三十話:世界研修期間
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シラを洞窟から連れ出してから、一週間程度が経った。
冒険家登録をした彼女だったが、まだ一度もクエストに同行はさせていない。
というのも、彼女は記憶喪失の影響なのかそもそも教えられていないのか、帝国や魔人、魔法の属性相性等といった偏った知識以外、ほとんどが欠落していたのだ。
知識がなければ日常生活にも支障が出るし、何より戦いにおいてもそれが命取りとなってしまう可能性もある。
なので、この一週間は「研修期間」として、信乃が魔人討伐へ行っている間に王都内の図書館に籠るよう命じ、書物からあらゆる知識を学ばせていた。
シラの顔バレのリスクは信乃よりかは低いことも分かったし、彼女自身も思った以上には聞き分けが良く、単独行動を許すに至った。
とは言えずっと一人にしておくのも心配だったので、信乃もしばらくはクエストを一度に複数も受けず、極力近場を選んですぐに王都に戻れるようにはしていた。
しかし、帝国から目を付けられていると言う割には思った以上にミズル王国に魔人討伐のクエストがない。他の国とは違い、王国の兵士達でも魔人討伐を行っているのだろうか。いいことなのだが、クエストを探すのには苦労する。
そうして今日もまた魔人討伐を終えた信乃は、日が落ちる頃には王都に戻り、シラを迎えに行くために彼女のいる図書館を訪れていた。
今日もまた、何も問題が起こっていないだろうかと心配にはなる。
(毎日学校とかから子供を迎えに行く保護者って、こんな気分なのだろうか? ……誰が保護者だ)
思考の中で自分自身に突っ込みを入れるという器用な真似をしながら探していると、シラはすぐに見つかった。
ローブを目深に被り、ちゃんと人気のないところでじっと本を読んでいる。
その首にはこの前貰った、冒険家の証であるギルド協会のロゴが入った金属製のペンダントを宝物のようにぶら下げている。
「シラ」
読書の邪魔をするのを申し訳なく思いながら近くまで来て呼びかけると、彼女はすぐに顔を上げた。
「おかえりなさい、シノブ。大丈夫だった?」
「ああ。少し遅くなって悪かったな。宿に戻るぞ」
そう言うとシラはいつもすぐに読んでいた本を閉じるのだが、今日はそうせず、見ていたページを見せてくる。
「シノブ、これ」
「ん? ああ、『勇者と魔王の伝説』か。俺も読んだな……」
そのページには文字と共に、真っ黒な巨大な影とそれに付き従う四つの影、そしてそれらに立ち向かう、それぞれの神器を携えた八人の勇者達の絵が描かれている。
「シノブは、どれ?」
「俺はここにはいねえよ。……強いて言うなら、これだな」
そう言って、信乃は八人の中の一人――神杖を持った、「銀麗の巫女」を指さした。
それ見て、シラの顔が少し綻ぶ。
「綺麗。……それに、とても優しそうな人」
「誰かが描いた絵だ。実際にはどんな奴だったのかも分からんぞ」
「シノブは、この人嫌いなの?」
「……まあ、そういうわけでもないが……」
そんなやり取りの後、次に彼女が指したのは一際大きな黒い影だった。
「……これ」
「……ああ。描いた人も姿はよく分かっていなかったんだろうが……魔王。『血蒐の魔帝』だろうな」
二十年前の戦いにおける黒幕を見て、シラは眉を下げる。
「悪、だったの?」
「人間から見れば間違いなく悪だっただろう。……魔物達を差し向けて、村人や兵士、無抵抗だったり降伏した者も問わず、多くの人々を虐殺していたようだ。勇敢にも魔王に挑んだ者も全て殺してきたから、生きているものでその姿を見たものはいないし、その異名以外に何も分かっていない。ただ、残虐な魔物の王だったということがはっきりと語り継がれているだけだ」
終ぞ姿が分からなかった魔王の侵略から約二十年。今でも、時折魔王を恨む声を聞く。
確かに、奪われた人の命の数で言えばまだ魔人達によるものよりも圧倒的に多い。「魔王軍に攻め込まれていた時に比べれば、まだ今の方がましだ」という人間もいるくらいだ。
魔王の罪もまた、計り知れないものだった。もしも生きていたのなら、信乃はこちらも倒さなければならなかったのだろう。
「……どうして、そんな酷いことをしたんだろう」
目を伏せたシラの口調は、悲しそうだった。
「仲良くは、出来なかったのかな」
「……」
この数日、信乃はシラといて時折怖くなることがあった。
彼女の思考や考え、情緒が、あまりにも普通の人間に寄っている。今もこうして、人の死を本気で悲しんでいる。
彼女が魔人なのだと言うことを、忘れてしまいそうになる。
(……間抜けめ。こいつも正真正銘魔人だ。今はただ、利用しているだけ。それが終われば……いつかは、俺が殺さなければならない怪物だ)
信乃は自身の思考を無理矢理頭から振り払ってから、改めて彼女に呼びかけた。
「……シラ。明日は早く戻る。ここで合流次第、二人で王都に出るぞ」