百十九話:それは、引き金を引く物語
「……」
間があった。殺気があった。
こんなもの、ほとんど脅しと宣戦布告のようなものだ。穏便に聞き届けられるものでもないし、ここで殺し合いが始まってもおかしくはない。
それでも、長い沈黙の後にフェンリルはこう答えた。
「……ふむ。確かに、悪戯に兵を失うものでも無いな。その『開拓兵』の独断行動もこちらに非があるものとあり、貴様らの殺戮もこの協定には違反として触れてくれぬ。……良かろう、貴様らという見過ごせない驚異から魔人達を守るためだ。開拓兵制度の撤廃、一旦持ち帰り大いに前向きに検討させて貰う。後日、連邦に他の協定と共に正式な決定を伝えよう」
「な……き、貴重な人間共の調達源を……グ、グゥウウウ……!!」
声を荒らげそうになったロキも、しかし口篭ってしまう。
ここで否定を示せば、信乃の魔法に撃ち抜かれる。何よりも、今後この開拓兵制度は信乃達の働きで瓦解するだけでしか無いことを彼も悟ってしまったのだろう。
彼までも認めてしまった今、この決定はほぼ覆らない。
「――」
刹那。信乃がこの時脳裏に蘇っていた光景は、いつかの少女がこちらに向けた、悲し気な笑顔だった。
『――私の両親ね、数年前に殺されたんだ。魔人に』
『私のお父さんとお母さん、命乞いしたのにどうして殺されたの? どうしてその死を笑われたの? 何か、悪いことをしたの……?』
所詮は開拓兵である一般魔人の起こした、帝国全体に比べれば余りにも小さな悪事に過ぎない。
それでも、幼かった彼女が背負うには余りにも大きすぎる悲しみだった。
彼女だけではない。魔人という怪物達に日常を浸蝕されてきた、何の罪も無かった村人は決して少なくはなかったはずだ。
今日という多くの犠牲を払った戦いにも、きっと大きな意味など無かった。巨人を壊したところで、平和が訪れることは決してない。
それでも――
「――ごめんね、シノブ。これが、私の限界。やっぱり、かの魔王に届くにはまだまだ程遠いみたい。……それでも、私達は進んだよ。その歩みが余りにも小さくとも、確かに私達が勝ち取れたものもあるんだよ」
シラは信乃へと振り向き、儚げな微笑みを向ける。
彼女は今、帝国の今後の在り方を変えるというとんでもない功績を遺した。だが当の本人はそれを誇る様子が微塵もなく、ただ現実を受け止め、悲しそうに信乃を見ている。
「……でも、それは本当に小さなもの。きっとこれからも、私達は地獄を突き進まなければならないのだろう。悲しいね、悔しいね。私達がどれだけ全力で戦い続けても、きっとこれからも失われる命がある。……だから、いいよシノブ。もうこの戦いにうんざりしてしまったのなら、あなたはその魔法を撃ってもいいんだよ? 後は、私が命がけであなたを守る。だから……ずっと一人で戦ってきたあなたには、その引き金を引く資格があるんだよ?」
少女の言葉は憐憫があり、後悔があり、そして慈しみがあった。
無力を悟る。だからこそ、命を賭してでも世界を救うことを願う。
『――どうか許されるのならば、この怪物の命を使って欲しい。私と共に……世界を救って欲しい』
「――」
沈黙。静寂でありながらも、吐き気を催すような殺気に満たされた刹那。
「……『エクスプロージョン・バースト』!!」
それでも、有麻信乃は引き金を引いた。
「「「……」」」
その場にいる誰もが、しばらく言葉を発することは無かった。
フェンリルは、全く感情も現すことなく微動だにせず。
ロキは、最初から興味のなさそうに、不機嫌に。
スルトは、不敵で凶悪な笑みを浮かべたまま。
ヨルムンガンドは、唖然とした表情で。
皆、一部破壊された塔の床を――信乃がロキから軌道を外した魔法が炸裂した箇所を見ていた。
「……しの、ぶ……?」
その中で、シラだけは呆然とした様子で信乃の名を呼んだ。
「……ちっ、気が変わった。確かに冷静さを欠いていたのは俺の方だ。何も、焦る必要なんてない。……そうだ、こいつに気付かされた。俺達はもう、確実に帝国を追い込み始めているんだろうが」
信乃は不機嫌そうな声を血盟四天王の魔人達に対して発しながらも、優しくシラの頭に手を乗せる。「ふえ……?」と彼女の顔が微かに赤くなったような気がするが、構うことは無い。
信乃はまた、この世界一優しい魔王に救われた。
「そもそも『復讐』だって残っている。あんなに凶悪な道化の姿も垣間見てしまったからこそ、この目の前にいる『黒幕』とやらだけ倒しても、全てが終わるとも到底思えなくなってきた。今回この外周区で見せられてきたものについても、更に謎が深まるばかりだ。……ああそうだよ。まだこんなところで結果を急いでも、何の意味も無かったんだ」
今度は空に向けてガンドの銃口を突き付け、再び魔法発動。
それは、改めての宣戦布告。この狂った異世界への反逆という名の挑戦の意を示す。
「――いいだろう! てめえらの言う通り、『勇者』もまたここで手を引いてやる! だが忘れるな! 俺達は何一つ諦めてなどいない!」
後悔を断ち切る。これもまた覚悟だ。
この怪物達と渡り合っていくためには、信乃だってまた怪物にならなければならない。
いつか失われていく救えたはずの命よりも。
いつか救う多くの命を、信乃は取るのだ。
「覚悟するがいい! 俺達は、必ずお前達魔人を殺して世界を救う! その日が来るまで、どんな地獄へも沈んでいく! そうしてお前達に向けて、この世界に向けて――俺達はこの引き金を引き続けよう!!」
「……」
シラは微笑み、そっと信乃の手を取る。同じように、信乃の見る景色を見据える。
その場にいる血盟四天王の魔人達も、それぞれの感情を込めて勇者と魔王を見る。
本当の姿が分からなくとも、「その脅威」は確実に各々の胸に刻みつけられる。
そうだ。信乃とシラの戦いは、本当の意味でここから始まる。
それはただ、神秘を浸蝕されて尚も歪な形でそれを残すこの世界への、長い長い反逆の物語。
――この世界に向けて、引き金を引く物語。