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9番ピッチャー鳴沢さん  作者: タケヒロ
第二章 揺らぐ思い
6/15

1 夏帆騒動

 今年も校長先生の心踊る言葉とともに入学式が行われた。と同時に夏帆や翔子、大和に猛たちも二年生になった。

 ちなみに、今年は卓球に例えて希望の学校生活を熱弁した校長先生。スポーツ界から文化界まで幅広いネタを持っているらしい。


 そして、野球部にも新入部員二十数名が加わり、活気に満ちた活動になっている。しかし、残念ながらマネージャーはゼロだった……。

「ねーねー夏帆。あたしたちが入部するまでってさぁ、遥香先輩が一人でマネージャーやってたって言ってたでしょ?」

「そう言ってたね」

「今年の夏の大会が終われば三年生は引退でしょ。それで遥香先輩が抜けちゃったらさぁ、あたしもそうなっちゃうってことかな?」

「一年生マネージャーが入ってこなかったからね、そうなるってことだね」

「夏帆……」

「なに?」

「そんときはマネージャーに戻ってきてね」

「お察ししますけど、わたしはれっきとした選手ですから」

「そう言わずにお願いしますよ。選手とマネージャーの二刀流ってことで!」

「ムリ!」

「お願いだよぉ、夏帆……」

 世代が変われば状況も変わる。遥香におんぶに抱っこの翔子は、一人になったときのことを考えると不安がこみ上げてくるのだった。


「お世話になります鳴沢さん、今年度もよろしくお願いします」

「三津田監督、こちらこそよろしくお願いします」

 新年度が始まって父がグラウンドに顔を出すときを待っていたかのように、三津田監督が声をかけたのだ。

「鳴沢さんがグラウンドに顔を出してくれて、そして惜しみなく力を注いでくれる。お陰で非力だった投手陣にも良い形が見え始めてきました」

「選手たちの頑張りです。ワタシのアドバイスだけではなく、みんなで情報交換し合っていますから」

「それなんですよ鳴沢さん! 今まではそのような光景は見られなかったんです。むしろ、自分がレギュラーになるんだという意識が強過ぎて、もしかしたらチームプレーにも影響が出ていたかもしれません」

「はい……。察していました」

「でもそれが今は、ピッチャー、野手、バッターの壁がなくなって、どんな細かいことでも情報交換をしてるんです」


 父流野球は相乗効果も功を奏し、投手以外の選手たちにも大きく影響を与え、個々の能力がいい形で見え始めていた。そしてそれに比例するように、父と三津田監督との信頼関係も強いものになっていた。


「鳴沢さんの基本的な考え方も教え方も、今まで接してきた指導者の誰よりも群を抜いています。本当に短期間で、よくここまで選手たちを成長させられますね」

「野球が好きでここに集まった連中ですから興味を持たせるようにアドバイスをしてやれば、さすがに吸収する力が凄いです」

「そのアドバイスがピンポイントで適切だからですよ」

「いやいや……」

「更に基本動作の徹底指導。普通、高校生ともなると基礎練習を怠ける選手が多いのですが、選手たちを飽きさせないための工夫をした練習方法。私も、監督という立場を忘れて練習に参加したくなるほどですよ」

「ワタシのやり方と選手たちの望むものの歯車がうまく合った、ということでしょうね」

「それが鳴沢さんの力、なんですよ」

「そう言って頂けると、ワタシも思い切って指導ができます!」

「どうぞどうぞ。こちら側の強引なお誘いでしたけど、鳴沢さんにコーチをお願いして良かった。本当に感謝しかありません」


 元々、推薦入学レベルの野球選手たち。小中学生時代はセンスで野球をやり、高校で改めて基本動作を教えられ、理解し、イメージし、修正し、そしてそれを繰り返すという流れ。 詰め込み型ではなく、自主判断型と呼ぶ父流野球論「選手にその力が備わるまで教えるのが指導だ」とよく言っていた父の姿が思い浮かぶ……ような気がする。


「夏帆のお父さん凄いよ。みんな食い入るように説明を聞いてるし、納得して練習してる!」

「そう?」

「そうだよ。だから夏帆も凄いんだね。お父さん流野球を仕込まれたんだもんね」

「どーなんだろ。わたしにはいつものクドクドした話しにしか聞こえないけどね」

 父流野球がチームの練習カラーになってきた頃、今年初めての公式戦となる春季大会県大会が始まった。今年は、より上へ。という目標を掲げて臨んだ大会だ。

 しかし、投手力がまだまだ万全ではない状態で大会に挑まなければならないことは歪めず、三津田監督は口癖のように「夏帆を試合に出せれば……」と無理だと分かっていても高校野球協会に問い合わせをしたり、教育関係機関に相談をしたりと動いていた。

 しかし、大会はそれを待たずして始まり、不安を抱えた投手力を打撃でカバーしながら、何とか予選を通過することができた滝岡高校だったけれど、県大会では苦戦を強いられてベスト8が精一杯。

 そしてこの大会中、夏帆は背番号14を付けた試合用ユニフォームを着用し、アルプススタンドの滝岡高校応援席にいた。

 規定によりベンチには入れないけれど、せめて選手として存在をさせたいという三津田監督の切なる思いなのかも知れない。


「いいか君たち、こんな成績では甲子園出場は語れないぞ」

「「はい」」

「精一杯やっているのはわかる。だがな、空回りし過ぎて自分の力を発揮できていないんだ」

「「はい」」

「どんな細かいことでも構わない、何かにつけて鳴沢コーチやオレに訊いてこい!」

「「ハイ!」」


 夏帆は無理としても、父流野球を試合で出せるようにと、平日は基本練習として個人プーレと連携プーレーの徹底、休日は練習試合で実戦応用という工程を繰り返した。

 しかし…………

「夏帆、肩を作っておけ」

「ハイ」

 公式戦に出れる投手、つまり男子投手陣を中心とした守備力強化のための練習試合にもかかわらず、三津田監督は行き詰まってくると夏帆をマウンドに送っては相手打線を沈黙させていた。


 んーー。

 結局、夏帆頼みか……。

 お父さん、投手陣を早く作らないと、三津田監督が焦っているみたいだ。


 そして、晴れ渡る空、沸き上がる雲、心おどる夏の甲子園大会予選の県大会が始まった。

 物足りなさを感じながらも、滝岡高校は一回戦二回戦を順調に勝ち進んでいた。アルプススタンドからはいつものように背番号14番が見守るなか、大会は三回戦へ。

「監督さん、この相手はウチと同等レベルっていう評価のチームですけど、一回戦、二回戦をコールドゲームで勝ち上がってきたチームです」

「さすが遥香。ベテランマネージャーの観察力発揮だな」

「ありがとうございます」

「遥香の言う通り、相手には勢いがある。この試合、大きな山になりそうだ……」

 夏のジメジメした暑さが体力を奪い、しかも打撃戦となったこの試合。投手陣のコンディションが心配ながらも滝岡高校は嶋内、吉田、鎌上の三人を投入し七回終わって八対七と、かろうじて勝ってはいた……。

「監督さん、この段階ですでに三人のピッチャーを使っています。もしかしたら延長戦も考えられる展開ですし、体力が持つかが心配です……」

「確かに。翔子の言う通り。駒不足が、終盤にどう響いてくるかが分岐点になるだろう」

「監督さん……」

 苦肉の策を絞り出すことができるのか、それとも密かに打つ手があるのか……。微妙な表情のまま腕組みをする三津田監督。

 スタンドでもこの厳しい暑さに、あるいは厳しい試合状況にバテながら投げる鎌上の姿に同情したのか、ポツリと声がした。


「鳴沢を出せ!」


 どこからともなく聞こえてきた声……。

「そうだ、鳴沢だ! 鳴沢を出せ滝岡!」

「そうだ、そうだ! 鳴沢がいるじゃないか!」

「鳴沢は滝岡のエースだろ!」


 ひとことが引きがねとなり、夏帆をマウンドに求める声が球場のあちこちから飛び始めた。

 誰が言ってるのかはわからないけれど、ピッチャー鳴沢夏帆を知っているのはこれまで行った練習試合相手くらいのはず。気付くと、球場全体から夏帆を呼ぶコールが起きていた。まぁ、意味も分からず便乗した人も多いだろうけれども……。

「監督さん……」

「あぁ…………」


 鳴沢コールに染まる球場ではあったが鎌上がなんとか投げきり、滝岡高校が勝ちを拾うことができた。

「何とか勝てたな」

「俺、ヒヤヒヤしてたよ、正直……」

「ウチの打線が繋がって良かった」

「相手打線も鋭かったけど、ほとんどが野手の正面だったから助かったって感じだっよな」

 選手たちの会話に同調する三津田監督、胸をなで下ろしたように口を開いてきた。

「君たちも頑張ってくれたが、ハッキリ言って内容的には相手チームの方が上だった。我々は勝ちをもらったってことだ」

「はい……」

「ただし、相手の出来次第で勝ち負けが決まるようではダメだ。対戦相手がどこだろうと勝たなければいけない」

「「ハイ!」」


 今の滝岡高校に絶対的な強さは見られず、必死に勝ちを拾っているのが有り有りとしている。その通り快勝できないまま、アルプススタンドで見守った夏帆二年生の夏も、県大会ベスト8で終わったのだった。


 一方で…………


「俺たちスゲーな、あの滝岡を倒せそうだったぞ!」

「今度はいける。滝岡つぶしの法則で必ず勝てる!」

 対戦した各チームでささやかれている言葉である。 どういうことなのか、なにを意味しているのか、このときはボクもまだ知らなかった……。


 そして大会終了後は通常部活動に戻り、グラウンドに刺さる暑さに耐えながら選手たちは白球を追いかけていた。自分の夢と三津田監督の思いを込めた白球を。

「いいか君たち、三年生の夏が終わって、一、二年生中心の新チームがスタートした。一年後に結果を出せるように、今のうちから計画的に練習に励むように!」

「「ハイ!」」

「特に二年生は最後の一年間になる。悔いを残さないように!」

「「ハイ!」」

 三津田監督の勢いある言葉に押され、選手たちはレベルアップのためにグラウンドに散って行った。するとそれを見届けたかのように、大和、猛たち二年生数名が三津田監督のもとへと近付いて来た。

「ところで監督さん……」

「どうした、猛?」

「本当に自分たちと一緒に監督を辞められるんですか?」

「ああ、本当だ。君たちの夏が終わるときに合わせて、オレもユニフォームを脱ぐつもりだ」

「監督さんのような指導者はこれからも必要です。監督業専門でやってもいいんじゃないですか?」

「ありがとう。でも決めたことだ」

「でも……」

「君たちからそう言ってもらえることは、とても監督みょうりに尽きるよ」

「だったら……」

「でもな、スポーツは日々進化している。オレは三十年も監督をやってきたんだ、世代は変わらなくてはいけないときがある。それを、物言わずして鳴沢コーチが教えてくれた」

「鳴沢コーチが?」

「だから、最後に君たちがオレに華を持たせてくれ」

 三年生の引退した滝岡高校野球部は、いよいよ夏帆や大和、猛たちの代になった。三津田監督も夏帆たちの学年が卒業する時に定年を迎える。それを期に、夏帆たちの部活動引退と一緒に監督職も退くことを決めているのだ。

「わかりました。監督さんの最後は、必ず甲子園で終われるようにします!」

「ハハハハッ、ありがとよ。楽しみにしているぞ」


 そして、秋の大会へ向けた新チームのベンチ入りメンバーが発表された。

 課題の投手陣、背番号1は二年生速球派の吉田。力を抑えることでコントロールに自信を付けた。

 背番号10、二年生技巧派の鎌上。下半身強化で安定性を増し、緩急を付けたピッチングを身につけた。

 一年生からも背番号18、佐伯。中学硬式クラブ出身の左の速球派ピッチャー。

 そして背番号14は夏帆。三津田監督の希望そのものだ。

 他にも野手と兼用でワンポイントピッチャーも仕上がってきている。

 更に、新キャプテンに青野猛、背番号6。ここに来て更にバッティングに磨きがかかり不動の4番。西原大和は背番号2、安定の正捕手。副キャプテンにも任命され打順も3番。ヤマトタケル打線爆発へ!

「いいかい君たち、この夏から秋にかけては実践形式の練習を多く取り入れるつもりだ。新チームになって動きがバラバラである感覚を自負するとともに、自分に必要な課題を見つけるのが目的だ。

 自分で考え、周りの仲間に相談し、鳴沢コーチやオレからも情報を得て、いろんな答えを探してほしい。そしてそれらの中から自分に合った答えを見つけ、自分の物にする。これを、来年春までの課題とする!」

「「ハイ!」」


 三津田監督、そして父の目指す形を強固なものにするために実践経験を積ませてはいるけれど、練習試合の度に「鳴沢夏帆投手と対戦させてほしい」という申し出をもらうことが当たり前のようになっていた。

 話題作りなのか物珍しさなのか……。いずれにせよ三津田監督はそれに応じ、夏帆が絶対的エースの存在は変わらなかった。


 それはともあれ、選手たちも充実した練習に明け暮れているうちに、いつしか空一面に赤トンボが浮かび朝晩に冷え込みを感じられるようになってきた。そしてその頃、新チーム初の大イベント、秋季大会の開幕となった。

「いいか君たち、この秋期大会は単なる新人戦感覚ではダメだ。来年夏の甲子園大会へ向けての戦いが始まったと思え!」

「「ハイ!」」

 三津田監督の大きくはないが通る声は、改めて気を引き締めて挑む意思を伝えていた。それは、最近の試合傾向から見ても、滝岡打線が抑え込まれているうえに選手の特徴を知られ過ぎている。という不信感を抱いている三津田監督と父だったからだ。


 そのなか迎えた第一次予選。いつものように背番号14を付けてアルプススタンドで応援する夏帆。相手チームは打撃を得意とする強豪校と当たり、思わぬ苦戦を強いられた。

 いくら滝岡投手陣がいい具合に育ってきているとはいえ、やはり底力のあるチームには技術と力で得点を重ねられてしまうのが実情だ。

「監督さん、ちょっと押されてますね」

「ヒットが続かないなぁ。翔子、ウチのチームが二塁ベースを踏んだのは何回ある?」

「猛君の打った二塁打と……、送りバントで二塁へ進んだのが一つ、その二回です」

「それだけか?」

「はい。なんだか最近の試合、打撃の滝岡じゃないみたいです……」

「んーー…………」

 押されながら試合は進み、中盤には嫌なムードが滝岡高校を包み始めていた。

「監督さん、相手チームだってまとまりはあっても、そんなに強いチームじゃないじゃないですか? なのにどうしてウチのチームがこんなに押されてるんでしょう?」

「それなんだよな。確かに相手チームのピッチャーはいいピッチャーだが、それにしても一人一人が抑えられている。大和や猛までもだ…………」

「はい……」

 しかめっ面で腕組みをする三津田監督。

 その思いを見透かしたかのように、場内から声が飛んだ!


「滝岡ぁー、鳴沢を出せー!」

「鳴沢だ! 鳴沢に投げさせろ!」

「出し惜しみしてんじゃねー!」


 夏帆を舞台に上げるべく声が飛び、そしてそれを助長するかのように場内が沸き上がる!


「鳴沢!」「鳴沢!」

「鳴沢!」「鳴沢!」


「監督さん、スタンド中から夏帆を呼んでます。まるで応援合戦みたいになってますよ!」

「んーー…………」

 意味があるようなないような空返事をする三津田監督……。と言うよりも、どうすることもできずにただもどかしさを押し殺すだけの滝岡ベンチ。


「鳴沢!」「鳴沢!」

「鳴沢!」「鳴沢!」


 しかし、それをあざ笑うかのように相手チームの思い通りに試合が運ばれ、滝岡野球を完全に封じ込まれた試合となった。

 それはそれは、とても不思議なほどに……。である。


 スタンドの声に、また不思議なほどに抑え込まれる滝岡打線に、一番ヤキモキしているのは三津田監督だろう。歯がゆいままに第一次予戦が終わり、次に行われる第二次予選に挑むこととなる滝岡高校。その組み合わせ会議終了直後、県高校野球協会から直々に三津田監督へのお呼び出しがかけられた。

「お忙しい中ご苦労さまです。他の学校や関係者の耳に入らないためにもと思い、このような奥の部屋にまでお呼び出ていたしまして申し訳ないです」

「いえ、お気になさらないでぐださい。ところで、ご用とは?」

「ええ、それでは早速ではありますが、三津田先生が頻繁に大会出場の許可申し出をする鳴沢夏帆とは何者かをお尋ねしたいと思い、お声がけいたしました」

 単刀直入に発せられる言葉にあおられて、三津田監督の緊張は一気に上昇を始め、そのような心理状態ながらも必死に状況を整理していた。

「はい、鳴沢夏帆と申しまして、滝岡高校野球部の選手として所属していまして……、ウチの投手として活動をしておりまして……、主に練習試合などに出場をさせておりまして…………」

 途中、何度も呼吸を整えて受け答えをする三津田監督ではあるけれど、なにせ前代未聞のことに必死に言葉を並べるのが精一杯。

「しかし高校生ですよ。同じ土俵では無理があるように思いますが……。小学生ならまだしも、男子と女子では体付きも体力も運動能力も、大きく違いがあるのではないですか?」

「確かにおっしゃる通りなのですが……、鳴沢夏帆に関しましては運動能力も技術力も男子並……、いや、男子以上の能力を持っていると言っても過言ではありません。と私は評価しております、はい……」


 夏帆の思いも乗せるかのように、これまで自分が見聞きしたことを元に知り得る限りの鳴沢夏帆やボク鳴沢光輝、そして父のことを話した三津田監督。

 少しの間、役員の方々が口を閉じ、怖いくらいに重たい空気が漂う一室。そのなか三津田監督は、これまでで一番の緊張を見せていた。

「んーー…………。実はですね、三津田先生」

「は、はい……」

「ここ半年ほど前から、鳴沢夏帆選手についての問い合わせが殺到しているんですよ」

「はあ……」

「ところが私どもはそういった情報にはとてもうとくて、鳴沢夏帆選手のことを知らないものですから、何も答えられないのが現状なんです」

「ほほぉ……」

「そこで、ただ事ではないということで調べたところ、昨年の秋頃から鳴沢夏帆選手の試合動画がインターネット上に投稿されていているじゃないですか」

「ええ……」

「我々はそこで始めて、夏帆選手の存在を知った、というわけなのです」

 そして、県高校野球協会としても世間の話題ついていけるように夏帆について詳しく調べていくと、インターネットにあげられている動画投稿者は多数、その共通点は滝岡高校との練習試合を撮影したもの、ということが分かった。

「いやぁ〜ビックリしましたよ。女子生徒が高校野球のピッチャーだなんて」

「は、はい……」

「しかも大会が近付くと『なぜ、滝岡高校は鳴沢夏帆を出さない!』『県高校野球協会が止めているんじゃないのか!』という内容のメールや電話が殺到するんですよ」

「それはウチの高校も同じです……。お騒がせしているようで、すみません」

「やはりそうでしたか……」


 まるで、尋問にかけられているような硬くて重い個室の空気。特に、コの字型に並べられた重厚感のある机の存在がそれを助長している。

 そして、三津田監督も協会員のお偉いさん方も表情を変えないまま話しは続いた。

「問い合わせに対して、高校野球規則では女子生徒の大会出場は認められていないということを説明しても『考えが古い』『時代に合わない』『逃げ口上だ』『実力は男子以上だ』などなど、いろんな意見が返ってくるんですよ」

「はい。ウチの高校も、全く同じです」

「しかも、この件については、全国高校野球協会からも問われている話しなんです」

「そ、そうだったんですか、そこまで話が広がりを……。本当にご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません……」

 メタボな体を小さくかがみ、どのような表情をすればいいのか思い付くこともなく、ただただ恐縮するしかない三津田監督。


 その後も、雑談を交えながら協会の方々との話は続き、本県における高校野球事情から田舎町の話題にまで話題が及んだ頃、協会トップのお偉いさんが表情を変えながら口を開いた。

「三津田先生の説明はよくわかりました。今頃ではありますが、我々は鳴沢夏帆選手の試合動画も見て、そのうえで彼女の試合出場について検討しました」

「はっ!」

 重苦しい雰囲気を変える話し口調に戸惑いを感じる三津田監督。

「三津田先生、どうでしょう……」

「はっ?」

「この、何かと話題に乏しい本県から、一風変わった風を吹かせてみませんか?」

「えっ?」

 県高校野球協会の理事長ともあろうお方が、何やらイタズラ小僧の目をして、三津田監督を遊びにでも誘うように呟いてきた。


「鳴沢夏帆選手を、試合に出してみませんか!」


 えっ? 今、確かに、夏帆を試合に出すって言った、よな? 鳴沢夏帆選手を、試合に…………って。ま、まさか、この場だけの冗談話、なんてことはないよな……。


 どうやら三津田監督、あまりの驚きで理事長とのやり取りを心の中で復唱し、確かに夏帆を試合に出場させる話であることを確認している。

「夏帆を……、鳴沢夏帆を、公式の試合に出場させてよろしい……、のですか?」

「ええ。許可しましょう!」

 一様に笑みを浮かべながら大きくうなずく役員たち。

「ただし、県大会の試合のみ、の話ですよ」

「えっ? はっ? ああ、えぇーーっと……、本当、ですか?」

「ははははっ、三津田先生、本当ですよ。本県の大会への出場を認めます」

 まだ信じられない様子の三津田監督。それを眺めながら笑顔を見せる役員の方々。

「えぇ、は、はい、分かりました。県大会出場を認めて頂き、ありがとうございます。早速本人に、いや、みんなに、いや、学校に報告を!」

 天にも昇る気持ちとはこのことか!

 メタボな体は軽やかに立ち上がり、興奮を抑えられずに舞い上がっていた。

「三津田先生落ち着いて下さい。一番喜んでいるのは三津田先生じゃないですか?」

「はい……、いえ……、それは……、もう……」

 この瞬間、秋の日の傾いた日差しが差し込む狭い会議室で、いい歳した大人たちが同じ方向を向いたのだ。それは、立場も肩書も忘れた純粋な野球少年たちが、とんでもない夢物語を作ろうとしているようであった。


 そして、


「練習止め! 全員集合!」

「「ハイ!」」

 滝岡高校野球部グランド、三津田監督の指示でキャプテン青野猛の声が響く。

 その様子を一塁側ベンチ前に仁王立ちになり、高鳴る気持ちを悟られないように腕組みをしながら見つめる三津田監督。

 四十人ほどの部員が集合する姿を見届けると、微笑を浮かべながら大きくはないが通る声で話し始める三津田監督。

「今、県高校野球協会の偉い方々と話をしてきた」

 なんのことやら見当もつかない選手たち、ただ三津田監督の次の言葉を待つのみだ。

「いいか、よく聞けよ」

 三津田監督の微笑が完全なニヤケ顔に変わった。興奮を我慢できないのが有り有りと伺える。

「夏帆がっ、公式戦に出れることになった!」

「えっ! 本当ですか?」

「ああ、本当だ!」

「「ヤッター!」」

「夏帆ちゃん、やったよ!」

「良かったね、夏帆ちゃん!」

 夏帆は信じられない表情のまま固まっている。その夏帆を囲んで大喜びの部員たち。その喜びようは全ての試合に圧倒的勝利を挙げたように爆発的なものだった。

「但し、夏帆の試合出場には条件があるんだ。それは……」


 ◯ポジションは投手のみとする

 ◯投球回数は5イニング以内とする

 ◯バッターとしては手を出すことを認めず、いかなる球であっても三球で三振とする

 ○その他、不具合が生じた場合は即退場とする


「それくらいならどってことないですよ!」

「夏帆ちゃんなら五回あれば十分です!」

「夏帆ちゃん、これで思いっ切り野球ができるね!」

「うん……」

「どうした夏帆?」

「本当……、何ですか監督さん? 本当に……、わたし?」

「あぁ本当だ。喜んでいいんだぞ、夏帆!」

 自分の希望とはいえ、まさか本当に試合出場が認められるときがくるなんて……。といった心境だろう。

 また、どのような条件があろうとも、公式戦に出場することが何よりの願いだった夏帆、三津田監督、そして部員たち。ただただ喜びを感じ、浮かれた気持ちを隠しきれずに、最近では一番の活気みなぎる部活動になった。


「だだいまー!」


 玄関を入るなり靴を放り脱いで、急いでリビングに入る夏帆。

「どうした夏帆、ドタバタと? 行儀悪いぞ!」

「お父さん、わたし試合に出れる!」

「えっ、何言ってんだ夏帆? 試合って、練習試合なら……」

「どうしたの? 騒がしいったら」

「お母さん、わたし、試合に出れる!」

「えっ?」

「わたし、公式の大会に出れるようになったんだって!」

「ま、まさか?」

「本当なの?」

「県高校野球協会が認めてくれたんだって、わたしの試合出場!」

「信じられない、そんなことってあるのか?」

 絶対にないだろうと思っていた女子高生の高校野球出場。夏帆の喜びようはいかなるものにも例えようのない、とても良い表情を作り上げていた。


 ようやく実感できたようだね。良かったな、夏帆。お兄ちゃんも自分のこと以上に嬉しいよ。夏帆、思う存分野球をやりな!


 そして滝岡高校、興奮と勢いそのままに再起をかけた秋季大会第二次予選が始まった。滝岡高校ベンチには背番号14番を付けた夏帆の姿がある。そのベンチ内の雰囲気は、ワクワクソワソワしながら明るいうえに安心感があった。

 先発ピッチャーは予定通り背番号1、速球派の吉田。しかしコンパクトなバッティングで点を重ねられ、少しずつ差を離され始めた。更に、最近の傾向変わらず滝岡得意の打撃も噛み合っていない。

「監督さん、何でこんなにペースを掴めないんですか? スコアを付けても、全部単発で抑えられています……」

「鳴沢コーチとも話して今大会から大幅にサインを変えた。それにウチの選手たちも、苦手分野でも粘れるように対処してきたというのに……。んー、うまく交わされている」

「はい……」

 噛み合わない滝岡野球……、違和感は深まるばかりだ。

「よし!」

 五回ノーアウト。嫌な流れを変えようと三津田監督が動いた。


「滝岡高校、選手の交代をお知らせします。ピッチャー、吉田君に代わりまして、鳴沢くん……、さん。失礼しました、ピッチャー、鳴沢、夏帆……さん」


「ゥゥオオォーーーー!」

「キタァーー!」

「マッテタゾォーーーー!」

「ナリサワダァァァーーーー!」


 突然降って湧いたような、いや、誰もが待ち望んでいたアナウンスに、球場はドヨメキと割れんばかりの大歓声に包まれた!

「凄い! 球場のみんなが夏帆を応援してくれてますよ監督さん!」

「そうだな。まさかこれほどまでに夏帆が注目されていたとはな!」


「鳴沢!」「鳴沢!」

「鳴沢!」「鳴沢!」


 今や遅しと、滝岡ベンチに注目するスタジアム。その中をフィールドへ一歩足を踏み込む夏帆。その姿、初、を見逃さないようにと、滝岡ベンチを取り囲む全ての瞳が一点に集中している。

「夏帆、ガンバ!」

「うん、行ってくるね」

「頼むぞ、夏帆。思い切り投げてきなさい!」

「はい、ありがとうございます!」

 スコアラーの席から立ち上がって声をかける翔子は目をまん丸にして、まるで自分のことのようにワクワクしている。もちろん三津田監督も、そしてベンチにいる選手たちも大興奮だ!

 三万人超満員の熱気に満ちた田舎のスタジアムは、県の高校野球史上最大の盛り上がりといえるだろう。

 そして、夏帆の投球練習を見ては盛り上がり、サインの交換を見てはまた盛り上がるスタジアム。それほどまでに夏帆の人気度は、予想を遥かに超えていた!


「鳴沢だ、鳴沢が出てきたぞぉーー!」

「おーー鳴沢だ! 背番号14だ!」

「鳴沢! 鳴沢!」

「鳴沢! 鳴沢!」


 そしてここに、特別な感情でこの状況を見守る姿があった。アルプススタンド滝岡高校応援席の端、父と母、そして一応ボク……。夏帆の考えを尊重して、ボクは野球場にきていたのだ。

「おっ、夏帆が出て来たぞ!」

「光輝、見える? 夏帆よ、夏帆がマウンドに立ってるよ」

 マウンドには背番号14がいる。はっきりとした意識で見ているのかはボク自身もわからないけれど、父も母も夏帆の登場を喜びながら、もしかしたら夏帆の姿に、ボクの光り輝いていたときのことをかぶせて見ているのかも知れない。


「鳴沢! 鳴沢!」

「鳴沢! 鳴沢!」


 夏帆の投球練習が終わっても盛り上がりが落ち着かない。

 夏帆、練習試合とは全然違う盛り上がりに戸惑ってはいないかい? 


 マウンド上では天を仰ぎ、大きく息を吐く夏帆がいる。


「フゥーーーーーー」


「オーーーー」

「これが、鳴沢のルーティン!」

「ガンバレー鳴沢!」

「カッコいいとこ見せてくれー!」


 無謀とも言える夢を噛みしめるように、フィールドの一番高いプレートにしっかりと立つきゃしゃな姿は、それはそれはとても大きく、とてもたくましく光り輝いていた。

 そして、主審は右腕を高々と上げて手のひらを正面に向けた。


「プレイ!」


 夏帆にとって、また県高校野球界にとって、記念すべき第一球が投じられる。

 バッターはセオリー通り、投手交代直後の初球をすかさず打ちに行く、ど真ん中のストレート!


 コキン……

 ボテボテのショートゴロ。

 えっ? という表情で、思わずバットを持ったまま一塁へ走るバッターランナー。

  守備にもかなりの定評がある青野猛が、流れるようなフィールディングで軽くさばきワンアウト。

「ナイスピッチ、夏帆ちゃん!」

「うん。猛君もナイスフィールディング!」

 相変わらず絶対的なコントロールと、三人しか知らないフレる球は健在だ。

 そしてその後も夏帆がマウンドに立つ度に歓声を浴び、ベンチに戻る度に拍手に包まれ、ロングリリーフを投げきり勝利投手となったデビュー戦。その出来事は、次の日の地元新聞紙の一面を飾った。


 高校野球界に新風!

 本県から新たな歴史が始まる!


 そして、夏帆の出場が認められたことにより、滝岡高校投手陣は理想的な投手リレーができた。そのお陰で守備のリズムもうまく絡み、更に打撃も波に乗り、あれよあれよで第二次予選を一位通過し、地区予選第三代表権を獲得した。

「よし、来週からはいよいよ本戦の県大会だ。遠慮はいらない、本当の滝岡野球を見せてやれ!」

「「ハイ!」」


 夏帆の願いが通じ、三津田監督の粘りが功を奏して挑む県大会。息を吹き返した滝岡高校は夏帆を中心とした投手リレーで勝ち進み、久々に準優勝という好成績を収め、県第二代表として地方大会出場権を得ることができた。

 そしてこの頃になると、夏帆の話題は県内だけににとどまらず全国区となっていた。


 滝岡高校にとって久々に出場した地方大会が幕を開けたときには、スタジアムに入り切れないほどのお客さんたちで殺到し、夏帆の姿を一目見ようという熱気が漂っていた。

「あれが鳴沢夏帆!」

「あんなに細い選手なのに、どこにパワフルな選手たちを抑える力を持ってるんだ?」

「サイドスローからの変化球でバッターを惑わせるピッチャーなんだ。女子と言えどもあなどれないぞ!」

「早く見たいね、鳴沢夏帆のピッチング!」

 そのため、滝岡高校の試合日ともなるとお客さんの入りは半端なく超満員。夏帆を見るために遠くからやって来るお客さんもたくさんいるほどだ。


しかし…………、


「鳴沢はどうした!」

「鳴沢を出せ!」

「鳴沢!」「鳴沢!……」

「鳴沢!」「鳴沢!……」

「鳴沢を見るためにわざわざ遠くから来たんだ、早く出せ!」

「鳴沢!」「鳴沢!……」

「鳴沢!」「鳴沢!……」


 試合中も「夏帆を出せ!」コールが何度も起こったが、夏帆の試合出場はあくまでも県の大会に限ってのことである。それでも、三津田監督を含め県高校野球協会からも、地方大会実行委員会に対して夏帆の大会出場の申し出を行ってはいたのだが、結局認められることはなかった。

 そのため、観客席からのブーイングも止まない状態のまま大会を終えた。


「滝岡、これで終わりかよ!」

「鳴沢を見れなかったじゃないか!」

「何をもったいぶってんだよ!」

「最後にちょっとだけでいいから鳴沢を見せてくれよ!」


 それが原因とは言えないけれど、滝岡高校は地方大会を一回戦敗退という結果に終わった。大会中の清々しい秋空とはうらはらに、投手夏帆が見れなかったお客さんたちの怒りに似た表情や滝岡ベンチの盛り上がりの無さ、そして思うように野球ができなかったことが物足りなさを残した地方大会となった。


 一つの階段は上れたけれど、そこにはまた大きな壁がある。夢を叶えるまでには、あと何段の階段を上らなければいけないのか。

 夏帆、今やれることを一生懸命にやるだけだ。お兄ちゃんはいつも応援してるよ。


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