表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

僕とねこ

作者: 姫山 朔

ねこが死んだ。

父の葬儀の翌日、お気に入りの窓辺の椅子の上で、静かに冷たくなっていた。



ねこと出会ったのは、私が12歳の頃だった。

ちょうど母が病気で若くして亡くなり、その四十九日のことだった。


当時、まだ母の死を受け入れられず、どことなく他人事のように日々を過ごしていた私…いや、僕の前に、法要を終えて家に帰った後、少し出かけていた父さんが白と茶色のふわふわとした毛玉を持ってきた。

もぞもぞと動くそれに目をやると、くりんとした青い目をこちらに向け、父さんの手からジタバタと抜け出して、短い足で僕の元へ走りより、足に顔をすりつけた。


「ねこ…?」


思わず呟いたら、父さんが苦笑いしながら言った。


「お母さんが、『死んだら絶対猫になる!』って言ってたから、もしかしたら今日会えるかもなと思って」


父さんは猫アレルギーだから、ほんとは猫が苦手だけど、今足に擦り寄ってる猫はアレルギーが出にくい種類らしい。思い立って入った最初のペットショップにいて、目があったから、思わず連れて帰ってきてしまったと、父さんは寂しそうに笑った。


そのあと2人で少し悩んで、そのメス猫に「こむぎ」と名前をつけた。

お母さんが、ふわふわのパンが大好きで、こむぎの白と茶色がパンみたいに見えたから。

ごはんも大好きだったから、おこめとも悩んだけど、こむぎの方がおしゃれだからいいんじゃない?と父さんと話した。

横でゴロゴロしていたこむぎは、名前を呼んだら一瞬きょとんとしてたけど、そのあと嬉しそうににゃあ、と鳴いた。



その日から、こむぎを中心に世界が回りはじめた。


まだ産まれて半年くらいの子猫だから、たまに粗相もしてしまう。

そんな時は叱るとしょんぼりしていて、無性に撫で回したくなった。


学校の宿題をしていると寄ってきて、しっぽをぱたぱたさせながら、熱心に眺めている。答えが合っていると、時々みゃあ、と鳴いて、よくできました、と言われてる気分になった。


でもある時はティッシュの箱で爪とぎを覚えてしまい、たびたび父さんに怒られてた。

そんな時はしょんぼりしながらも、父さんに甘えて、父さんもしょうがないな、って最後は許して撫でまわしていて、こむぎも嬉しそうに撫でられて、ねこ用おもちゃで存分に遊んでもらっていた。


夜は一緒に寝てくれた。

こむぎを抱きしめて眠ると、ふと、なくなってしまった温もりを思い出して、泣いてしまう。

そんな時は、大丈夫だよ、というように、胸に顔をすりつけてきた。

お母さん、と呟いた僕の涙をざらりとした舌で舐めて、小さく鳴いた。


そんな日々を過ごして、こむぎが大きくなり、高校に入る頃、僕も反抗期に突入した。


父さんとぶつかって、大げんかしたこともあった。

そういう時、こむぎが心配そうにやってくるのが無性に腹立たしくて、こっちくんな!なんて言ったこともあった。


学校で服についたねこの毛を指摘されたのが妙に恥ずかしくて、こむぎを避ける時もあった。


それでもこむぎは、毎日学校に行く僕を見送って、帰ってくる僕を出迎えてくれた。


反抗期も落ち着いたころ、大学の受験勉強に突入した。その時もこむぎはずっと一緒だった。

勉強の邪魔もせず、冬は膝の上で湯たんぽになっていた。

父さんが仕事をしている時は、構って欲しくてちょこちょこ邪魔をしていたらしい。

父の書斎を覗いた時、何度かパソコンのキーボードに寝そべって父を困らせるこむぎを見たことがある。

こむぎも人を見てるんだな、なんて言ったらそうかもしれないな、と父さんも優しく笑っていた。


志望校に合格して、楽しい大学生活を過ごした。興味のある分野の研究に没頭し、気の合う仲間に囲まれて、大学院にも行かせてもらった。

就活は少し苦戦したけど、それでも十分と思えるところに内定した。


社会人になって、ひとり暮らしを始めてからしばらく経って実家に帰ると、玄関でこむぎが待ち構えていた。

お腹に衝撃がくるくらいの勢いで飛び込んできたのでびっくりしていると、父さんが、いなくなって寂しかったみたい、と説明してくれた。

こむぎとめいっぱい遊ぼうと決めたけど、こむぎもいい歳になったので、少し遊んで疲れると、遊んだのの倍以上の時間、僕の膝で寝て過ごした。




そして社会人になって10年経った頃、私は結婚した。そして同じ頃、父にがんが見つかった。

進行が思ったより早く、1年後には入院を繰り返していた。

調子のいい時は、お気に入りの書斎の窓辺の机で、ゆったりと本を読んでいた。

その膝の上には、たいていこむぎが陣取って、撫でられるままに目を閉じていた。


そして、いよいよという時、父は家での看取りを希望した。

しばらくの間だけ、一緒に住んでほしい、と言われて、慌てて妻と実家に帰った。

以前から計画していたらしく、私が何かをしなくても、訪問医療やヘルパーさんの手配はすべて行われていた。


家のベッドの足元では、久々に帰ってきた父から離れまいとする様にいつもこむぎがいて、父と同じようにうつらうつらと眠っていた。


そして自宅療養がはじまってから1週間後の夜、父は旅立った。

こむぎがいつもはあげないような泣き声をあげて、気づいた。

慌ててかかりつけの医師に連絡している間、こむぎはじっと父を見つめていた。


そして、喪主として葬儀をあげて、実家に帰って来た時、こむぎがそっと近づいて来た。

私の足にするりとながいしっぽを巻きつけて、顔をすりすりとすり寄せると、にゃあ、と鳴いた。私はそっとこむぎの頭を撫で、ゆっくり抱きしめた。

こむぎは、老いたせいか昔よりも軽くなっていた。

妻にも同じようにすり寄ると、満足したのか父が眠っていた部屋の方へ歩いていった。


父の死と、慣れないことの連続に疲れていた私と妻は、ひとまずしばらく過ごしていた私の部屋に戻り、すぐに眠ってしまった。


そして翌日、妻が私を起こす声で目が覚めた。

昨日の晩からこむぎが食事をしていないようだと。


初めてのことで、こむぎを呼びながら家具の隙間や父が使っていたベッドをめくって探した。

どこをさがしても見つからず、途方に暮れた時、父の書斎をちらりとしか見なかったことが気になった。

いないかもしれないと思いながらも、もう一度見に行くと、父がよく座っていた窓辺の椅子の横から、こむぎのしっぽが覗いているのが見えた。

なぜ気づかなかったのかと思いながら、そっと近づいて覗き込む。

父とよく過ごしていた椅子の上に眠るこむぎを、丁度朝の光が照らしていた。


見た瞬間、私は理解した。

こむぎも、逝ってしまったのだと。

初めて会った時より白さが増した長い毛に朝日がキラキラと反射して、こむぎ自身が光って見えた。

昨日すり寄ってきたのは、別れの挨拶だったのだと。


瞬間、こむぎが来た時に父が言っていた言葉を思い出した。


『お母さんが、『死んだら絶対猫になる!』って言ってたから、もしかしたら今日会えるかもなと思って』


母を亡くして、心にぽっかり空いた穴を埋めるように、ずっとそばにいてくれたこむぎ。

母のように、いつも私によりそって、寂しい時は慰めてくれた。反抗期に八つ当たりしても見捨てず、いつも私の身を案じるように見送り、嬉しそうに出迎えてくれた。


そして、父にだけ甘えて、大いに甘やかしてもらっていた。


生前、父が言っていた。


『言ったらお母さんに怒られそうだけど、こむぎの甘え方はお母さんそっくりなんだよ。いつも父さんに構ってほしがって。だから、ついつい甘やかしちゃうんだよね』


涙が止まらなくなった。

妄想だと、そんなことはあり得ないと言われても、この瞬間私の中で母とこむぎが重なった。


若くして亡くなった母。

猫にしては長く生きたこむぎ。

思ったよりも早く逝ってしまった父。


置いていかれてしまったという思いが溢れてごちゃ混ぜになって、涙がこぼれた。

その時、そっと肩に手を置かれた。

妻が、様子を見に来て、いろいろと察したらしい。


ふと、置いていかれたのではない、と思った。

見届けていったのだと、そう思った。


幼い頃の記憶なものの、母は父を愛していたし、父も母を深く愛していた。

その二人の子どもである私のことも愛してくれていたから、託せる人が現れるまでは見守ってくれてたのかもしれない。

妻が、はじめて会った時、こむぎにものすごく観察されてる気がして緊張した、と言っていたので、人見知りしてるんだよ、と笑っていたけれど、それすらも意味があることのように思えてくる。


そう思った瞬間、耳の奥でみゃあ、というこむぎの鳴き声が聞こえた気がした。

まるで、よくできました、と言われているようだった。

読んでいただき、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] おはようございます。 とても面白かったです。 途中泣きそうになりました。 猫って癒されますよね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ