八話:魔人殺し
信乃は、自分の手持ちのポーション瓶を二本出した。これで全部だ。
「そ、そんな! 貴重なポーションを……!」
「死にかけを放置して帰る方が寝覚めが悪い。どうせ、それほど使わないしな」
村長夫人の制止を聞かず、村長に緑色の液体を飲ませる。緑色の光が包み込み、怪我が少し治った。
ファンタジー世界ではよくある回復薬というやつだ。飲ませた者を魔法のような不思議な力で癒すことから、この世界では一応使い捨てのアイテム型魔器、という分類になるらしい。
とはいえ、村長はまだ完治には程遠い。
薬草の調達しての地道な治療も考えたが、ふと信乃は部屋の隅に立てかけてあったそれを見つけていた。
「おい婆さん。あの杖はなんだ?」
「ああ、あれですか? この前来た商人が余り物だからと置いていったものです。確か『キュアスタッフ』……無属性の、回復の杖だったはず。ですが先程も言った通り、この村にあれを使える人間は……」
「……」
ロストエッダ前からもよく使われていた適正型魔器の一つである「杖」は、攻撃魔法を使える「魔法の杖」と、回復や補助魔法を使える「回復の杖」に大きく分かれる。
攻撃魔法が使える魔導書や魔法の杖は今の武器型魔器に取って代わられつつあるが、回復の杖は今でも唯一無二の現役だ。
しかし杖には「属性適性」とはまた別の「使用適性」が必要となるので、この回復魔法を扱える杖の適性者――杖使いの数は限られているのだ。
信乃は、自身のリスクを考えていた。
神杖が使えなくても、この杖があるのならば――
(まあ、これなら大した問題にはならないか)
杖に触れると、使用が可能であることを示す発光が起こった。
「まあ! あなた、冒険家としての腕だけじゃなくて、杖の使用適正まであるの!?」
「こっちはほぼ休業中みたいなものだ。……回復させる相手なんて、いないからな。『セイクリッド・ヒール』」
エクスプロージョン級の回復魔法の詠唱と共に、緑色の光が再び村長を包み込み、みるみる怪我が治っていく。苦しそうだった彼の顔も、ようやく穏やかになった。
「ああ……あなた、あなた……良かった……!」
村長夫人もようやく安心したように村長へ縋り付く。これで彼は、数日安静にしていれば大丈夫だろう。
「追加報酬にこの杖を頂いていくぞ。構わないな?」
この治療をただにしてしまえば、尚更村人達に気を遣わせてしまうだろう。そうさせないように信乃はその杖も貰うことにする。王都で売れば少しは金になるだろう。
「ええ、そんなもので良ければ、喜んで。ありがとう、冒険家さん。何から何まで、本当に……っ!」
「別に。報酬も貰っているし、俺はただ仕事をしているだけだ。感謝する必要は無い。……もう行く。さっきも言った通り、今日のことは、俺のことは忘れろ」
去り際に、村長夫人は声をかけていた。
「貴方が何者で、何を背負い、何を成そうとしているのか、それは私達には分からないし、詮索するつもりもありません。私達は、貴方のことを秘密にもしましょう。……ですが、どうかこれだけは。私達アイナ村は、決して今日という日を、あなたという英雄がいたことを忘れはしません。またどこかでお会いしましょう、名前も顔も分からない冒険家さん」
「……」
一瞬だけ立ち止まった信乃は、すぐにそのまま家を出ていった。
□■□
「待って、にーちゃん!」
信乃が村の門から出て少し歩いた辺りで、後ろから声がかかった。
振り向くと、幼い少年がこちらへ走り寄ってきている。信乃が魔人ストーンピッグに戦いを挑む前、魔人を相手に抵抗を止めなかった子供だった。
「ありがとう! この村を、僕のねーちゃんを助けてくれて!」
「いいよ、お前の姉が助かったなら良かった。……それとガキ、二度とあんな自分の命を捨てるような無茶はするな。お前が姉を心配するように、お前を心配している人間もいることを忘れるな」
「う……ごめんなさい」
厳しい口調に落ち込む少年を見て、信乃はため息をつき、しゃがみ込んでその頭を軽くポンポンと叩いた。
「じゃあな、もう行くぞ」
「あの……にーちゃん」
「なんだ?」
「にーちゃんは……勇者様なの?」
子供の純粋な瞳を前に、一瞬言葉に詰まった後にこう答えていた。
「ちげえよ、そんなわけがあるか。……でも、いずれは本当に、このクソッタレな世界を救う勇者がお前の前に現れるかもしれん。だから、それまでちゃんと生きていろよ」
「……うん!!」
少年の笑顔に見送られながら、再び歩き出す。
有麻信乃は、いつか本物の勇者となるために、勇者の肩書きを捨てた。
今は何者でもない無名の魔人殺しは、魔人を狩り尽くすために、今日もまた戦い続ける。