四十九話:せめて主に引導を
「……え?」
スルトの言葉に対し、信乃は驚愕した後に目を伏せる。
シラは、驚いた顔のまま彼女に問う。
「あなた……知っているの? 私が、何の魔物と統合しているのかを?」
その言葉に対し、今度はスルトが驚いていた。
「……アンタ、まさか知らなかったのか?」
「……うん」
そう彼女が答えると、スルトは額を手で押さえて笑い始める。
「……く、クククククククッ! おいまじか、まじかよ。嘘だろ? 何も知らないで、彼女はこれまでのうのうと生きてきたのか? 何も知らないで、ああして勇者の隣に侍って、人間の側にいたのか? ハハッ……なんだこれ、何たる歪な運命。何たる、悲劇……!」
「ねえ……お願い。答えて、答えてよ、スルト……っ!」
縋るように、シラはスルトに聞く。
(……やめろ。それを聞いたら、多分お前は戻れなくなる)
信乃のその言葉は、だが今までにないくらい必死な様子の彼女を見て、口に発することは出来なかった。
一頻り笑ったスルトは、リンドヴルムから降りて地上に立つと、突如芝居掛かった動きでシラに跪き、言い放つ。
「――お久しぶりでございます。またこうしてあなた様にお会い出来ることとなるとは。血盟四天王として、この『轟火の剣鬼』は、ただただ感動に打ち震えております」
「……え?」
何故急にそんなことを言い出しているのか分からず、シラはただ困惑している。
そんな彼女に構うことなく、スルトは凶悪な笑みを浮かべながら語り続ける。
「また、我らで世界を征服でもしますか? 人間共を滅ぼしてみますか? なに、あなた様なら造作もございません。人からかつてない災厄として恐れられ、魔物達からすらも畏怖の念を抱かせた暴君よ。勇者さえいなければ、全てを支配するにも至ったであろう我らが最強の絶対君主よ」
「……なにを……言って……え、あ……ま、さか……」
そこまで言われては、流石にシラも分かってしまったのだろうか。
愕然とした顔のまま黙ってしまった彼女に対して、スルトはとどめの言葉を、その真名を言うのだった。
「そうでございましょう? 我が主。魔物達を統べる魔王。『血蒐の魔帝』――ニーズヘッグ・ブラッドカイゼル様!!」
「……ッ」
嫌な予想が当たってしまった信乃は、何も言えずにいた。
思い当たる節が、無いわけでもなかった。
シラの「フヴェルゲルミル」の詠唱に含まれる「血」、「蒐める」と、「血蒐の魔帝」という異名の共通点。
昨日介入してきた声の、ただならぬ雰囲気。
彼女自身の、滅茶苦茶な魔法攻撃力。
何よりも、彼女自身の魔法の能力の底知れなさ。
あらゆる属性魔法を使うことが出来る魔物など、やはり異常だ。その究極は、魔法を用いる存在の頂点とすらなりうる。
――魔人ニーズヘッグ・ブラッドカイゼル。
彼女は、かつて人を滅ぼしかけた、最強最悪とすら謳われた魔王の生まれ変わりだった。
「……う、そ……あ、ああ……そん、な……だから、私は……私は……っ!」
シラは、自分そのものに怯えるかのように震え、絶望の表情でその場に膝をついてしまう。
「ふぅ。アタシの、魔物スルトの芝居も中々だったろ? まあ本物がどんなんだったか知らんだろうし、そもそもアタシも知らんけど」
そう面白おかしそうにスルトは言うものの、シラはそれどころではない。
「……殺した、殺した、殺してた……! いや、いや……私は……人をいっぱい、罪のない人を……いっぱい……っ!」
「あん? ひょっとしてアンタ、人が好きっていう珍しい魔人か? 魔人は魔物の思考も入り込んで、大抵は人嫌いになるのによ。アハッ、でもご愁傷様! それが仇となったな、可哀想に。……分かったろ? アンタには元より、勇者の隣にいる資格なんざ、人と共にいる資格なんざねえんだよ。この人殺しの化け物」
彼女の追い討ちに、シラはもう何も言えない。
自身の中身が、本性が、かつて多くの人間を大量虐殺し、伝説にも最大の悪として刻まれた、得体の知れない怪物の中の怪物だった。
急にその事実を突きつけられ、今まで何も知らずに生きてきた人好きの心優しい少女が、どうしてそれを平然としたままで受け止めきれるだろうか?
だから代わりに、低い声で信乃が質問していた。
「……おい、スルト。てめえは、シラのことをどれだけ知っているんだ?」
「師団長権限で、ある程度はな。この娘は、五年前に帝国の魔人研究施設より逃げた魔人ニーズヘッグで間違いない」
「研究施設?」
「そう、研究だ。こいつはな、実験体だったんだよ。帝国は魔王を魔人として復活させようと試みたが、そもそも魔王の絶大な力を魔人に落とし込もうなんてのが不可能と思われた。だがこいつは奇跡的に誕生した。……まぁ、失敗作だったんだがな」
「……ッ!!」
顔が強ばった信乃を見て、スルトは心底愉快そうに笑う。
「アンタも心当たりがあるようだな! こいつは生命として破綻している! こいつは魔王の力を使いこなせず、自分の魔法で勝手に傷付いて、勝手に狂って周りを喰い殺して、血を流し続けてやがて勝手に死んでいく! それが魔王なんて力を背負っちまった報いだ! そんな死を待つ身で、失敗作の烙印を押されて廃棄だって決まっていた。なのにこいつは逃げ出した」
彼女は再び俯くシラを見て、問い掛けた。
「なあ、聞かせてくれよ。そんな怪物でしかない身で、空っぽの存在で、何を思って外に飛び出したんだ?」
「……」
シラは、何も答えない。俯いたまま、微動だにしなかった。
その様子を見て、スルトは溜息を付いた。
「……戦意喪失、か。つまらん。やっぱ言うべきじゃなかったか。……話し過ぎたな。じゃあ死ねよ、偽りの勇者に、偽りの魔王。せめてアタシが跡形もなく焼却してやる」
「……!」
そう言って、彼女は信乃達から少し距離を取った後に右手を天に向けて掲げた。
空気が、爆ぜた。
違う。スルトから、熱を持った有り得ない量の魔力が爆発するように放出され、その手に集まる。
それだけでは無い、空気中の魔力すらも彼女へ吸い寄せられていくように集まっていく。
傍らに侍っていたリンドヴルムの目から炎が消え、動きが止まる。
彼女の身体で燃えていた炎が消える。
ありとあらゆる魔力が、彼女の右手へと集まっていく。
こんな現象は、始めてだ。
一時的に、スルトの右手には彼女自身すらも内包出来ないような莫大な量の魔力が集結している。
今まで見たことも無い、とんでもない魔法が展開されている。それだけは分かった。
その手の先に、幾重にも魔法陣が刻まれていく。
「血盟四天王ともなると、魔人になってもその力全てを引き継ぐのは難しくなる。『轟火の剣鬼』スルトは、その異名通り剣の達人だった。だが、アタシに剣の心得なんてねえ。精々殴るかリンドヴルムに炎を吐かせる程度だ。……それでも、このとびきりの魔剣だけは確かに受け継いでいた。いいもん見せて貰ったし、少しは楽しかったぞ神杖の勇者。礼に、アタシの最強魔法を手向けの一撃としてやろう!!」
スルトは、雷鳴の如き叫びでその詠唱を唱えた。
「天を焦がせ!! 地を焦がせ!! 全てはやがて界燼となる!! 世界をも切り裂く一閃よ!! 終末に咲く魔炎の剣よ!! 今再び、かの者達に訣別と断罪をもたらせ――『レーヴァテイン』!!」
その右手から天へ立ち上ったのは、途方もなく巨大な炎の柱だった。




