第5話 木の葉にて最強
「は? なんだよどういう意味だよ」
「障碍者は社会生活に制限を受ける状態にある人のことを言うわ。そういう制限があるのは仕方がないし、そういった人たちが社会に支えられるのは、社会のあるべき姿だわ」
「お、おう」
なんだよいきなり捲し立てて。
「でも私たちは社会生活に制限を受けていない。制限なく社会生活が送れている。そんな私たちを障碍者とすることはむしろ、障碍者を軽視しているとしか思えない。あなたは自分が障碍者扱いをされるのが嫌だと言ったわね」
「あ、ああ」
久遠の表情は険しくなる。
「それが軽視しているということよ。障碍者の人だって私たちと同じだとは思われたくないわ。障碍者は自分の意思で障害を持っているわけじゃない。支えられたくて支えられているわけじゃないの。好きでそうなっているわけじゃない。だから、好きでなっている私たちを同じ障碍者として扱うことを止めるべき。そうじゃなきゃ、障碍者の人たちが報われない」
環は右腕に左手を添え、斜め下に視線を向ける。
久遠が何を考えているかわからない。でも――
久遠にとってそこに重要なことがあることだけはわかる。
障碍者であることに劣等感を抱いているわけではない。それ自体はべつにどうでもいい。
「お前は、ただ自分が障碍者だと思われたくないから社会を変えたいってわけじゃないってことか」
「ええ、今の社会が嫌いだから変えたいのよ」
今の社会が嫌い、か。
たしかに俺も今の社会、というかリアルの世界が嫌いだ。
俺はリアルの世界にただ、興味がなく、そして、何も期待していない。何も求めていない。
しかし久遠は違うのだ。リアルに希望を抱いている。
いや、それは果たしてリアルに希望を抱いているというのだろうか。
少なくとも俺のように、閉鎖された世界で満足している人間じゃないのだ。
久遠だって俺と同じように二次元の世界に満足したいのかもしれない。だからこそ、閉鎖された自分の世界を守るためにリアルというコンテンツを変えようとしているのだ。
到底、俺には考えられないものだ。いや、世間のオタクたちも考えないだろう。
どうして自分の閉鎖された空間にいるだけじゃ満足しないのだろう。
満足すればいいじゃないか。周りにどう思われようが、俺たちの閉鎖された幸せな世界はたしかにそこに存在する。そこにいれば、周りにどう思われようが、気にならない。
俺はそうだ。
井の中の蛙だ。井戸の中にいるだけでいい。その方が心地良い。わざわざ大海に手を出す必要はない。大海にあるのは俺たち蛙を容赦なく波打つ反発しかない。
だがそれでも久遠は大海に手を伸ばす。そこには久遠にしかわからない動機があるのだ。
その動機とはなんだろう。多分、自分の好きな二次元を否定されるから社会を変えたいという理由だけではない気がする。もっと、久遠の中で確かな意思があるのだ。
閉鎖された世界ではなく、どこまでも無限に続く世界を変えたい。
なぜ、そう思うのだろう。どうしてそこまでするのだろう。
「どうしてそこまでして社会を変えたいんだよ」
「言ったでしょう。嫌いだから社会を変えたいのよ」
どうしてそこまで嫌いなのかが知りたいんだけどな。まあ、社会、リアルが嫌いな気持ちは俺も共感できる。
「とにかく、社会を変えるために、俺に協力しろってことか」
面倒だ。そんなことに付き合う義理はない。というか付き合ったところで俺は、何もできない。
「私と同じ立場で、それであなたは自分の好きなものを堂々と好きだと言える力がある人だわ」
「え、俺そんなにすごい人なの?」
「……認めたくないけどそうだわ。今の世の中で堂々とエッチな表紙のラノベを読める胆力があるのはあなたぐらいだわ」
「あれは牽制のためだ」
ふっと鼻で笑う。
「牽制?」
「ああ、今読んでいるヒロインは俺の嫁だから他のやつは手を出すなってな」
「は? あなた何様? 『ボクの前ではみんな好き好き大好きっ子』のメインヒロイン如月かのんちゃんは私の嫁よ」
「はあ⁉ お前何様⁉ お前女だろ? 女のお前の嫁にはなれませ~ん。俺の嫁です~」
「障碍者軽視の次は、男女差別。あなた本当に性根が腐ってるわね。いい? 良く聞きなさい? 愛に性別は問わないわ。つまり、かのんちゃんは私の嫁。OK?」
「OKなわけあるか! これだけは絶対に譲れない!」
「あなた、三か月に一度嫁が変わるタイプでしょ? あなたのことだから他のラノベを読んでいるときはそのヒロインを嫁だと言っているでしょう?」
「ぐっ」
「図星ね」
こいつ、痛いところついてきやがる! 血継限界の持ち主か。
「じゃあお前は違うのか⁉ ずっとかのんちゃんが嫁なのか⁉ 絶対に三か月に一度嫁が変わることないんですかぁ? 他のラノベ読んでるときもずっとかのんちゃんのこと考えてるんですかぁ?」
「ぐっ」
久遠は腕で顔を防ぐようにして前に出し、一歩下がる。
いやお前も図星かよ。もっと頑張れよ。もろにカウンター食らってんじゃねえか。は〇めの一歩も驚くほどのカウンターだよ。
「というか俺、お前より絶対オタク度高いし! どうせお前『あい♡ぷり』観てねえだろ。ちょっとラノベ読んでっからってオタクぶるんじゃねえよ!」
「はっ! 『あい♡ぷり』は毎週生で観てるわ」
「や、やるな。誰推しなんだ」
「私はハコ推しよ」
「で、た、よ、ハコ推し! それは愛が分散してヒロインたちに届いてませ~ん。俺のすたあちゃん愛はお前より大きい!」
「私のすたあちゃんの愛はあなたより絶対に大きい。問題よ! すたあちゃんの身長は何センチでしょう!」
「えっと、たしか百――」
「ぶっぶ~残念時間切れです~。正解は百四十センチでした~。はぁ、これだからニワカは」
久遠は俺を見下した顔をして肩をすくめて見せる。
「おい! 今俺答えようとしただろうがよ! 制限時間1秒のクイズなんてあってたまるか! はぁ、これだからオタクは。す~ぐ、マウント取りたがる。嫌だなぁ」
「あなたにオタク呼ばわりされたくないわ。というか、いい年した男が女児向けアニメ観ているんじゃないわよ」
「お、お前! どの層が『あい♡ぷり』支えてると思ってんだ! 誰がブルーレイ買ってんだと思ってんだよ。俺たち縁の下の力持ちが支えてんだぞ!」
「はぁ、これだから害悪キモオタは。あなたたちのせいで本来の年齢層向けのイベントもあなたたちのようなむさいオタクが占領するのよ」
「もう占領してませ~ん。女児対象のイベントには男性の入場制限があるから入れませ~ん」
「はっ! 通りで前より気持ちよくイベントに参加できると思ったわ」
「お前もイベント行ってんじゃねえか! 結局、むさいオタクが占領してんじゃねえか!」
「あなたと同じむさいオタク扱いしないでもらえる? 私は純粋な愛でヒロインたちを愛でてるのよ」
「俺だってそうだよ!」
「性欲が一切ないと言い切れる?」
「ぐっ」
「図星ね」
こいつまた痛いところついてきやがる! 木の葉にて最強なのか!?
「じゃあお前は一切よこしまな気持ちなく見てんのか⁉ ヒロインの入浴シーンやラッキースケベに一切何も感じないんですか⁉」
「ぐっ」
再び久遠は一歩下がる。
いやだから図星かよ。こいつなんなんだよ。自分が攻められるポイントで攻めてくんじゃねえよ。
久遠は咳ばらいをして、姿勢を正す。
「あなたと言いあっていたら日が暮れるわ」
「誰のせいだよ」
「あなたのせいよ」
「あ⁉」
「は⁉」
俺と久遠はバチバチと睨み合う。
「本当にきりがねえ。なんだっけ? 俺とお前が偽物カップルになるんだっけ? まったく、どこのラブコメ参考にしてんだか、リアルと二次元の区別もできねえのか」
「あなたに言われたくないわ。そもそもポストカードの返し方もなにあれ? 何ラノベの主人公っぽくしようと恰好つけているの? 全然格好よくないわよ?」
「お前に気を遣って返したんだろうが!」
「私がそんなお願いした?」
「くっ、こんなことなら返さなきゃよかった」
「――とにかく、今から私たちは恋人よ」