第12話 研ぎ師
半刻ほどかけて、ローザリッタとヴィオラは都市郊外の鍛治町に到着した。
シルネオの鍛治町は街路に沿って水平に建てられた長屋仕立てで、区切られた部屋の一つ一つに、それぞれ独立した鍛冶工房が店を構えている。
あちこちから絶え間なく響く槌の音や、灰色の煙を吐き出す煙突が等間隔に連なっている光景は、先程の目抜き通りとはまた一味違う情緒があった。
通気のために開放されている戸口から見えるのは、規則的な拍子で相槌を打つ半裸の職人たち。真っ赤に焼けた鉄を槌が打ち据える度、火花が飛び散って、薄暗い工房をぱっと照らす光景は実に幻想的だ。
(あれは蹄鉄でしょうか。こっちは鍬……いろいろありますね)
鍛冶町といっても、住んでいるのは何も刀鍛冶ばかりとは限らない。包丁や鋏、鉈や鎌など、生活に関わる専門鍛冶もここに拠点を構えている。
日常的に使われる道具が産声を上げる瞬間は、見ていて非常に興味深くはあったが、残念ながら今日の本題ではない。ローザリッタは努めて専門鍛冶店の一画を通り過ぎ、目的の場所まで歩を速めた。
歩くこと、暫く。
鍛冶町の一端に、伯爵家御用達の研ぎ師の工房があった。
ローザリッタとヴィオラは工房の門を叩くと、弟子と思しき若者が暖簾の向こうから顔を出した。早速、親方に取り次いでもらうようお願いする。
「親方は多忙なんだ。一見さんはお断りだよ」
若者は露骨に嫌そうな顔をした。
工房を取り仕切る親方は、この街一の研ぎ師である。その腕を求めてやってくる剣士は後を絶たないが、すべての依頼に応じることなど到底できない。客を選ばざるを得ないのは名店の宿命だろう。
とはいえ、若者の素っ気なさはお得意様に対する態度とは思えなかった。というよりも、二人が何者かわかっていない様子だ。弟子入りして日が浅いのか、それとも、いつも派遣している使者と顔が違うからか。もっとも、まさか伯爵令嬢が直々に歩いて来店するような事態は誰も想定しないだろうから、しょうがない部分もあるだろうが。
ローザリッタが名を告げ、ヴィオラが家紋入りの根付を掲げた。それを見た若者の顔色がみるみる変わっていき、脂汗を流しながら慌てて奥へ引っ込んだ。すると――老齢の男が玄関まで早足で現れ、二人の前に平伏して迎えた。
「うちの馬鹿弟子が大変な失礼をいたしました。何卒、お許しください」
「面を上げてください。そう畏まらずとも結構ですよ」
孫と変わらないような年齢の小娘を前に、すっかり平身低頭する老研ぎ師に、ローザリッタは柔らかい物腰で告げた。
「しかし、わざわざお越しになられずとも、遣いを寄越していただければ、すぐに馳せ参じましたのに」
「いきなりの訪問は失礼かと思いましたが、早急にお願いしたいことがあったので……」
「……なるほど。畏まりました。まずは、刀を拝見させていただきましょう」
老研ぎ師はローザリッタから手渡された刀を受け取ると、丁寧に鞘から抜いた。
露わになった白刃に視線を這わせると、顔の皺が一気に深まる。
「……何をお斬りになられました?」
「石灯篭を」
「石灯篭……ですか?」
老研ぎ師は戸惑いの表情を浮かべた。
「それはまた、どうしてそんなものを?」
「実は、お父様と元服を賭けて――あいたぁっ!」
言いかけて、甲高い悲鳴を上げる。馬鹿正直に話そうとしたローザリッタの頭を、ヴィオラがすぱんと叩いたのだ。
「残念だが、仔細は話せない。伯爵家の内情に関わることだ」
ヴィオラの言い方は仰々しいものだったが、嘘ではなかった。灯篭斬りは親子喧嘩の産物ではあるが、家督の継承問題も絡んでいる。いたずらに漏らしてしまえば、領民に要らぬ不安を与えることになるだろう。
「なるほど。それで、どうなりましたかな?」
「残念ですが、切断には至りませんでした」
「でしょうな」
当然と言わんばかりの口ぶりで老研ぎ師は言った。
「試斬に使うものはいろいろあります。竹。巻藁。畜生の骨付き肉。罪人の死体。最も硬いのは鉄兜でしょうか。いわゆる兜割りと呼ばれるものですね」
兜割とは、文字通り、鉄の兜を据え物とした試し斬りだ。
試斬の中では難易度は最上。竹や巻藁と違って、鋼鉄製の兜は桁外れに頑丈だからだ。また、形状の問題もある。曲面で構成された兜は、刃筋を正しく立てて斬りつけなければ、命中してもたちまち上滑りしてしまうのだ。
「私はこれまでに何度か兜割りを拝見したことがあります。装甲が分厚い真正面に打ち込んだ剣士たちの刀は軒並み使い物にならないほど湾曲しましたが――中には、正しく特性を捉え、三寸ほどの切込みを入れることに成功した剣士もおりました」
「おお。それはすごい」
「ですが、それが限界です。名人の腕前と名刀の性能を以てしても、両断など程遠いのが現実です」
「まあ、そりゃそうだ。鎧や兜ってのは、相手の武器から体を守るのが役目なわけだし。刃を止められないのなら、わざわざ重たい防具を装着する意味がない。刀剣に対する絶対的な防御力が保障されているからこそ、人は具足を身に纏うわけだしな」
ヴィオラが腕組みをしながら、頷いた。
実際、剣術においても鎧兜を真正面から打ち破る技など皆無である。そんな力業よりも、守りの薄い関節部などを狙う術を獲得したほうが効率よく相手を無力化できる。
そう考えると、兜割りなどという試しは、斬れないものをどうにかして斬ってみたいという反骨精神以外の何物でもないのかもしれない。
「竹やら巻藁などは児戯だと申す輩は一定層おりますが、私から言わせれば、鎧や兜を使った試斬は刀の領分を逸脱しております。刀剣とは端的に言えば、肉を斬り裂くための包丁に過ぎません。いくら切れ味が鋭かろうと、肉ではない鎧や兜を断ち切るなど想定して作られていないのです。鎧兜を攻略するのであれば、別の道具を用いたほうがはるかに容易でございましょう。ましてや、石灯篭などもってのほかです」
老研ぎ師の言葉はもっともだった。現実的で、合理的で、常識的な意見。
しかし、それが絶対でないことは、他ならぬローザリッタがよく知っている。つい今朝方、彼女が弁えていた現実と合理と常識が目の前で否定されたのだから。
「それを承知の上で、敢えてお尋ねしたいのですが――そういう、尋常じゃないものを斬った剣士をご存じないですか?」
藁にも縋る思いで、ローザリッタは問いかけた。
「そうですね……一人、存じております」
「本当ですか⁉」
思いがけない返答に、ローザリッタが前のめりになる。
「あれは……もう四、五年ほど前になりますか。私の娘が王都の研ぎ師の家に嫁いでいるのですが、子が産まれたと文が届きまして、初孫の顔を見るために王都へ向かったのです。しかし、その道中、運悪く野盗に出くわしましてな。腕が立つだけでなく、装備もなかなかに整った連中で、雇っていた護衛はすぐにやられてしまいました」
絶体絶命の危機に陥った老研ぎ師ではあったが、孫の顔を見るまでは死ねないと思い、遮二無二、近くの森へ逃げ込んだ。
しかし、こちらは老体。向こうは悪事をしでかす程度には活力に満ちた若い体をしている。体力勝負では歯が立つはずもなく、すぐに追いつかれてしまった。
もはやここまで。そう観念した、その時だ。
森の奥から一人の剣士が現れ、老研ぎ師と野盗との間に割って入ったという。
「……凄まじい強さの剣士でした。襲ってくる十人の野盗をたった一人で、それも一瞬のうちに斬り伏せたのです。私も長いこと研ぎ師をやっておりますが、あれほどの腕前の剣士は見たことがありません。王国最強でああらせられるマルクス様にも匹敵し得るのではないか。本気でそう思えたほどです」
「そこまでの腕ですか」
ローザリッタが瞠目する。
「そして、ここからが重要ですが――その剣士は最後の一人となった野盗の頭目を唐竹に真っ二つにしました。頭目が重装の騎士にも劣らぬ鎧兜を身に纏っていたにも関わらず、です」
老研ぎ師は左手の人差し指を立てて額に当てると、そこから鳩尾のあたりまで、すっと下した。人体の正中線には急所が多いため、そこを守る防具は最も頑強に造られている。それを真っ二つにしてしまうとは――なるほど、兜割りの話を含めて考えると、ローザリッタの言う、尋常ならざるものを斬る剣士に該当するだろう。
「私は助けていていただいたせめてもの礼にと、剣士の刀を研がせてほしいと申し出ました。しかし、それは無用でした。何故なら、お預かりしたその剣士の刀には刃毀れ一つなかったからです」
お父様と一緒だ、とローザリッタは思った。灯篭を斬ったマルクスの刀もまた、刃毀れ一つなかった。
「あれだけ打ち合っておいて、ましてや、兜ごと斬断しておいて、なぜ刃毀れ一つないのかと疑問でした。力で斬るのか。それとも技か。興味本位で尋ねると、剣士は答えました。力と技、そして可能性で斬るのだと」
「可能性……?」
聞きなれない言葉に、ローザリッタが眉根を寄せた。
「ええ。可能性です。不可解な言い回しだったので、それだけはよく覚えています」
「……今、その方は、どちらにいらっしゃるかご存じないですか?」
老研ぎ師は首を横に振った。
「残念ながら。あの時は一刻も早くその場から立ち去りたかったし、剣士もまた名乗ろうとしませんでした。私を街道まで送り届けると、すぐに森の奥へと消えていきました」
「力と、技と、可能性。一体、どういう意味なんでしょうか」
「さてなぁ」
二人が老研ぎ師の言葉を吟味するように唸っていると――
「お邪魔するわ」
凛とした声が響いた。
店先の暖簾が揺れ、質素な旅装束に身を包んだ銀髪の少女が入ってきた。
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