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第10話 一縷の光明

 ――(それがし)がお嬢様の婿(むこ)になるように、と仰せつかりました。


 カイルの言葉に、ローザリッタはやっぱり、という顔をする。


「……驚かれませんね」

「あ、いえ、ちょうどヴィオラとそういう話をしていたので……」

「予測的中だな」


 湯浴みの最中にヴィオラが振ってきた他愛ない話題。驚きはしなかったが、いざ現実だと知らされると、どうしても心がざわついてしまう。


「……それで、なんて答えたんですか?」

「急な話だったので混乱しています。考える時間をください、と正直に答えましたよ」


 カイルは困ったような笑みを浮かべた。


 それはそうだと、ローザリッタも思う。元服するつもりだったのに、朝起きてすぐなかったことにされていた。唐突な話はお互い様。それでも、思わずマルクスに食って掛かった彼女と違って、カイルは自己分析を交えながら冷静に話を進めている。それに比べれば、まだまだ自分は子供なのだな、と痛感してしまう。


「明日までに返事を聞かせろ、とのことでした。お館様は、近々、親族会議を開くそうです。この件で某が了承すれば、そこで正式に宣言すると仰っていました」


 ローザリッタはマルクスの手回しの良さに唖然とする。勝負を言い渡されてから半日と経っていないにも関わらず、着実に包囲網が完成しようとしていた。逃げ場がない。成功させるしかない。そういう重圧が双肩に圧し掛かってくる。もしかしたら、それもマルクスの狙いかも知れなかった。


「返事も何も、分家の立場じゃ断れないだろ」


 カイルの物言いに、ヴィオラが口を挟んだ。いくら血縁とはいえ、所詮は傍系(ぼうけい)に過ぎない。本家の命令は、分家の人間からすれば王の勅令に等しいものである。


「ええ。家長の命とあれば従わざるを得ません。それが分家の定めです。それでも考える時間をくれたのは、分家に対しての誠意でしょう。もし、お館様が権力を使って強引に従わせようとすれば、どうしても軋轢が生まれますからね」


 マルクス自身はとても温和な領主として通っている。反対意見を権威や実績でねじ伏せる強硬手段を取る側面があるのも事実だが、常にそれを行使しているわけではない。本家と分家が協力して領地経営をしている以上、それぞれの立場や意見を踏まえたうえで政策を実行する。


 灯篭斬りの試練に対して、ローザリッタに七日の猶予を与えたのは父としての恩情だけではなく、そういった関係各所への説明と根回しの期間を要するからだ。


「それに、某自身、お館様には師範代に取り立てていただいたご恩があります。常々、そのご恩に報いたいとは思っていました」


 マルクスが当主になってから、一族の中での年功序列の意識は薄くなっていた。騎士団時代に苦い経験をしている彼は、人的資材を適材適所に運用する術を会得している。ヴィオラやカイルといった若い人材が重要な役職に就いているのがその証拠だろう。そういった寛容さは他家ではなかなか見られない。


「ですが。それでも某は、お断りしようと思っているんですよ」

「――え?」


 その言葉にこそ、ローザリッタは驚いた。


 分家と本家の格差は語った通り。さらに、個人的な恩義もあるとすれば断るなどという選択肢はない。なのに――


「おいこら。お嬢の何が不満だ」


 ヴィオラが眉を逆立て、カイルに詰め寄った。


「こんな可愛くて、胸が大きくて、若い嫁さんなんてなかなかいないぞ。それを断るたぁ、どんな了見だ」

「お嬢様に不満を抱くなど恐れ多いことです。不満があるのは、某自身に対してですよ」


 ヴィオラの凶眼に物怖じせず、カイルは続ける。


「妻にとなる女よりも弱い男に、果たして夫が務まるのでしょうか。妻に守られる夫に、周囲はどんな感情を抱くでしょうか。家長の隣に立つということがどういうことなのか、某は知っているつもりです」


 権力を持つ者は往々にして誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)の的になる。伯爵家の婿ともなれば、将来的に社交界にも参列することもあるだろう。その時、真っ先に与えられるのは『女より弱い婿』という烙印(らくいん)だ。そういった悪評はどんどん陰湿に、陰惨になっていって自信を苦しめるだろう。なまじ近縁であるばかりに、そういった未来が生々しく想像できてしまう。


「お嬢様に負けるようになってから、某は一層の修練を重ねました。今なら、お嬢様に届くかもしれない。それでもし、お嬢様から一本取り返すことができれば、自信を持って縁談を受けることができる。そう思いました」

「それでわたしに手合わせを……」

「はい。ですが、ご覧の通りです」


 カイルは肩をすくめる。試合の結果は完敗。修行を積み重ねてなお、さらに水をあけられてしまった。


「それに何より――」


 カイルはヴィオラをそっと押しのけ、ローザリッタに歩み寄った。膝を曲げ、彼女の視線の高さに合わせる。


「お嬢様――いや、ローザ」


 カイルの口調が変わった。いや、戻ったのだ。ローザリッタが剣を学び始める前の、幼き日々のものに。


 そして、優しい笑顔でこう言った。


「某はな、おこぼれでお前を(めと)るなんてしたくない。某と何の関係ない親子喧嘩の勝ち負けで、棚ぼたのように転がり込んできた縁談なんて、あまりにもかっこ悪くて受けたくないんだよ。どうせ娶るのなら、ちゃんとお前に試合で勝って、堂々と求婚する。それが男ってもんだろう?」

「……カイルお兄様」


 そう真摯に告げるカイルに、ローザリッタの口調も戻った。


「お館様には明日、きちんとお断りを申し出るよ」

「でも、それじゃ、お兄様の立場が……」

「なに、心配するな。某は、お前より年上なんだぞ。処世術の一つや二つ、身に付けているつもりだ。それにな、お前が灯篭を斬ってしまえば、そもそもこの話はなかったことになる。だから、ローザ。何としても灯篭を斬ってくれ。そして、やりたいことをやってこい」


 そう言った、カイルはローザリッタの肩を力強く叩く。

 望外の激励に目頭が熱くなった。双肩に圧し掛かっていた重りが吹き飛び、心が軽くなった思いだ。


「……ありがとうございます。最後の最後まで頑張ります」


 自分を応援してくれる人など、ヴィオラ以外にいないと思っていたからだ。この人の献身に応えられるよう、何としてもお父様との勝負に勝とう――彼女は新たに心に決めた。


「――とりあえず、この刀は早めに研ぎ師に見せたほうがよろしいでしょう」


 お兄様としての話はおしまい、とばかりにカイルの口調が『師範代』に戻る。


「芯は折れていないようですが、どこに疲労が蓄積しているかわかりませんから。次は折れ飛ばないとも限りません。御用達の研ぎ師を呼ぶのは簡単ですが、久しぶりに鍛治町まで降りてみてはいかがです?」

「鍛冶町へ?」

「はい。あそこにはモリスト地方の刀剣製造の要。ひょっとすれば、何らかの足掛かりになるような情報が転がっているかもしれませんよ」

「なるほど……!」


 はっとしたローザリッタが手を打った。


 どんな街にも鍛冶町はあるものだが、剣の大家のお久元であるシルネオの鍛冶町は、モリスト地方の刀剣を一手に引き受ける生産拠点である。刀剣製造にまつわる、あらゆる職員が集まって、日々、切磋琢磨しながら腕を磨き合っている。


 さらに、〈モリスト詣〉での影響でますます各地から剣客たちが集まるようになったため、その技術はますます先鋭化するばかりだ。


 その顧客の中には、岩石の類を斬ったことのある剣士がいるかもしれない。あるいは、岩を斬った刀剣を手入れしたことのある研ぎ師がいるかもしれない。直接、会話をすることができなくても、何らかの手がかりを得ることができるかもしれない。


 暗雲が立ち込めていた道行に、ローザリッタは一縷(いちる)の光明を見出した。


「言われてみれば、確かに! さすがは師範代!」

「いえ。追い詰められている時は、どうしても視野が狭くなるものですから」

「ご助言、痛み入ります! では、さっそく!」

「おい、お嬢! ちょっと待てって!」


 ローザリッタは笑顔でカイルに一礼をすると、踵を返して駆け出した。その後を、慌ててヴィオラが追いかける。


 道場にはカイルがただ一人、残された。


「……と、大見えを切ったものの。断り文句なんて思いつかないぞ。やれやれ、どうしたものかな……」


 カイルはがりがりと後頭部を掻く。


 権威に反抗しようと思えば相当な勇気が要る。それも、正当な理由がない、感情論によるものならなおのこと。しかし、二人の前でかっこつけた点前、それを反故にすることはできない。それは男の沽券(こけん)に関わる問題だ。


「まあ、なんとかするしかないか」


 妹弟子が立ち向かっている困難に比べれば、恩義あるお館様に歯向かうくらい、どうとでもなるだろう。カイルは前向きに考えることにした。



ここまでお読みいただきありがとうございます!

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※次回の更新は8月12日20時を予定しています。

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