少し前側にしたことで、自然に膝が入るようになったんだ。その分余計な力がいらなくなったってことだ。それが物足りなく感じているんだろう」

「なるほどです。ということは今の膝の使い方で良い、ということですね」

「そうだ。その証に球の走りが違うだろう? ピッチャーとしてのキーポイントになる、低目のストレートの伸びが良くなっている。」

「ハイ!」


 父は基礎練習を重要視した指導をする。

「基本なくして応用なし。応用を正しく行うためには基本を徹底すること。今、自分を評価したとき、基礎がうまくできているか!」

 父の口癖である。

 そしてこの頃には、投手バッテリーコーチから、総合アドバイザーという立場で指導をするようになっていた。

「コーチ、自分のバッティングなのですが、ダウンスイングを意識して後ろにバットを残すよりも、打点ポイントまで素早くバットを出してから体全体でフルスイングしていく。その意識で打つとスムーズにバットが出ますし飛距離も伸びました」

「そうだな。見てわかるくらいに打球速度が上がっている。後ろは小さく前を思い切り。それがスイングの速さとパワーに繋がることを、体が理解してきたんだ!」

「ハイ!」

 確かに父流野球が身に付いてきたことにより個々の能力が上がり、同時にチーム全体のミスも減り成績が上がってきたことは、翔子マネージャーからの報告でも確認されていた。


 そんなこととはつゆ知らず、授業が終わるとさっさと帰宅している夏帆は、家に帰るとボクに話しかけるのがただいま代わり。

 そしてあのとき以来、鳴沢家のテレビの前には硬式ボールとグローブが置いてあり、それらの位置が変わっていないかを確認するのも夏帆の日課になっていた。

 そんなある土曜日、気持ちのいい日が差し込む割に肌寒く感じる朝。なのでこの日は暖をとりながらの朝ごはんだ。

「ところで夏帆」

「何、お父さん?」

「見せたいものがあるんだ」

 食事を済ませると白いスエット姿の夏帆を後部座席に乗せ、父もジャージ姿という軽装のまま車を走らせた。

「学校? もしかしてグラウンドに行くの?」

「大丈夫。みんなからは見えない場所に停めるから」

「いや、そういうことじゃなくて……」

 突然のことに動揺を見せる夏帆ではあるけれど、それでも父は車を走らせて約二十五分間。父の思惑、第二関門とでもいったところだろう。

 そして滝岡高校近くのコンビニの駐車場に車を停め、右側の田んぼを挟んだ先に見える野球部グラウンドに目を向けた。

「見てごらん、ブルペン」

 ここからは一塁側からのグランドが見える。そして防球ネットの外側に設置された四つのピッチャープレートを有する、屋根付きブルペンがはっきりと見えていた。

 父の言葉に促され、申し訳なさそうな目でブルペンを見る夏帆。

「一番外側のプレート、空いてるだろう?」

「……」

「いつも夏帆が使っていたプレートだよ」

 こだわっていた訳ではないけれど、確かに夏帆が使っていた一番外側のピッチャープレート。

「あいつら、誰も使おうとしないんだ」

「……」

「夏帆の場所だからって、必ず帰って来るからって」

「……」

 ほんの一、二分、それだけだった。父は車を出そうとオートマチックのレバーをリバースに入れた。


「ちょっと待って……」


 すっかり稲刈りが終わった田んぼの向こうに目を奪われ、何かを感じる様子の夏帆。久し振りに見る野球部、大和と猛の言葉から知ったみんなの思い。

 父は動き出そうとして入れたレバーをパーキングに戻すと、おもむろに車を降りてコンビニから缶コーヒーを買ってきた。一応、夏帆にもレモンティーを買ってきたけれど、田んぼの向こうに集中する夏帆の邪魔をしないようにと自分のポケットにしまった。そして、思ったより熱かった缶コーヒーを上着の袖を引き伸ばして手に覆うように持ち直し、夏帆の視界に入らないようにわざと車の外で飲み始めた。

 十分くらい経っただろうか、缶コーヒーを飲み干した父はレモンティーを差し出しながら車に乗り込み、何事もなかったかかのように帰路に着いた。

 二人とも無言のままの二十数分間。そろそろ家が近くなってきて近所の公園の脇を通るときに、父はひと言だけ伝えた。

「みんな、待ってるよ」

 ルームミラー越しに見える夏帆の反応は何も示さず、ただ窓の外の公園を見つめているだけだった。でも、そこには父とキャッチボールをしたときのこと、大和や猛から思いやりのある言葉をもらったときのこと、あるいはボクがまだ元気だったときのことなど、夏帆にとってはとても大切な野球が見えていたのかも知れない。


 公園を過ぎるとすぐに家。父は車に乗ったまま「コーチしに行ってくる」と夏帆を降ろすと再度出掛けて行った。母はパート仕事のために出掛けている。

「ただいまぁ」

 リビングに入った夏帆はいつものようにボクに話をかけてくる。

「お兄ちゃん今ね、学校のグランドに行って来てって…………、えっ、お兄ちゃん!」


 夏帆の全身が固まった!


 ボクの手には硬式ボールが握られ、そのボールをじっと見つめながらあぐらをかいている。今のボクを見る夏帆の心は震えながら舞い上っていることだろう。

「分かる? 分かるの? お兄ちゃん? ボールだよ! 硬式ボール!」


 ゴトッ!

 ゴロゴロゴロゴロ…………。


 何かを感じ、何かを考えようとするけれど、強く思えば思うほど頭の中も身体中もモヤモヤしてしまう……。最近そのようなことがときどきあるのだ。

 そしてボクの手から力が抜けると同時に、ボールは床に転げ落ちて無造作に止まった。

 そしてそれが合図のように、ボクはいつもの無気力な姿に変わった。


 野球なんだよね!

 お兄ちゃんの病気が治るのは……

 やっぱり、野球なんだよね!


 そう、なのかなぁ…………


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