ファーストインプレッション
十二歳、夏――僕は父さんの転勤に付いて行く形で生まれ育った街を離れる事となった。
学校の友人と離れるのは寂しかったけれど、携帯越しならいつでも話せるので心底という訳でもなく。
新生活への不安の方と、期待が大きかった。
新しい家は、元の狭いアパートと違い自室もある戸建て。
僕が抱える期待の、大きな要因だ。
父さんと母さんが荷ほどきをしている間、僕は家の見学に来た際会った隣人にでも挨拶をしようと外へ出る。
中島富江、白髪が生えそろった上品な老人――家はガーデニング趣味で満たされた庭が特徴的な、赤い屋根の戸建てに一人で住んでいる。
家の前まで行くと散水ホースの音が聞こえたので庭に居るのかと柵から敷地内を覗く。
そこには想定と随分違う人物が居た。
黒髪を後ろで一つに束ね、若い肌には玉の汗。
テラスの椅子に座る富江さんと何かを話しながら水を撒く、女学生だ。
横顔だけで確信した――間違いなく、僕がこれまでに出会った人の中で一番の美人であると。
思わず息が止まり、逆に心臓はその存在を主張し始め、脳を焼かれるとはこの事かと理解する。
「――すごい」
思考は単純化し、口を突いて出た言葉はあまりに稚拙。
だが彼女には届いた――反応しこちらへ振り向くと、口元にほくろが見え。
それと同時に、比喩では無く直接的な意味で冷や水を浴びせられた。
「あっ、ごめん!」
慌て、彼女は体と共に僕へ向いた散水ホースを止めて柵の傍まで。
体は濡れて冷たくなっている筈なのに、芯から燃えるように熱い。
「おばあちゃん、タオル持ってきて!」
「そんな、大丈夫です……」
「そう言わんと、中来て! ホンマごめんな」
元々の出身が関西なのか、気まぐれで使っているだけか、訛った口調で言われる。
門を開けてもらいテラスまで連れていかれるとそこで富江さんがタオルを出してくれ――頭を拭いていると、あら? と何かに気づいた様子。
「もしかして、鳴海くん?」
「憶えててくれたんですか」
「うちの庭を綺麗だって褒めてくれたんだもの、忘れたりだなんてしないわ」
「そっか……今日、隣に越してきました。これから宜しくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくね――ほら千紗、こちら鳴海くん。挨拶しなさい」
言われると、彼女――千紗さんはどこかから椅子を一つ持ってきて僕の傍へ、椅子三つが小さな丸テーブルを囲う形で配置。
自分は元々置いてあったものに座ってから会釈をした。
「ささ、座って――私千紗。お父さんが海外転勤になってしもて、先月からこっちおるんよ。話聞いてたけど同じ引っ越し仲間やろ? 仲良くしてな」
「僕も、父さんの転勤で来ました! その……仲良くしてください!」
「ははっ、そんな緊張せんといて。多分そんな歳離れとらんやろ? 私は十三、今年から中学な」
「今十二で、来年から中学です!」
「そっか、なら一緒に通うんかもな」
言いながら、テーブルに置いた僕の手の指へ自身の指を絡ませる。
突然の事だったので驚き背筋がびくりと跳ね、千紗さんもそれに驚きすぐ指を放してしまい。
自分の中に安堵と、惜しさを感じる。
「鳴海くん、ご両親は?」
「今引っ越しの荷物出してます! 一応家出る事は言ってきました」
返すと、富江さんは上機嫌に目を細め、ゆっくりと席を立つ。
「それなら、お茶でも淹れようか」
「それが良いわぁ! まだ服も乾かんやろ、ゆっくりお話ししよや」
「ならお菓子も出しましょうか。昨日一緒に焼いたスコーンがまだあるでしょう?」
僕の意見が挟まる隙もなく、ゲリラでお茶会の開催が決定した。
勿論嫌ではない。
結局、服はすぐに乾いたものの、僕達は日が暮れ始めるまでたわいのない話を続け。
そろそろ解散にしようかというあたりで、千紗さんが土産にスコーンの余りを持たせてくれた。
包装の口を縛るリボンには紙が挟んでおり、帰宅後段ボールが並ぶ自分の部屋で確認すると電話番号が。
連絡の理由なんてのはお茶の礼でもなんでも理由はこじつけられるだろうが、番号を登録だけして今日は終わりに。
夕飯まで、まだ中身の減らない包装を眺めていた。
食事時の会話として隣人との人付き合いというのは悪くないものだと思うが、今日の事は話す気にならず適当に近所を歩いていたと話をでっち上げ。
本当の事は、大切な話として胸に留めておく。
今朝あった不安はすっかり消え、今はこれからへの期待だけが残っている。
稚拙な一言から始まった、新生活への期待だけが。
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