三十九話:それで彼女が泣き止むのなら
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『死ね』
ずっと、少女はその言葉を聞かされ続けている。
『死ね、死んでしまえ』
長い眠りについている間も、ずっとその声が響いていた。
起きた今でもそれは絶えず付いてきて、無数の手を伸ばして彼女を暗闇の先へ引きずり込もうとする。
少年の言う通りだった。
少女はきっと、人が好きだった。
『人の心が分からない化け物。なぜ生まれてきた』
だからこそ、それは呪いとなった。
――ごめんなさい。生まれてきて、ごめんなさい。
『許さない、許さない、許さない』
――生きていて、ごめんなさい。私は、怪物でした。
彼女はきっと、途方もない程多くの罪を背負っていた。
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カース・ファントムの討伐に失敗したその晩、信乃とシラは火山ふもとの森林にある洞窟の中で身を潜めていた。
焚火のおかげで中は明るい。その近くでは、近くの川で洗ったシラの装備が木の枝で作った物干し竿に干されている。
あらかじめ持ってきていたらしい生活服に身を包んだシラは、暗い表情で膝を抱えて座り込んでいた。
その焚火を挟んだ向こう側、信乃が黒いモヤに覆われたまま、横たわっている。
(……不覚だ)
身体を酷い倦怠感と苦痛が常に襲いかかり、うまく動けない。
カース・ファントムの闇の特殊魔法――呪いの魔法「スカルペスト」を、シラを庇って信乃が受けてしまった。おかげでこの有様だ。
神杖ですら浄化が出来ない病魔の呪いであり、数日と経たない内に死んでしまう。術者本人を倒すしか解除方法はないため、早くカース・ファントムを追いたいところだが、夜の視界の悪さではこちらが不利になる。
故にこうして洞窟に身を潜め、朝を待つ必要があった。
カース・ファントムもそう遠くに逃げはしないだろう。彼は強い生体の死体に取り付くことで身を守っている。
シラを絶好の獲物と見定めている節があり、そう易々と逃がそうとは思っていないはずだ。だからこそこんな呪いまでかけてきたのだから。
今も魔力を回復させながら、こちらを探しているはずだ。
故に、決戦は明日の朝となる。
「……落ち着いたか、シラ?」
病人側がかけるセリフではないなと内心苦笑しながら、信乃は顔を伏せてしまっているシラに声をかける。
「……うん。ごめん、なさい……私の、せいで……」
「いや、俺の失敗が原因だ。お前は気にするな。……すまなかったな、回復をしてやれなくて」
「……怖く、ないの? 私が」
そう聞いてきたシラを、信乃は無言で見つめる。
彼女は相変わらず下を向いたまま、言葉を続けた。
「……だって私、きっとあなたを食べようとしていた。代償で血がたくさん出て、意識が朦朧として、無性に『喰らいたい』って欲だけが膨張して……なんでそんなことになるのかも、分からないの。……私、おかしいよね、怖いよね、恐ろしいよね。……化け物、だよね」
「……結果として、お前は俺を襲わなかった。それでいい。今俺はまだ、お前を危険だとは判断しない」
「……ッ! 分からない、分からないよ! 今回は確かに抑え込めた。でも、次も大丈夫かなんて分からない……ッ!! 怖い、怖いよ……私、あなたを喰い殺したくなんてない……ッ!」
シラが叫ぶ。
普段は無表情で、何を考えているのかも分からない顔でこちらを振り回すくせに、今は辛そうな顔で激情を露わにしている。
――彼女はまた泣いて、震えている。
(……っ! くそ……っ)
それに対し、信乃は思わず励ましになっているのかも分からない言葉を投げかけていた。
「……じゃあ喰われてから判断してやるよ。腕の一本くらいならガンドで吹っ飛ばして、襲いかかってきたお前にくれてやる。それでお前がちゃんと正気に戻って動いてくれるようになるなら、俺の腕一本分の活躍をしてくれるようになるならそれでいい。人の腕は割と大きいし、喰うのにも時間がかかるだろ。俺は回復魔法で腕の断面ならすぐに治せるさ。俺は死なないし、お前が俺の腕を食っている間に、俺は自由にお前を殺せる。その間に精々見極めてやる。……だからお前は、何も心配しなくていい」
――そんなことで彼女が、二度とそんな顔をしないでくれるのなら。
(……って、何を言って、考えてるんだお前は)
どうにも呪いのせいで、調子がおかしい。
らしくない言葉に、シラはきょとんとし、よく聞き取れない声で何かを呟いた。
「……私が狂っても、あなたが殺してくれるの……?」
聞き返したかったが、呪いでそれすらも億劫になる。
本当は、もう喋るのも辛い。
それをシラに悟られぬよう、精々気丈な振りをして言ってみせた。
「ちっ……あーもうめんどくせえ。こっちは病人だ、休ませろ。もう寝る。治ってから色々聞いてやるし、考えてやる。だからまずは明日カース・ファントムを倒すぞ。こんな身体だが、回復魔法くらい捻り出してやる。だからお前は余計なこと悩んでる暇があったら、あいつの倒す方法でも考えとけ」
そのまま寝る体勢に入った信乃に対し、相変わらず呆然とした表情のままシラは答えるのだった。
「え……あ、うん。おやすみなさい、シノブ。……ありがとう」
身体が重い。寝返りを打つのすらも辛い。それでも、疲れ過ぎて気絶するかのように意識は沈んでいく。
明日、信乃は本当に戦えるのかは分からなかった。




