エピローグ:私の色
□■□
【16:00】
「帝国ビフレスト降下作戦」の成功より、数時間後。
スヴァルト王国・ラーン海に面した、夕日に照らされた砂浜に、アース帝国を出てからも長時間飛行を続けていたリンドヴルムが降りる。
そこから、背中に乗っていた信乃一同も柔らかい砂の上に降り立った。
「……よし、一旦ここで休憩するか。信乃、問題は無いな?」
スルトにそう聞かれ、信乃は地図を広げながら答えた。
「多分ここは……ラッツ地方辺りか。アース帝国からは大きく離れた、スヴァルト王国でもかなりの辺境に来たな。周囲に市街地も無ければ村も無く人気も無し。……いいんじゃないか? なんならここで一晩くらいは過ごしても見つかることはないだろう」
「お、そりゃいい! 海をゆっくり眺めながらの野宿か! アタシ、この海は初めて見たんだよなー!」
「……そう言えば、いままで私もじっくり見ている暇は無かったかも。綺麗……」
海が見えるここを一旦の拠点にすることが、スルトもシラも嬉しかったのだろう。各々のテンションで喜びを表現している。
「よーし、ちょいと泳ぐわ! 全裸で!」
「絶対に止めろスルト。服を脱ぐな」
「だ、ダメ……! スルト、シノブ誘惑するの、ダメ……!」
「誰が誘惑されるだ」
「それに、海を泳ぐだなんてそんな気持ちよさそうなことをスルトだけするの、ずるい。だったら私も泳ぐ……!」
「……待てよ、このメンツで突っ込み担当俺だけか?」
「はっ、いいのかよシラ! 装備をびしゃびしゃに濡らすわけにはいかねえ! アンタ着替えも持ってねえんだろ!? だったら……アンタも全裸だぜ!?」
「……っ。うう……それは凄く、恥ずかしい……。ううん、私は装備のまま泳ぐ。そして装備を乾かしている間は、シノブのマントを借りて羽織る!」
「なっ!? アンタ、他から着るものを調達するのはずりぃぞ!」
「じゃあ……半分こにする?」
「うーん。ま、それならいいか。おい信乃、リンドヴルムの爪でスパッとやらせるからそのマントくれ」
「おい、ボケ担当同士で話すな。どこに話が向かっている? 何で俺のマントが半分にされかかってんだ? 渡さねえよ。そもそも泳ぐなよおい」
会話の内容は呑気なものだ。とても、数時間前に丸一日係りの死闘を終えたばかりだとは思えない。
それでも、間違いなく信乃達は逃亡中だという状況に変わりはない。
帝国を出てから、追手が来るような様子は無かった。「休戦協定」が出された直後もあり、流石にその体裁を守ってはくれたのだろう。
だが「勇者達に手を出さない」という協定は全く結ばれなかったし、そもそも信乃から喧嘩を吹っ掛けてしまった。
間違いなく、帝国はこれからもあの手この手で信乃達を確実に仕留めるための策を弄してくるはずだ。
だからこそ、誰かにかけられた謎の魔法によって信乃達の姿が今も尚隠蔽されているという事実には、正直感謝するしかなかった。
(……敵か、味方か。だが随分と勝手なことをしてくれる。誰だか知らんが、どちらにせよそいつの面もいつかは拝ませて貰わないとな。――俺達の色、必ず返して貰うぞ)
それでも今日、勇者と魔王の存在そのものを世界に知らしめてしまったことだけは確かだ。
この隠蔽魔法の具体的な効力や対象人物もよく分からないし、そんな得体の知れないものを過信など出来ない。
結局信乃達は、これからは冒険家という職すらも捨てて闇の世界で生きていく選択を強いられるのかもしれないし、今は正直どう立ち回っていくべきなのか何も分からない。
だからこそ、とりあえずしばらくは世界の様子を見つつ身を潜めることにした。「帝国ビフレスト降下作戦」という前代未聞の大戦争がもたらした波乱が落ち着き、今後の世間の動向が把握出来てから、信乃達はどう動いていくかを考えることになるのだろう。
とにかく今日から数日は、魔人を倒すこともなくただ人目につかないようにあちこちを転々とする生活となる。
「……」
信乃も勿論、この世界の海をじっくりと眺めたことなど無かった。
逃亡生活とはいうものの、今までの戦いに比べればずっと気持ちも穏やかだ。明日がどうなるかなど全然分からないが、少なくとも今は束の間の平穏となる。この世界に来てからずっと戦いに明け暮れていたので、たまにはこういうのも悪くはないのかもしれない。
「……ったく、しょうがねえな。じゃあアタシとリンドヴルムは、この周辺をぶらぶらしてるわ。なんなら後で魚でも釣ってやるか。アンタ達も、夕飯まではぐれない範囲で適当に過ごしてな」
いつ来るかも分からない襲撃に備えて、そもそも度を過ぎた無防備を晒す訳にもいかないと思い当たったのだろう。あっさりと泳ぐことを諦めたスルトはそう二人に言い残すと、相棒の竜と共に彼女は砂浜の波打ち際にまで行き、むき出しにした足首に波を当てながら無邪気にその境界を駆け始める。
夕日に照らされた雄大な海を背景にした、美女と魔竜。
何とも奇妙な光景ではあるが、わりと絵にはなるなと感心しつつ、信乃は彼女のように動く体力は有り余っていなかったためその場に座り込んでしまった。
「……」
そして、シラまで彼の横にそっと座り込んでくる。
「どうした、シラ。確かに泳ぐまでは許可していないが、別にスルトと遊んでくるくらいならいいんだぞ?」
「……うん。後からそうしようと思うけれど……ちょっと今は、私も何となくこうしていたいかなって」
「……あっそ。好きにしろ」
信乃はそんな気の無い返事を返し、そのまま沈黙。
波から上がった水しぶきが、海の水面が夕日に照らされて、地平線の彼方まできらきらと輝いて見える。
遠くから絶えず鳥の鳴き声が響いて来て、その中で尚も穏やかに打ち続ける波の音がやけに耳に残る。
そんな光景を、音を、二人はただ黙って受け入れる。
どのくらい、そうしていたのだろうか。
(もっと落ち着いてからとも思ったが……見せるなら今なのかもな)
やがてふとそう思い当たった信乃は、懐よりそれを取り出していた。
「……シノブ? それは、なに……?」
彼が手に持ったのは、古びた本だった。隣にいたシラもそれを見て、不思議そうに問いかけてくる。
それに対して信乃は少しだけ目を伏せ、答えていた。
「これは、過去の言葉だ。お前を愛した研究員……『クロ』のな」
「……!!」
シラは驚きと動揺に目を見開く。
これは、スルトが連れて行ってくれた帝国の研究機関「創造樹」より唯一持ち出せた戦利品だ。
ここには女性研究員クロリアが書き残した、シラと過ごした日々についてや、魔人化についての真実が記されていた。
こうしてまた取り出したのは勿論シラに見せるためなのだが、信乃も見た「誰かに見て欲しかった記録」だけではない。
それよりもまず、彼女に見て欲しい部分があったのだ。
丁寧にページをめくり、やがてその手を終盤の方で止める。
その部分を開いたまま、シラへと差し出す。
「お前が読んでみろ、シラ。ここからは、まだ俺も見ていないんだ」
「……どうして?」
「ここからは、もう他者が踏み入ってはいいものではない……たった一人の少女に向けた言葉が綴られている。――これはお前に宛てた『手紙』なんだよ、シラ」
「……!! わた、し……への……?」
――本当に奇跡のような確立でこの本を手にしてくれたあなた、「シラ」へ。
「『記録』によると、クロリアはお前と最後に別れた後に『魔人化ウイルス』の力で一度だけ蘇り、数時間は動いていたようだ。この本もその時に書かれたものだ。……だから恐らくここに書かれているのは、最期にお前へ口で伝えきれなかった言葉なのだと思う」
「……」
シラは何度も微かに震える手を出したり引っ込めたりする動作を繰り返した後、何とかその本を受け取る。
そのまま自分の元へと手繰り寄せるものの、だが彼女は宛先が綴られているだけの最初のページを凝視するばかりで、次へ読み進めるのを躊躇っていた。
「……読まないのか?」
「……ごめん。勿論見たいけれど……ちょっとだけ、怖い。私が、あの人を殺したようなものだった。なのに、私だけがあの人を置いて一人でのうのうと逃げてしまった。だから、どんな感情でこれを書いたのかが分からなくて……」
そう言葉を絞り出す彼女の横顔は辛そうで、悲しそうで。
でも、その本から目を離すことは出来ない。
「じゃあ、俺も見ていいか? 俺にも一緒に、その言葉を受け止めさせて欲しい」
「……っ。……うん、そうだよね。何が書かれていても、ちゃんと受け止めなきゃ。……シノブが一緒に、見てくれるのなら」
優しい口調で言った信乃の言葉は、何とか彼女の背中を押すことが出来たのだろう。
シラは逡巡の後に意を決し、信乃との距離を詰めて、「手紙」を読み始めた。
□■□
――本当に奇跡のような確立でこの本を手にしてくれたあなた、「シラ」へ。
それは間違いなく奇跡で、決してこの言葉があなたの元へ届くことはないと思っています。
それでも、その奇跡が起こって、あなたがこの本を読んでくれているという前提で書いていくわ。
久しぶり、というのもなんだか変なのでしょうか。それが何年後かすらも、私には分かりません。
お元気ですか、と聞くのもおかしいでしょうか。多分、その返答を受け止められる身体が私にはもうないのでしょう。
ごめんなさい。ただ一つだけ言えてしまうことは……この手紙をあなたが読んでいる頃には、もう私は間違いなくこの世界にはいないの。
それでもこうして言葉を残したのは、あなたにまだ伝えたかったことがあったからなのです。
……あ。別にあなたへの恨みつらみなんて全然ないわ。まあ強いて言うのなら、私の大事なサンプルの入った試験器具をすっころんで落として割られた時は少しくらいぷちっときたものだけれど。
そんな時折のやんちゃをまだ続けてるのなら、ちゃんと許される範囲にしておきなさいよね。今あなたの隣にいる人が、私くらい優しい人なら全然OKだけど。
大丈夫。あなたはちゃんと、「あなた」を見てくれる人達からはきちんと愛される子よ。そこはちゃんと胸を張って、めいいっぱい甘えておくといいわ。
……話が逸れました。
私がここに残すのは、あなたの名前「シラ」についてです。
この名前には、元があります。
それは、「シロ」というこの世界とは違う言語の言葉です。
これは色を示す言葉。何もない、まっさらな色を示す言葉。
しかもこの言葉には、対義語があります。
それを、「クロ」と言うのだそうです。
そう、いつもあなたが私への愛称として読んでくれていた発音と同じものです。
これはまっさらとは程遠い、影よりも更に濃く塗りつぶされた色を示す言葉。
満たされているように見えて、意味があるように見えて、結局そこには何もない色なのです。
あなたと私で、「シロ」と「クロ」。正反対で、なのに似たような運命を背負ってしまった二人。
だからこういう名前がいいのかなと、思った私もいました。
でも、あなたにはその「白さ」がありながらも、決して何もないまっさらではなかったのです。
私の「クロ」とは違う、あなたはまっさらな「シロ」だからこそ、様々な色を受け入れられる。
そうして受け入れた色は、もうどうとも形容し難くて、ただただ煌めいていたのです。
だからこそ私は「キラキラ」という言葉も、あなたの「シロ」に混ぜてしまったのだと思うのです。
白くて、きらきら。だからあなたは――「シラ」。
これがあなたを示す、あなただけの色。
……何が、言いたいのかっていうとね。
あなたはただ、この名前通りにあなただけの在り方を持って生きて欲しいってことを伝えたかった。
あの薄暗い研究機関での日々なんて全部忘れてしまっても構わない。
あなたは「シロ」じゃない、私という「クロ」なんてただ正反対な運命を背負わなくていいの。
あなたはどうか、そのあなただけの色を持って、これからも生きてね。
それでいいの。私も、あなたのその色がとても好きだったんだから。
……ねえ、シラ。私の、可愛いシラ。
私は、あなたに救われました。他でもない、あなたという存在に、色に心を打たれました。
だから、どうかこの言葉を最後にあなたに届けさせて。
黒くて何も見ることのなかったはずの私に、その色を見せてくれてありがとう。
私に笑いかけてくれて、愛してくれて、笑顔を向けてくれてありがとう。
私と、あの日出会ってくれてありがとう。
――生まれてきてくれて、本当にありがとう。シラ。
□■□
「……わた、しも……」
その手紙を読み終えたシラは、泣いていた。
俯いて尚、その目から絶えず雫が零れ落ち、本を濡らしていく。
「私も……あの日、あなたに出会えて……本当に、良かった……」
信乃もただ黙ってその本に目を落とし、嗚咽で震えるシラの言葉を聞く。
「あなただけじゃ、ないよ……。あなたの……色が、私の救いになったの……。あなたの色とも交わったから……今の、私の色があるの……」
乱暴に袖で涙を拭う。それでも涙は止まらないが、彼女は空を仰ぎ、叫ぶ。
「……っ、クロ!! 私は、ここにいるよ!! あなたがあの日助け出してくれた私は、五年経ってもまだこうして生きているよ!! あなたの色だって受け継いで、私はこれからを生きていくんだよ!!」
波打ち際にいるスルトは、こちらに背を向けたまま言葉を受け止め、空を見上げていた。
潮風にマントをはためかせ、微動だにせず直立したまま、彼方の夕空を見据える彼女の表情は見えない。
「だから……だから……っ! この……思いは! この……言葉は……!」
やはり、少女は感情を抑えられないままに涙を流し続ける。もう顔すらも上げられず俯き。
それでも、言葉だけは最後まではっきりと紡いだ。
「ちゃんと……あなたに、届いたかな……っ」
「……」
沈黙。
そこからはもう言葉にもならず、ただ嗚咽し続ける少女の頭に優しく手を乗せ。
それでも、有麻信乃も夕空を見上げて言うのだった。
「……届いたよ、絶対に」
数奇な運命を背負い。悲しき過去を知り、過酷な現実と向き合い、やがて来る未来を覚悟し。
それでも、生きることを願う。
罪だけではなかった、憎しみだけではなかった。そこには確かに、誰かの願いがあった。
だからこそ託されたことを知り、愛されたことを知り。
その日少女は、生まれた意味を知る。
【第二章・完】
□■□
【14:00】
「……はーい。こちら、ヨルム中将です☆」
『ああ、僕だヨルム。先に帰って申し訳ない。まだそちらは軍事拠点の撤去作業中だろうか』
「まあ、元帥! ええ、ええそんなところですが、直に終わりますよ。何かありました?」
『いや、こちらも仕事が一段落したのでね。少しばかり息抜きの雑談でもと思ったのだが』
「いえいえ大歓迎です! 別に私もそんなにやることありませんし! いやぁしかし、先程はありがとうございました! 相変わらず雷が冴えてますねぇ。それでぴしゃん!と、本土に攻めてきていた吸血鬼共も瞬時に殲滅してこちらに援護へきてくれたのでしょう?」
『ふむ。まあ、大体そんなところだ。更に他国とのごたごたもあったが……また後日話そう。ともあれ僕としては口惜しい。折角僕の手がけた「ヴァルキュリア」だ。僕が何かせずとも、もっと連邦軍らに活躍して欲しい所だからね』
「またまたそんなことを言ってー☆ 結局はあなた一人が本気を出せば、帝国そのものをひねりつぶせそうなくせにぃー☆」
『残念ながらそれは過大評価だ。帝国を侮ってはいけないよヨルム。その為に僕はこうして連邦を、軍隊を作ったのだから。……それはそれとしてヨルム、君は僕の最高傑作の一つである「ブリュンヒルデ・ゼロ」を派手にぶっ壊してくれたとの報告を受けているが?』
「(ぎくぅ)……ま、まあ……ちょっと油断をしまして、ね。だーいじょうぶですよ次こそは! と言うわけで元帥、また修理お願いしますっ!!」
『……はぁ。君には軍事訓練の時点でぶっ壊してくれたという実績もあるし、まあこの作戦でもやらかすとは思っていた。というかそもそも君に司令官としての任を託したこの作戦自体を見事に失敗してくれた。……元帥という立場上、帰ってきたら僕からの多少のお小言は覚悟するといいヨルム』
「ひ、ひぇぇええええ……! 私だって、頑張ったんですぅ……! そもそも司令官としての初仕事がこんな大役っていうのはどうなんですかー!? 連邦軍の人手不足にそもそも問題があるかとー!!」
『そんなに、強かったかね? ――「彼」は』
「……まあ、そもそもユミル・リプロスが想定強度の捕縛魔法で捕まえられなかったというのもありますが……間違いなく『信乃さん』の存在も我々の敗因の最たるものでしょう。更に彼が従えてみせた魔王と血盟四天王『轟火の剣鬼』の力も加わり……悔しいですが、本気の私でもどうすることも出来ませんでしたよ」
『そうか。ならば彼にも、この世界に呼ばれるだけの「器」があったと。……ヨルムにそこまで言わせるのなら、本当に凄いな』
「ね、凄いでしょう? 彼もやはり『勇者』だったのですよ。……ふふっ。ねえ、元帥」
『なんだろうか、ヨルム』
「いやはや、本当に面白いことになって来たとは思いません? だから、ですね……」
「そろそろ、あなたも動かれてはどうです? ――『神手の勇者』アルド・オルディン元帥?」
【第三章へ続く】
これにて第二章終了です!!ようやく書けました…汗。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!
作者としては、血盟四天王の魔人達を皆個性的なキャラに仕上げられたのが良かったです。シラも、一章からずいぶんと成長させることが出来たなと感じました。
次からは三章となりますが…ちょっと作者のリアルでの事情と純粋にまだ三章の構図を組み立て切れていないことから、しばらく期間が空くことになるかと思います。楽しみにしてくださっている読者の皆様、申し訳ないです…。
もしも「さっさと続き書けコノヤロウ」などと嬉しいことを思って下さる方は、いいね、ブクマ、☆☆☆☆☆をつけ、感想やレビュー等書いて応援していただけるととても嬉しいです!作者、がんばります( ´∀`)bグッ!
次回に一つだけ変なおまけをつける予定ですが、ひとまずここまでとなります!
改めて、ありがとうございました!