2 希望と現実
「行ってきまーす」
「行ってらっしゃい。先生の話をしっかり聞きなさいよ」
「わかってるって」
昨日の入学式後の野球部見学をとても満足して帰宅した夏帆、まだまだ見慣れない真新しい制服をまとって今日も登校した。
「おはよう」
「「おはようございます」」
「一年普通科二組を担任する笹崎だ。まずは一年間よろしくだ」
「「はい」」
「当然のことだけど、入学したばかりで右も左もわからないことだらけだろう。今週はオリエンテーションやら何やらであたふたと過ぎていく。右の耳から入った情報も左の耳から抜けていくと思うが、わからないことはそのままにしないで先生方や周りの生徒に訊いて、早く高校生活に慣れるように。いいな」
「「はい」」
入学したての緊張もあってかあたふたと時間だけが過ぎ、普通に授業が行われるころには眩いばかりの陽射しが気温をグングンと上げ、暑いくらいの日々を過ごしていた。
そして毎日六時限の授業に振り回されたあとの放課後は、三年間身を置く部活動見学へと足を運ぶ姿が見られた。
滝岡高校は好むと好まざるとに関係なく、いずれかの部活動に所属しなければならない決まりがあるのだ。そのためか二、三年生の先輩方も新入部員獲得のために、いつも以上にフレッシュさとエネルギッシュさをアピールするハッスル感がみなぎっていた。
そしてそれは野球専用グラウンドでも同じ。いつもよりも大きい声を出し、いつもよりもキビキビしたパフォーマンスでアピールしていた。
「今日も女子の見学者がいっぱいだぞ!」
「一人に一人、専属マネージャーっていうのも有りなんじゃねー!」
「だよな!」
グラウンドでは、純な男世界の楽しい妄想が繰り広げられている。正直、女子見学者に気を取られて練習どころではないく、何かを期待して余計な話に花を咲かせる部員も少なからず……、いや、沢山いた。
「今日は見たことがない見学者もいるなぁ」
「いいから練習に集中しろよ!」
「ちょっとだけだよ。先輩たちだってみんな見てるし!」
しかし、野球部員の意気込みもむなしく、現実はむごいもので日に日に減ってゆく見学者たち。なかでも女子生徒は激減してしまって今は三人だけ。そして男子も十人ほどだ。
「こんなにいなくなるって……。そんなことある?」
「おおかた、高校野球ブランドに憧れて見学に来てみたのはいいけど、現実は根性だの気合だの言って泥まみれになって球を追っかけ回す、地味でつまんない活動に見えたのかもよ」
「その現実……、厳しいな」
しかし、ここまで少なくなると見学者一人一人のチェックができるという利点があるというもの。練習をしているふりをしながら見学者たちをチラ見している一年生がいた。
「おい、あの娘可愛いぞ。目の大きなショートカット!」
「うるせーよ、お前の好みなんかどーでもいいんだよ!」
「マネージャーになるかもしんねーんだぜ、しっかりチェックしとかねーと!」
「何のチェックだよ?」
「心の準備が必よぅ…………」
「んっ?」
インパクトを捉える練習をしていた手が止まる!
それほど気になる見学者を見つけた一年生選手。荻野原クラブから野球推薦で入部していた、青野猛である。
「大和、大和!」
猛が声をかけたのは、同じく荻野原クラブから野球推薦で入部していた一年生、西原大和。
「さっきからうっせーなぁ!」
「あの見学者、見覚えねーか?」
「目の大きなショートの娘なんか知らねーよ!」
「じゃなくてよ!」
「だったら同級生とかだろぅ!」
よく見もしないで……、というよりも先輩方の目が気になる大和は、小さいながら強めの口調で猛の言葉を突き返していた。
「違うって! 目の大きなショートカットの後ろの女子だよ!」
めげずに訴える猛の必死さに、大和はバットスイングの確認をしたふりをしなが、あくまでもさりげなく見学者の方へ視線を移した。
「んーっ?」
猛の言うように見たことのある顔がそこにはある。
レフト側防球ネットの外で見学している男子生徒たち、そのすぐ後ろにまとまっている女子生徒三人。その一番後でひっそりと立つスラッとした、というよりはやせ型で女子としては背が高く、ショートカットで日に焼けた女子生徒の姿があった。
ボクの妹、鳴沢夏帆だ。
「まさか、アイツも野球部……、選手で?」
「んなわけないでしょ。いいかい猛くん、あの人はあー見えても女子だよ、一応」
「そうだよね、大和くん」
「マネージャーでしょう? たぶん」
「そう、そうだよなっ……」
夏帆の姿に気を奪われ、荻野原クラブ時代を思い出す大和と猛の頭の中は、現実と幻想が相まみえていろんな可能性を巡らせていた。
「でも大和……、あり得ねーけど、もしアイツが、選手として野球部に来たら……」
「ああ、甲子園だって夢じゃねーぞ、猛!」
「だってアイツは、とんでもねぇピ」
「コラーッ! そこの二人ィー!」
夢物語が悪夢に変わった。気にすることを忘れていた先輩方の目が、強い直射日光のごとく大和と猛に注いでいたのだ。
「スイマセンシタ!」
次の日から一週間、昼休みを利用しての部室掃除をさせられたことはちょっとした話題になった、大和と猛だった。
そして今日もまた部活動見学に精を出す生徒たち。それは短期間ではあるけれど、お目当ての部活動が決まるまで続くのだ。
「ねーねー、今日も野球部の見学に付き合って」
「しょうがないなぁ。翔子は野球部確定だね!」
「もちろん。あたしは野球部しか見てないもん!」
「まっ、私は文化部決定だから別にいいけど。しょうがない、付き合ってあげるよ」
「サンキュー!」
三週間ほど部活動見学に足を運んだ生徒たち。学校の正門を飾る桜も葉桜の緑を輝かせる頃には、野球部にも男子二十人、女子二人の新たなメンバーが加わった。そして真新しい二十二人のジャージ姿は、初めての部活動としてバックネット裏に集合していた。
ちなみに夏帆は選手希望で入部届を提出していたけれど、その思いは届くことなくマネージャーとして受理されていた。
やはり、女子生徒が選手として入部することは通る話ではなかったようだ。父と母の心配が的中したということになる……。
夏帆、現実ってヤツは、むごいよな……。
「鳴沢さんって、普通科ニ組ですよね」
夏帆の素性など知る由もない新入部員たちが並び、緊張感有り有りのなか男子たちの後ろに並ぶ女子二人。小さい声ながら親しげに夏帆に声をかけてきた、クリッと大きい目が印象的で肩まで伸びたストレートボブがとても似合う、キャピキャピ系女子が笑顔を見せた。夏帆とは正反対のキャラだ。
「あたしも同じ二組なの。柴橋翔子って言います。同じクラスで同じ野球部マネージャーって、すっごい偶然だよね。よろしくね!」
「そ、そうですね。見学のときもいましたよね。こちらこそよろしくね……」
満面の笑顔を振りまく翔子のフレンドリーさに圧倒され、選手希望であることを明かすこともできずに受け答えをする夏帆だった。
ヒソヒソ話をする夏帆と祥子、そして男子新入部員たちが集合しているバックネット裏は、大きな屋根がかかっていることもあって直射日光は遮られていた。そしてその下、バックネットのコンクリート土台にピタリと寄せられてグラウンドに向けて置いてある二組の机と椅子。黒ずみやキズに歪みなど、滝岡高校野球部の歴史が刻まれたとでもいおうか、何年も使い込んでいるのが見たままの机と椅子である。
そこに一人、清潔感溢れる白の半袖Tシャツと赤色の長ズボンジャージ姿の女子生徒がやってきた。
「お疲れさま」
「「お、お疲れさまです」」
部活動見学のときにも見ていたマネージャーのかけた言葉に、新入部員たちは表情を和らげることができないまま各自バラバラに頭を下げるのが精一杯だ。
「私はマネージャーだから、緊張しなくていいよ」
ほがらかな笑顔から覗く八重歯がとてもチャーミングな二年生、清野遥香マネージャー。
さわやかな声、背中まで伸びたサラサラでまっすぐな栗毛色の髪。女優のようなモデルのような、まるで雑誌から飛び出してきたような容姿に、長袖長ズボン紺色ジャージ姿の男子生徒たちはただただ見とれているばかりだ。
「あれ、林崎君……って、菅里君の後輩の?」
遥香の目が、硬まりながら立つ一人の新入部員に止まった。真新しいジャージの胸元に刺繍してある名前を見つけて出た言葉だったが、その驚いた表情も、口から流れ出る声も、全てにかわいらしい遥香に、より以上にビックリドッキリの林崎。
「ハ、ハイ、林崎です! 菅里さんの後輩の、林崎仁です!」
遥香と菅里は中学時代のクラスメイト。しかし、遥香は中学校部活動の軟式野球部マネージャー、対して菅里は中学硬式野球クラブチーム所属ということもあり特に話をしたことはなかった。が、たまたま二人とも滝岡高校に入学して野球部に入部。帰りは最寄りの駅まで電車で十五分間揺られ、同じ駅で降りて同じ方向に自転車をこぎ出すため、いつの間にか話をするようになったのだった。
そのなかで菅里は「俺は背番号1を付ける。そして必ずお前を甲子園に連れて行く!」などということを毎度毎度言ってるという。
「突然ごめんね。ビックリしたでしょ?」
「い、いえ、大丈夫です」
「それで菅里君がね『俺が中学硬式クラブんときに面倒見ていた林崎という後輩が、俺を慕ってウチの高校に来る。俺共々よろしく頼むわ!』って毎日のように言っててね、それで今、目の前にその名前があったもんだからつい……」
「そ、そうだったんですか、家が近いこともあって、志郎君……、あっ、いや、菅里さんとは小さいときから一緒で……」
「うん、聞いてる聞いてる。菅里君がね、何回も何回も、一言一句完コピしたように同じ話をしてくれるから」
一学年上の女子マネージャー。半袖Tシャツの白さと重なる透き通るような白く細い腕。さらに膝まで捲り上げた赤色ジャージから伸びるツヤツヤと輝く白い脚。目鼻立ちの整った美形。
中学時代はマネージャーなどはなく世話役はもっぱらお母さん方という世界で野球をやってきた男子部員にとっては、とても眩しいオーラに包まれた清野遥香マネージャーであり、天使がそよ風に乗ってやって来たように見えていたのかも知れない。
「練習止めぇ!」
グラウンドから響くキャプテンの大きな声。それが合図となり全員が練習を止め、バックネット脇にあるグラウンド出入口方向に体を向けた。
そこには少し大きめの練習着がメタボ体型を隠す、三津田野球部監督が姿を見せていた。選手たちはその場で脱帽して直立に。バックネット裏でも同様に直立に硬まっている。そして、互いに挨拶を終えると三津田監督は一塁側ベンチに移動した。
「全員集合!」
キャプテンのかけ声に、グラウンドからは全力疾走で一塁側ベンチ前へ。そして選手たちがベンチ前へ揃ったのを確認したキャプテンは、改めてバックネット裏に向けて声をかけた。
「マネージャー以外の新入部員も集合だ!」
春とはいえ日差しは強い。直射日光を浴びながら坊主頭に流れる汗をぬぐうこともせず、直立不動のユニフォーム姿とジャージ姿が揃う。
バックネット裏では、男子新入部員がいなくなった分、心地良い風を感じながら清野遥香マネージャーを前に、柴橋翔子マネージャーと選手希望マネージャーの夏帆が並んだ。
「ウチのマネージャーは、監督さんやキャプテンから言われない限りグラウンドに入ることはないんだ。変わってるでしょ」
「は、はい」
「そう、なんですね」
「ふふふっ。二人ともリラックスリラックス」
グラウンドにもたまに吹く清々しい風が、にじみ出た汗を少しだけ冷やして爽快さを感じさせる一塁側ベンチ前。そして、メタボの白いユニフォームが選手たちの前に立った。
「今日から、一年生も全員が正式入部となった。同じ一年生でも、野球のために入学してきた者と、入学してから入部する者とがいるわけだが……、いいか、推薦だろうが一般入部だろうがそんなものは関係ない」
「…………」
「それは入学や入部の方法にしか過ぎない。俺は力ある者をどんどん使っていく。いいかよく聞け、チャンスは皆にある!」
三津田監督のそれほど大きくはないが通る声に部員全員が目を輝かせ、坊主頭に刺さる直射日光以上に熱い鼓動を感じていた。
そしてその言葉は、バックネット裏で聞き耳を立てている夏帆にもしっかりと届いていた。
夏帆は選手希望である。気持ちの高ぶりは暑い中グラウンドに立つ選手たちよりも強い物があるかもしれない。そのため三津田監督の今の言葉が、夏帆にとっては希望そのものだった。
三津田監督の言葉が終わり、キャプテンの指示のもと暑いグラウンドに散った選手たち。そして、今日から参加の新入部員も含めて一年生たちは小グループに分けられての基礎練習なのだが、その指揮を任された二年生の菅里志郎、何を勘違いしたのか表情を強張らせながらグダグダと話を始めた。
「いいか一年、よーく聞け!」
「「……」」
「返事がねーぞぉー!」
「「ハイッ!」」
「先輩が話してんだ、しっかり返事しろ!」
「「ハイッ!」」
「よーし、それでいい。いいか、目標は甲子園だ、そのために勝つ!」
「「ハイッ!」」
「勝つ、それは試合だ!」
「「ハイッ!」」
「なーんて言うと思っただろう? そんなこと言ってるから勝てねーんだ!」
「「ハ、イ……」」
自分自身の言葉に酔っている菅里。新入部員たちは真剣な顔をしながらも内心は呆れ始めていた。もう、菅里の次の言葉は悟られているのだ。
「勝つ! それはただ一つ! それは……」
突然話を止めたかと思うと、ニヤけながら新入部員たちの顔を見渡した。
「自分自身だ!」
言い切った菅里は渾身のドヤ顔!
「わかったか一年! わかったら練習だ! 自分に勝つんだ! 意味のある練習をしろ!」
無抵抗だからこその権力にも見える菅里の態度。バックネット裏に向かって歩いていた三津田監督も大きなため息と呆れ顔。
しかし、それもいつものことと菅里ワールドを遮断し、気持ちと表情を切り替えながら日陰のバックネット裏へとやって来た。
夏帆と翔子に緊張が走る。特に夏帆の表情が険しい……。
「ご苦労さん」
「お疲れ様です」
「「お、お疲れ様です……」」
遥香に続いて挨拶をする夏帆と翔子。メタボな練習着姿の見慣れない笑顔は、何となく近所の優しいおじさん感が漂って見えた。
「先輩マネージャーがいなかったからずっと遥香一人でやってきたけど、今度は一年生二人が加わってだいぶ楽になるな」
「はい」
笑顔一杯に遥香をねぎらい、目線を夏帆と翔子へと移した。
「自分のペースで構わない、まずはこの野球部に慣れるように。わからないことは遥香先輩に聞いて、しっかり覚えるように」
「はい」
要点を伝えると、メタボな体型を反転させ、指導に戻ろうとする三津田監督。
「スミマセン!」
夏帆は焦りを覚え、必死で心の底の声を絞り出した。
「わたしも、野球をやらせてもらえませんか!」
あり得ない夏帆の発言に、遥香と翔子は鳩が豆鉄砲を食らったかのような驚きようだ。しかし、三津田監督は落ち着いたまま夏帆へと向きを変え、優しく丁寧に話し出した。
「鳴沢夏帆さん……、だったね」
「はい!」
「入部届けを受け取ったときに、野球部部長先生でもある担任の笹崎先生から伝えてもらったはずだが、高校野球は男子生徒のみと決まっているんだ」
「はい、わかってます。それでもわたし……」
「中学では軟式野球部だったね。確かに、選手として試合に出たこともあるようだ」
「はい」
「硬式野球になるんだよ」
「はい、わたし中学のとき…………」
「決まりは決まり、それは変わらないよ」
三津田監督の言葉が、なんとか喰らい付こうとする必死の夏帆の言葉を打ち消していく。
「そこを何とか……、考えては頂けませんか!」
心の中では、神様お願いと祈りながら話す夏帆の声はか細く、まるでたまに吹くそよ風のよう。
「この件については、もう少し話し合いが必要のようだな」
通る声で話題を打ち切ると、そのままメタボ体型は背を向けて行ってしまった。
「お兄ちゃん…………」
ボクを思いながら必死でアピールをする。夏帆、辛い思いをさせてるね。
「鳴沢さん……、野球部に選手として入りたかったの?」
遥香の問いに、そうそうとばかりに翔子も大きな瞳を夏帆に向けて注目している。
「はい、わたし野球がやりたくて滝岡に……」
そう言うと、一塁側ベンチに向かう三津田監督の後ろ姿を見つめる夏帆。乾いたグラウンドを歩く三津田監督の足音が妙に耳に刺さる……。いや、心に刺さっているのかも知れない。
「鳴沢さん!」
翔子のキンキラ声が、三津田監督の足音をかき消して夏帆の耳に届いた。
「えっ、はい?」
「野球、やって!」
「えっ?」
「あたしも、中学までは選手として野球やってたんだ。まぁ、試合には出れなかったけど……」
「な、何言ってるの柴橋さんまで?」
まさか、夏帆の考えを後押ししてくるとは思いもしなかった遥香。しかし、翔子は話を止めない。
「あたし、鳴沢さんが監督さんにアピールする姿を見て凄いって思った!」
「えっ?」
「だって、本気なんだよね?」
「うん……」
「だから野球やって! あたしの分まで。鳴沢さんなら、いや、夏帆ならやれる! 気がする」
「だから……、柴橋さんまで何を言ってるの!」
少女マンガのようにキラキラ輝く瞳で話す祥子の天真爛漫さが、バックネット裏に吹く風のように、ギュとした心を和らげて夏帆を包んでいた。
それからというもの、夏帆と祥子は常に一緒にいた。グラウンドでは話せない選手希望の話や甲子園出場の夢物語も、普通科二組の教室だと誰に気兼ねすることなく話すことができた。そして共感する二人は友情を深め、翔子の性格が無謀な夢を追う夏帆の心の支えとなっていった。
しかし、部活動での夏帆はバックネット裏。そして夏帆の気持ちをあおるように、紺色のジャージ姿だった男子新入部員たちも眩いくらいの白い練習用ユニフォームに変わり、日々の練習に赤茶色の土を染み込ませていた。
「夏帆……、大丈夫?」
「しかたないよ。これが現実なんだもの……」
「でも、悔しいよね……」
「わたしのことなのに悔しがってくれてありがとう」
二人の深まる友情をよそに、グラウンドでは一年生の練習メニューが淡々と進んでいく。小グループに別れて、グラブさばきやバットスイングなどの基本練習をメインに行われていた。
お互いにポイントやコツなどを交換するという知識力、観察力、また環境への感謝の気持ちを高める狙いもある練習なのだ。
すると一つのメニューが終わり、スパイクの歯で荒れた土をレーキやトンボーでならす一年生部員のどこからかさりげなくつぶやく声が聞こえてきた。
「なぁー、二年の菅里さん……、俺ちょっと苦手なんだよなー」
何の気なしに耳に入ってきた言葉。聞いていいのかという戸惑いを覚えながらも、誰彼となく菅里の話題に染まっていた。
「俺も。嫌味だし自慢げだし何でもかんでも押し付け、でしょう? そういうのって、どうかと思うんだよね……」
「しかもさ、知ったか振りする割りには突っ込まれるとすぐに逆ギレするからさ、話をしたくなくなるんだよな」
「そうそう。同じ同じ」
これまでは借りてきた猫状態だった一年生。菅里の話題が出た瞬間、導火線に火を付けた花火のように吐き出し始め、話がどんどん広がりをみせたかと思うといつしか他の先輩たちのことにまで飛び火していた。
もちろん先輩たちには聞こえないような小声のはずなのに、だんだんとエキサイトし、話に話をかぶせてペチャクチャとまるで線香花火のように。
「一年! 手が止まってるぞ!」
案の定、キャプテンの怒号が飛んだ。その大声に一年生部員の声もピタッと止む。まるで、線香花火の火の玉が、ボトッと落ちた後の静寂に包まれたかのようだ。
でもそれ以降、一年生たちの絆が深まることになる。土ボコりの舞う中での出来事であった。