二十六話:正義の在り処
少女は、今までの無表情とは少し違う――心なしか悲しそうな表情で聞いてきた。
「……それは、私が魔人だから?」
「ああ、そうだよ」
信乃は右手のガンドを向けたまま彼女に近づくと、顔のすぐ左の魔晶石に勢いよく左手を付き、その顔を睨みつける。
「俺がお前らをどうしたいか分かるか? 『全員殺す』だ。はぐれだろうが関係ない。許さない。お前達魔人だけは、絶対に許さない」
あの道化の高笑いを、村の惨劇を、一日たりとも忘れたことなどない。
あの日から、信乃は魔人を殺し尽くすことを誓った。
「俺を助けたことが仇となった。お前の願いは聞き入れないし、ここで無残に殺してやる。運が無かったな。お前が出会った勇者は、ただのとんでもないひねくれ野郎だよ」
彼女に向けるのは、明確な敵意。残酷な裏切りだ。
だがそれに対し、彼女は何も動じることなく答えた。
「……そう。ならそれもまた、私の運命。私がここで命を落としても、帝国に追われることは無くなる。あなたがそうしたいのなら……うん、いいよ。きっとあなたになら、私は殺されてもいい」
そして少女は、あろうことか無防備にも目を閉じる。
――どういうつもりなのかは知らないが、これならば本当に殺すことが出来る。
「……ッ! 上等だ」
問答無用で引き金に力を籠める。
これは、仲間が増える機会などではない。
仇である魔人を一体減らせるチャンスだ。
「『バースト』!!」
信乃は、魔法を放った。
□■□
「……馬鹿だろ、お前」
直前で少女の顔から逸らしたガンドの銃口から出た魔法は、そのすぐ横の魔晶石に大きなヒビを入れていた。
勿論、その少女には傷一つない。
「……殺さないの?」
ゆっくりと開いた目には憂いを湛え、彼女は不思議そうに聞いてくる。
彼女は、何の抵抗もしなかった。どころか、身じろぎ一つもしなかった。
本当に、信乃に殺されても良かったらしい。
本当に、彼女が信用できる人物だと証明されてしまったらしい。
反撃の姿勢を見せて欲しかった。そうでなくても、逃げてくれても良かった。
屈辱だ。
屈辱だが、自身から湧き上がる怒りの衝動より、今後のことを考えていた頭の理性の方が勝ってしまったようだ。
「ちっ……気が変わった。俺が、今お前を殺すことはない。お前が何を考えているかは知らないが、今みたいな真似は二度とするな。不愉快だ」
信乃はガンドを下ろし、ホルスターにしまう。
魔法の五属性を全て使いこなすことにより、常に属性相性有利を取って相手を圧倒する。対魔人戦において、これほど大きなアドバンテージはない。代償があるようだが、信乃の回復魔法で難なく治せることも実証済み。
彼女の力こそ、まさに今信乃が求めていたものと言ってもいい。
こんな帝国と渡り合うための絶好の駒を、私情でみすみす失ってしまうことは余りにも惜しい。
「いいだろう、これは契約だ。そこまで言うのなら、お前には俺の武器として命令に従ってもらう。俺がお前を使ってやる。いつか精々上手く魔人との闘いでお前を相打ちにさせてやるよ。お前がどこまで俺と共にいられるのか、見物だな」
「――」
微かに目を見開いた彼女に向けて、空になったホルスターを放って寄越し、言葉を続ける。
「どういう仕組みかは知らんが、さっきの魔法に必要なら、そのガンドはお前が持ってろ。どうせ俺は使わん。俺は有麻信乃だ、好きに呼べ。そして最後の質問だ。それへの回答を、この契約の了承と受け止める。……名前の分からないお前を、俺は何と呼べばいい?」
その言葉を聞いて僅かに嬉しそうに顔を綻ばせた少女は、少し間を置いた後に答えていた。
「……じゃあ、『シラ』と。うん、私はきっとこう呼ばれるのが嬉しい……のだと思う。よろしく――シノブ」
□■□
夕日に染まる、ブーリ森林からの帰り道。
魔人の少女――シラは、疲れてしまったのか馬車の荷台の中で熟睡している。
ゆっくりと馬車と走らせていると、横から罵声が聞こえた。
「おい、いたぞ! 魔人殺しだ! よりにもよってビリガエル様を殺害しやがった!!」
「ふざけんな!! 俺達まで殺す気か!!」
「あなたのせいで、サビト村はまた……っ!」
魔人ビリガエルを崇拝していたというサビト村の人々らしい。彼が討伐されたことをもう聞きつけ、わざわざ批判をしにきたようだ。
「……」
信乃は馬車を止め、降り立って彼らへ近づいていく。それだけで彼らは罵声を止め、一歩下がる。所詮は本気で反抗する度胸もない。
だが、それでも一人だけ前に出た女性がいた。その目には確かな怒りを宿し、信乃を見ている。
「……ねえ、私の夫は? あなたを待ち伏せしていたはずなんだけど。どうしてあの人は戻ってこないの?」
今度は、こちらが一瞬言葉を失ってしまう番だった。
彼女はおそらく、信乃に暴言を浴びせた挙句、魔人ヒドクヘビに喰われていたあの冒険家の妻なのだろう。
「……その男なら、魔人達に殺され……」
「嘘! 嘘よ!! ビリガエル様がそんなことするはずがない! どうせ、あんたが殺したんでしょう! 何が魔人殺しよ! この、人殺し!!」
「そ、そうだそうだ!! お前が殺したんだろうが!!」
「この、人殺し!! 人殺しー!!」
人殺し。
心無い言葉は、容赦なく信乃の胸に突き刺さる。
『そうしてお前は、助けたはずの人間達に憎まれるだけでゲロ』
「……」
彼は一瞬だけ、シラが寝ている馬車を見ていた。
『彼らという魔人を、私という魔人が裁く。ただ、それだけのことだから』
――奇しくも、彼女から学ばされたことがある。
信乃は無理矢理に口角だけを釣り上げた笑みを浮かべ、女の胸倉をつかんでいた。
「か……!?」
「ああ、そうだよ。俺が殺した。あの男、村の未来がどうだとかビリガエル様のためにがどうだとか言いながら、あっけなく死んだ! あんな馬鹿な男を見たことは無かったぞ! ははっ!」
信乃の笑いで、村人達の顔が更に怒りと恐怖に強張る。
――そう、これでいい。分かり合えないと思ってくれていい、信乃を憎んでくれていい。
――信乃への復讐心でも何でもいい。彼らの物語における悪役になってもいい。これで、彼らに再び生きていく気力が湧く。
「人殺し!? 結構! 俺はたんまり報酬さえもらえればそれでいい! お前らも精々金を貯めて、俺を殺してくれる凄腕の冒険家を雇うことだな! それとも、お前達が来るか!? いいぜ、いくらでも相手してやる! なんせ俺は、人殺しだからな!!」
そう吐き捨て、女を突き放すと信乃は馬車に戻っていく。
「……っ! この……この、悪魔が!!」
「許さない……お前だけは、絶対に私達が許さない!!」
「殺す、絶対に殺してやる……!!」
――そうだとも、悪でいい。信乃は誰にも理解されなくていい。
――これでいい。これでいいのだ。
再び浴びせられる罵声を背に、信乃は馬車を引いてその場を去る。
その時、後ろの荷台で少し目を開けていたシラに気付くことは無かった。