五十話:私を、殺して下さい
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初めて出会った時から、その少女から目を離すことは出来なかった。
――荒野に咲く、一輪の花。
柄にもなく、そんな言葉が頭に浮かんだのを覚えている。
壊れた異世界の、絶望のどん底の中に、確かにまだそれは残っていたのだ。
魔晶石の煌めく幻想的空間の中で、それでも尚、彼女はその何よりも美しかった。
光を透かし、それでいて星のように煌めく銀髪も。
こちらを見つめる、宝石のような輝きを讃える赤い瞳も。
憂いを帯びた、白い肌に彩られたその美貌も。
彼女の全てを、綺麗だと思った。
彼はいつしか、全ての魔人を殺すと誓った。
目の前には、確かに恐ろしい魔人がいた。
どうして、殺せなかったのだろう。
どうして、手を差し伸ばしたのだろう。
あるいは、全身から血を噴き出しながら初めて微笑んだ少女に、自分を重ねてしまっていたからなのかもしれない。
――枯らせてしまいたくなど、ないと思ってしまった。
ともすれば。
その洞窟で彼女と出会った瞬間から、もうとっくに彼の覚悟は決まっていたのかもしれない。
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「あ……」
地獄のような光景を、地面にへたり込みながらシラは見つめていた。
〝レーヴァテイン
魔法攻撃力:360
威力階級ディヴァイン:×128
魔法威力:46080〟
天を衝き、空を分断し、宙を揺らし、轟音を撒き散らす、火炎の巨塔。
ただそうしてそびえ立つだけでも、地上の水分が蒸発し、草木が枯れていく。
レーヴァテイン。
それは命の悉くを燃やし、世界を焦がし尽くす、破滅をもたらす魔炎の巨剣。
あんなものを防げる魔法など、今のシラには持ち合わせていなかった。
「……ッ! しの、ぶ……!」
即座にシラが見ていたのは、その前で彼女に背を向けて立っていた信乃だった。
「にげ……て! 私を見捨てて、ここから逃げて。そうしたら、私がその時間を稼ぐから……!」
全く、手がないわけでもない。
シラが命を差し出せば良いのだ。
彼女の「泉」にある力を、信乃の強化すらも意味をなさない程に引き出せば良い。
彼の強化を以てしても、シラは死ぬだろう。だが、それでも強化のおかげでしばらくは存命し、時間を稼げるだけの魔法は放てるはずだ。
しかし、シラには今朝されたばかりの命令がある。
『――お前は、俺が死ねと言ったら死ね!』
だが、シラはまだその言葉を言ってもらえていない。
言ってもらえなければ、死ねない。
だからそれを言ってもらえるために、軽蔑してもらえるために、必死に『自身の罪』を叫ぶ。
「魔王だった! 化け物だった! たくさんの命を奪った、たくさんの絶望を振りまいた! 取り返しもつかない存在だったの! 生きてちゃ、いけなかったの……!」
吹き付ける熱風に煽られ、信乃の顔のフードとマスクが外れる。だが、こちらに背を向けている彼の表情は分からない。
彼は、何も喋らない。
「それに……魔王としての殺戮だけじゃ、悪行だけじゃない! スルトの話で、思い出してきたことがある! 私自身も、たくさんの命を奪っていた……! 帝国の実験場で……たくさん、食べさせられた……!」
魔法を使わされた。血をいっぱい流した。飢えを抑えられなかった。
たくさんの、人間を差し出された。
『死ね』『やめろ来るな』『化け物、お前が死ね』『殺してやる』『助けて、殺さないで』『お願いだから死んでくれ』『絶対に殺してやる』『お前さえいなければ』『死ね死ね死ね』
たくさんの死ねを聞かされた。たくさんの罪を背負った。
好きになってはいけなかった。
好きになる資格なんてなかった。
他の魔物や魔人のように、人に何も感じないでいればよかったのに。
結局シラは、最初から魔王でしかなかったのに。
それでも、彼女は自分自身を裁かずにはいられない。
「私は、死ななければならなかった! なのにのうのうと生きて、傲慢にもあなたと共にいることを願ってしまった! 忘れちゃ、いけなかった……!」
言ってるだけでも胸が張り裂けそうで、辛い。それでも、叫び続ける。
この状況を、自分という存在を終わらせるための口実にする。
「ねえ、シノブ! 分かったでしょう!? 私は……人殺しの怪物だ! あなたが紡いでいく物語から消えるべき悪だ! 勇者が倒すべき、魔王なんだ……!」
そして、やっと信乃は振り向いた。
真顔で、彼女にこう告げた。
「ああ、そうだな。お前は魔王で……怪物だ」
「……」
ただでさえ得意ではないのに、それでも心を殺してまで浮かべたそれは、果たして笑みに見えてくれただろうか?
「――だから、お願い。私に、『死ね』と言って下さい。私を……殺して下さい」
そして彼は、また口を開けてその言葉を――
「うるせえ馬鹿。誰が言ってやるかよ」
「……え?」
信乃は、笑っていた。
「大丈夫だ」と言わんばかりの不敵な笑みを浮かべ、再び炎の柱に目を向ける。
「ほう、魔王を置いて逃げないのか神杖の勇者!! 良い度胸だ!! ならばこの剣撃、精々受け止めてみせよ!!」
スルトの叫びと共に、その途方もない巨体と熱量をもった炎が倒れてくる。
「――神杖よ、勇者の名の元に神秘をここに具現し、我が障害を……この少女の障害全てを、この聖域より払ってみせろよ、継世杖リーブ!! ――『ディヴァイン・サンクチュアリ』!!」
そんな滅茶苦茶な詠唱と共に、防御魔法が展開された。
〝ディヴァイン・サンクチュアリ
魔法攻撃力:150
威力階級ディヴァイン:×128
光属性補正:×1.2
スフィア補正:×1.5
魔法威力:34560〟




