子どもを産まずに唯一無二の妻になった‘ねね’を知ってたなんて
ユウコは歴史の女性たちのキャリアを追う物語が好きだ。
日本では昔から恵まれた家柄に産まれない場合は、養子や養女というシステムでキャリアアップする道が残されていた。
それは、
子どもを産まない女の地位を守るためにも有効なもので、
たとえば有名なところでは豊臣秀吉の妻のねね。
子どもを産んでいないが夫の秀吉には何人も子どもがいて、ねねは、自分の子どもがいないことを逆に養子縁組を使った家戦略の機と捉えて戦国で身内作りのためにうまく活用した。
一夫多妻制度のなか功名のある武家の血統などを一切持たないねねは、
自分が子どもを産むよりも、元々恵まれた地位の家の子どもに生まれて教育を受けて育った者たちを自分の養子にしたり夫の子どもを産ませるための側室にすることで、
子どもを産まない自らを天皇や将軍と母子として結んで不動の地位にい続けたのだ。
ユウコは今後子どもが産めない自分の不運を必要以上に卑下するつもりはないが、
リョウのような男の子が自分の才能をDNAを通して残さないのは絶対に勿体ないと思っている。
自分は数年間だけ母親になれた過去があり、その愛おしさや生命の重みを知っているので、
リョウにも必ず子供を産める女との結婚をしてもらいたい。
それにしても若いリョウにとって、自殺をする役に定評があるのは良し悪しなことだ。
リョウはユウコと出会った頃も、
映画の端役で自害する豊臣秀頼の役をやっていたことがあり歴史好きのユウコと話が弾んだことを思い出した。
リョウのその時の役は、
秀吉が死去したあとに豊臣家の家督を継ぐも前田利家の死去や石田三成の失脚によって徳川家康の影響力が大きくなって関ヶ原の戦い後は社会的地位までも転落し、
やがて政権も徳川家康のものとなっていき、豊臣家は家康に攻められて大坂の陣で徳川から嫁いだ妻の千姫は逃がして、戦略的だった母親と伴に自害する秀頼の役だった。
秀頼の父は秀吉で正妻はねね、産みの母は側室の淀君だが、
撮影ではねねとのシーンもいくつもあり、リョウはねねへの複雑な憐憫を態度で表現したいと何冊も本を読んだので子どもを産まなかったねねについても、実はとても詳しかった。
17歳のリョウの、年上のユウコとの子どもがいてもいなくても良いような結婚観は、
戦国日本の時代背景から来ているのかもしれない。
ちなみにユウコが話して聞かせた秀頼の話は、
大坂の陣で自害せずに側室との間の8歳になる息子と共に鹿児島に逃げ延びて暮らしたが、天下人待遇からあまりにかけ離れた質素な暮らしが合わなくて20年後に精神を病んで自殺した、という説だった。