五十二話:生きて
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これはまだ、断片でしかない記憶だ。
『……ああ、良かった……シラ。無事……だったのね』
壊れた研究施設。あちこちに飛び散る血。肉片。
目の前には、血まみれの女性が横たわっている。
『ごほっ……! ……お願い。これは私からの、最後の……お願いよ。……ここから、帝国から……脱出して。外の……世界に、出て……』
――どうして? 私は怪物、失敗作。ここで廃棄されると聞いた。これが、最後の実験だと聞いた。
『ふふ……じゃあ、これは、追加の……実験よ。頼める……かしら?』
――どのような実験なの?
『それはね……あなたが、幸せに……なれるかっていう……実験。絶対に成功して欲しい……大、切な、実験……』
――不可能。私は、死にゆく欠陥品。生存確率は、ゼロ。それに、私はたくさん死を望まれた。……幸せには、なれない。
『ふふ……どうかし……ら。これは……私の、勘。きっと、あなたを……必要とする人が、幸せに……してくれる人が、きっとあなたを……迎えに来る』
――無理だよ。私は……必要とされる日など来ない。私は……ずっと一人。
『そんなこと……無い。それに、私もいる……ずっとあなたを……思っている、わ……。……ねぇ……どうか生き、てね……シラ。愛して、いるわ……大好き……よ……』
――生体反応、消失。……いつかこうなるって、ちゃんと分かっていたはずなのに。私は、私をここで終えなければならないのに。……ねえ、■■。どうして……私は、今……。
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それは私が、五年ぶりに目覚めた日。
あなたに、初めて出会った日のこと。
私はね、しばらくあなたから目が離せなかったの。
眠っている間も、ずっと私は、「死ね」と言われてきた。
記憶がなくても、声は、罪はこびり付いていた。ずっと私の耳で響き続けていた。
私の身体にはずっと見えない黒い手がいくつも絡まり付いて、そちら側へ引き摺り込もうとしていた。
だから私は、自分が生きていていいのか分からなかった。
でも、あなたは私とは正反対の目をしていた。
魔人達に追われていて、ぼろぼろで、今にも倒れそうだったのに。
それでも、その目だけはしっかりと希望を見据えていて、諦めていなかった。
あなたは、生きようとしていた。
……ああ、こんな罪だらけの、空っぽの私でも、そんなあなたの力になってあげられたのなら。
私は、そんなことを思ってしまった。
あなたを助けられて良かった。
あなたが生きていて、本当に良かった。
怪物でしかなかった私にも、まだこんな思いが残っていたんだって。
死ぬことしか望まれてこなかった私でも、生きたいと強く願う誰かの命になれたんだって。
シノブ。あなたが、それに気付かせてくれたんだよ。
……ならばもう、私の価値などそれで充分だ。
いつか私が何者なのかを知り、やはり死ぬべき存在だと分かって、あなたに殺されてしまってもいい。
私は、今はただあなたの為に戦う。
その途中で、あなたの為に命を落としてしまっても構わない。
そう、思っていたのに。
――生きて。
そんなことを言われたのは、きっと二度目だった。
「死ね」と言われた数の方が、圧倒的に多かったはずなのに。
私も、それを覚悟していたつもりだったのに。
共に戦おうって。共に物語を作ろうって。
空っぽだった私に、意味なんか与えないでよ。
その言葉が、光になって私の闇を照らしていく。
その温もりに包まれて、ずっと私の身体に纒わり付いていた無数の声が、手が消えていく。
ごめんね。どうやらまだ、そちらには行けないみたい。
……悪いのは、この人だもん。
魔人を全部殺す為に戦ってきた人が、全く正反対の願いを私に与えてきた。
この「私」を見て、「私」に触れて、それでもその存在をつなぎ止めようと抱き締めてきた。
……あなたは、ずるい。ずるいよ。
でも、その言葉を黙って受け入れてしまった私だって、きっとずるいのかもしれない。
思えば、きっともう五年前からおかしかったんだ。
どうして死を待つはずだった私は、その日帝国の外に飛び出したのだろう。
何を思い、何を望んだのだろう。
私には、まだ何も分からない。
それでも、私は私の意思で今もここにいて、あなたに巡り会っていた。
……ねえ、シノブ。
どうしてこの灼熱の中で、あなたの暖かさをこんなにもはっきりと感じているの?
どうして私は今、泣いているの……?




