三十一話:怪物は、人を愛でる
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次の日、約束通りクエストから早く戻った信乃とシラは、夕暮れに染まった王都の大通りを歩いていた。
宿から図書館への道のりはかなり近かった上、人通りも少なかった。それに、一週間前ギルド協会へ向かった道のりですら、人目を気にしてわざわざ裏通りを使っていた。
なので、こうして彼女を多くの人が行き交う大通りを歩かせるのは初めてとなる。
「……人がいっぱい。建物がいっぱい」
前にギルド協会での嘘話の中で言っていた、人の文化に興味がある、というのはあながち嘘でもなかったのかもしれない。
彼女は王都の街並みをしきりに眺めていた。
その時、そこへ小さな影が突っ込む。
「……!」
兄弟だろうか、かけっこをしている幼い男の子二人のうちの一人が、シラにぶつかっていた。
しかしそれを、彼女はしっかりと受け止めていた。
「あ……ごめんなさい、おねえちゃん」
一瞬身構えた信乃とは裏腹に、怯えた様子で慌てて謝る男の子の頭を、シラは微笑みながら撫でる。
「大丈夫。そっちこそ、痛くない?」
「う、うん。僕も大丈夫だよ。おねえちゃんが受け止めてくれたから」
「そっか。うん、本当に怪我もなさそうで良かった」
「……うん! ありがとう!」
それを見た信乃は、少し驚いていた。
シラは基本無表情だが、それは感情が乏しいというわけではなく、単に感情表現が苦手なだけだと言うことが分かってきた。
だからこそ、その笑顔は彼女の無意識に心の底から出ているものだということになり――
兄らしき小さな子供もそちらへ慌てて駆け寄り、シラに謝る。
「ご、ごめん! うちの弟が! ほらリオ! ちゃんと頭を下げるんだ!」
「大丈夫だよ兄ちゃん! このおねえちゃん、怖い大人達みたいにぶってこない! とっても優しい人だよ!」
「お前なぁ……!」
「優しい……人。ふふ……うん、別に怒っていないよ」
シラは、もう一つの手で兄の頭も撫でていた。
慈しんでいるかのような微笑みを絶やすことなく、その兄弟に優しく語り掛ける。
「二人で仲良く、ね。でも、怪我をして家族に心配をかけたら駄目。だから、もうぶつかったり転ばないように気を付けて」
「「……うん!」」
また元気よく走り出す兄弟を、彼女は笑顔のまま手を振って送り出した。
「……お前は、人が好きなのか?」
信乃がそう問いかけると、シラはまた呆然とした無表情に戻り、少し考えてから答える。
「……私は……好き、なのかな。だって、大人達の活気のある声を聞いていると、こっちもわくわくしてくる。子供達のはしゃぎ回る楽しそうな声を聞いていると、こっちまで和んでくる。人の営みは、とてもいいと思った。ねえ、シノブ。これが好き……なのかな? 私は……人といたいのかな?」
「やめろ」
思わず、信乃はそんな言葉を呟いていた。
「……シノブ?」
「……っ。ああ、いや。なんでもない。少し、疲れているみたいだ。気にするな」
僅かな沈黙。押さえていた頭から右手を離した信乃は、本題に入った。
「悪いが遊んでいる暇はない。店がしまう前に、早く用事を済ませるぞ」
「何をするの?」
「お前の装備を買う」
シラは少し驚く。それが意味するものを、彼女も分かったのだろう。
「ああ、読書は終わりだ。明日から、お前にも俺と一緒に魔人討伐クエストに来てもらう」
そう彼女に告げると、今度は少しだけ嬉しそうな顔になった。
知識もだいぶ定着してきたようなので、いよいよシラを戦闘に起用する。それに必要なのが装備だ。
流石に今の布切れで戦わせるわけにもいかない。高い出費にはなるものの、戦闘に耐えられるだけの耐久性に、彼女自身の防御力を上げる防具は必要になる。
「全身一気に揃えるとなるとそこそこかかるか。とりあえず今は二万、高くて三万ゴールド程度で見ておこう。そこから少しずつ強い装備を買い足していけばいい」
今の自分の装備も、こつこつ稼いで二か月くらいでようやく揃えられたことを思い出していると、シラが落ち着いているように見えて興味津々なのが滲み出ている様子で聞いてきた。
「装備。どこで買えるの?」
「基本的には武器屋だな。看板に剣みたいなマークが入っている店で……」
「あった。あれ」
言うなり、今度は彼女が子供のように駆け出して裏通りへと入っていく。その拍子にまた頭のローブが落ちてしまった。
「おい、待て!」
信乃よりも素顔を晒すリスクは遥かに低いことが分かったものの、むやみに見せていいものでもない。
静止も聞かず向かった先の店で、彼女は店から出てきたムキムキスキンヘッドの男にぶつかってしまう。
「おっと、すまない嬢ちゃん」
「こちらこそ、ごめんなさい。ここが武器屋?」
「おおそうだぜ! お客さんかい? 閉店間際だが、まだやってるよ。いらっしゃい! ……っておお! お嬢ちゃん美人だねぇ!! しかも角……亜人か! 珍しい、一体どこから……」
そこまで言った男は――ギンカは、彼女の後ろにいた信乃と目が合う。
「……あっ」
「……あっ」
お互いそんな声を発し、一瞬硬直してしまうのだった。