十二話:魔人にもかかる魔法
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シラは宿の裏口から外に出て、扉にもたれかかっていた。
もう夜も深い時間帯なので、周囲に人はいないし静かだった。周りの建物の明かりも消えており、裏口の小さな灯りが彼女を照らすのみだ。
ここならば、落ち着け――
『……ちょ、おい近いぞ。あんまりくっつくな』
「はうっ……!」
無理だった。
いつの間にか信乃の身体と声がかなり近くにあって、身体までくっつけてしまっていたことを思い出し、何故かそれだけでボンッ、と再び赤面してしまう。
以前ならば、こんなことは全く無かった。ちゃんと信乃と接することが出来ていたはずなのに。
今では、彼の顔を直視し続けることすら困難だ。
そうしているだけで心臓の動悸が激しくなり、何やらよく分からない熱いものが込み上げて、勝手に顔が赤くなってしまうのだ。
しかも彼に肌を晒してしまうことすらも何やら酷く恥ずかしいことをしているように思い始めて、似たような現象が起こってしまう。
決して信乃が嫌いになったわけではない。寧ろどんどん二人の信頼関係は深まっているし、シラ自身の信乃を慕う感情も嘘偽りないはずだ。しかし、それとこれとは別のように思える。
「……困った。これは本当に、困った。一体、私はどうしてしまったんだろ……」
――どうにも、シラは女として信乃を意識してしまっているようだ。
(……気付いてよ、シノブ。……ああでも、気付かれてしまうのも……ううう……)
彼がまだ分かっていないことを幸いと安心している反面、少し胸が苦しくもある。
まだその思いを伝えられる度胸は全くない。彼がどう反応するのかを考えることが怖いし、今までの関係性が壊れてしまっても困る。
何より、シラ自身が恥ずかし過ぎる。
(ここ最近の、女性としての急な感情面での成長だけじゃない。魔人の私にも、ちゃんとこんな感情まであったなんて……)
きっかけについては、何となく分かる。あの灼熱の炎剣の中で信乃とした会話からだ。
『……これはお願いだ、シラ。死なないでくれ。――俺と共に、生きてくれ』
「〜〜〜〜〜〜っ!! あうぅ……」
それに関しては思い出すだけでも、今度は湯気でも出ているのではないかと思えるくらいに顔が熱くなり、一人で身悶える。
今思い返せば、あの言葉に至っては何やら結構凄いことを言われていたのではないだろうか(彼はそう思っていなかったようだが)。
あの日の出来事は、シラの中にある色々なことを変えてしまったのかもしれない。
嬉しかった。
信乃は、シラが魔王であり、怪物であることを知った上で尚、彼女を受け入れてくれた。一緒に戦う、とまで言ってくれた。
これからを生きていくための、理由になってくれた。
「……勇者と共に世界を救う魔王、か。誰も聞いたことがないし、人々からそんな物語が受け入れられるかも分からない。でも、不思議とあの人と一緒なら出来てしまうんじゃないかって思ってしまう私がいる……」
言葉だけではない。あの日からもう、魔法で怪我を負うことも死ぬ危険も無くなったし、捕食衝動も起こらなくなった。
薄情にも、もう彼女を呪う声も聞こえなくなってしまった。
いつとも知れなかった彼女の死期は、随分と遠のいてしまったように思える。
『いいか! だから俺は、今お前に「死ね」なんて絶対に言ってやらねえ! そんな中途半端な死に方は許さねえ! お前が満ち足りて、救われて、やがて死にゆく時に、それでも自分の生に悔いは無かったと心の底から笑えるようになってから、初めてそう言ってやるよ!!』
何とも、凄い無茶を言われたものだ。
今でもとても自分を好きになれたとは到底言えないし、自分が怖い。だからそんな日が本当に来るのかも疑わしい。下手をすれば、永遠に「死ね」と言ってくれないかもしれない。
しかし、シラは彼の魔人殺しとしての使命を全うさせてあげなければならない。
だから彼女は、精々いつかそう言って貰えるように頑張るしかなかった。
そんなきっかけを、彼から与えられてしまった。
「私は、本当にあの人から色んなものを貰ってしまった。……ずるい。こんなの、いつまで経っても返しきれないし、それまで死ねなくなっちゃった。責任を取って、あなたにも一緒に生きてもらうから。ちゃんと、あなたが私を殺してね……シノブ」
そう呟くと、また胸の内側から熱が込み上げてくる。先程までと似たような、でも先程とは少し違う。
これは、温かき何かだ。
『ねえ、どうか生きてね、シラ。愛しているわ、大好きよ』
まだ、思い出せない記憶だってある。きっと忘れたままではいけないことが――彼女が乗り越えなければならない過去がある。
それに、二か月前の悲しい出来事ですら正直まだ受け止めきれてはいない。
そして未来にも、きっとまだまだ残酷な出来事が待ち受けている。
この世界はどうしようもなく残酷だ。
しかし、もう以前のように「いつ死んでもいい」などと考えていた、現実に振り回されるだけだったシラではない。
この温かさが続く限り、彼がそばにいてくれる限り、今の彼女はきっとこの生という長く苦しい戦いに身を投じ続けられる。
これはあの時に、信乃からかけられてしまった魔法だ。
上手く彼自身と接することが出来なくなってしまうという厄介な代償魔法だ。戦闘では今のところ支障が無いのが唯一の幸いと言える。
しかしそれを引き換えに手に入れたこの「思い」は、きっとこの先も訪れる辛く悲しい現実を乗り越えていくための、強い意志になってくれるのだと彼女は信じている。
「……大丈夫。私の……大好きな、特別な人。あなたは、絶対に私が守るからね」
まだ少し赤い顔で俯いたまま、それでも彼女は大切な物を抱くように胸の前で両手を重ね合わせ、微笑むのだった。




