百十六話:天雷
それは鳥の大軍、と形容出来る規模ですらない。空はほぼ黒く埋め尽くされ、下は日が昇っているというのに夜のように暗い。ざっと見ただけでも、その数五万以上はくだらないだろう。
更にこの機体軍団の中心には、「母艦」とでも形容するべき超巨大な黄金の戦艦の姿まで確認出来た。
「なん……だ、あれ。あんな数を、一体どこから……」
そう信乃が呆然と呟く横で、ヨルムンガンドの少し間の抜けた明るい声が聞こえてきた。
「――はい、こちらヨルム中将☆ この場に来たということは……まあ! もう連邦本土攻めてきていた吸血鬼達を返り討ちにしてしまったのですね! また懲りず攻めてきそうではありますが、とりあえずお疲れ様でございます☆ でもって、こちらへの助力感謝です! ……ええ、こちらもほぼ終わりですよ。巨人の奪取には失敗しましたが、帝国側から『休戦協定』が出されました。事実上の帝国側の降伏ってやつです。なのでこっちが貰えるものとかの内容を確認次第、程よく撤退しようと思います。……折角来たのに、もうやることはない? ええ、そう言いたいところなのですが……この協定に賛同出来ないお馬鹿さんが、どうにもまだちょっかいだそうとしているようなのですよ。なので――ちょっと『一喝』だけ、お願いします☆」
その直後の出来事だった。
雷鳴が、轟いた。
朝日が昇った穏やかな空に、一瞬にして暗雲が立ち込める。その内より眩い閃光と共に、膨大な量の魔力をまとった雷撃が遠くの外壁に落とされて、そこを大きく抉り崩壊させる。
――ドォオオオオオオオオオオオオッ!!
「「「……!!」」」
塔の上にいる信乃達どころか、下にいる冒険家達や亜人達、魔人達ですらその有様を唖然として見つめている。
一瞬の出来事だったため、魔法威力までは「ラタトスク・アイ」で数値化して見ている暇は無かった。
だがどう見ても、スルトの「レーヴァテイン」レベルの火力が出ている。
その直後、やはり塔に会した一同の中で唯一機嫌の良さそうなヨルムンガンドが声を発するのだった。
「はーい、フェンリルさんの言う通りです! その休戦協定、司祭さん兼皇帝代理様の立ち合いの元で直ちに応じましょう☆ でもって信乃さん達に危害を加えるのも禁止ということで! もしもロキさんだけ逃げようとしたり、お二人が殺されてしまうようであれば.....今の雷が、今度はロキさん目掛けて落ちるものと思って下さいね?」
「ぬ、ぬぅ!?」
「……! どういうつもりだ、ヨルムンガンド。俺達の生死などどうでも良いのではなかったのか?」
ロキが唸る。そしてどうやら信乃達を庇ってくれているらしい彼女へ、信乃もそう問いかける。
すると彼女は信乃に向けてまた腹の底が見えない怪しい笑みを向け、ちろりと舌で唇を舐めながら答えた。
「もう、そんなの嘘に決まっているではありませんか♡ 私だって、信乃さん達を助けたいのですよ? 他でもないあなた達のせいで、帝国の魔人達を一網打尽にする術が失われました。そうなればもう、あなた達には意地でも生き残ってもらう他ありません。……我々連邦のためにも、ね☆」
「……ああ、そうかよ。もう『次』を考えていると。……本当に、末恐ろしい女だ」
信乃は、悪態のため息を付くしかなかった。
今回はスルトに倒されたヨルムンガンドではあったが、やはり食えない人物であることに変わりはない。
もう、彼女はこの作戦に未練はなく信乃達にも大した恨みはないようだ。寧ろ、今後の戦いに備えてより多くの駒を残しておきたいとでも考えているのだろう。
確かに「敵の敵は味方」とまではいかないが、信乃達がいるだけでも大きな帝国の抑止力となり、連邦の側にもメリットは多い。
利用するために生かされている上に、まんまと借りまで作ってしまったようで大いに癪ではあるが、ここで反論をすることは出来なかった。
「それに、今の雷撃は……やはりそちらのものなのか? シラの扱える雷属性魔法よりも高威力を出しているようだが」
「ふふっ。我々連邦本気の攻撃、とでも思っていただければ大丈夫です☆ ねえ、あなたにこれを防ぐことは出来ますか……フェンリルさん?」
やはり怪しい含み笑いのまま、ヨルムンガンドは次に動けないでいるフェンリルへと視線を向けた。
「我々も『内周区と帝都』が怖いため、こちらから手を出すつもりはありません。しかしそちらから来るのであれば……容赦はしませんよ?」
「……ふむ、非常に残念だ。ならばもう私には貴様らを殺せない。今の雷……我が弱点属性であれだけの破壊力ならば、我が鎧も簡単に砕かれるだろう。話に聞いたことはあったが、ここでまさか『かの人物』が出張って来ようとはな」
首を振りながらそう答える他無かったフェンリルもまた首を動かし、ロキの方を見る。
「さて、いかがする司祭殿。今回の戦争の前線へ飛び出したのは貴殿自身のご判断だ。その結果、こうしてまんまと連邦の照準を向けられてしまった。この協定とは、御身を無事に帝都へご帰還させるためのものでもあるのだ。そのお体、よもや分身でもなかろう? 勇者達を殺すことも大事であるが……まずは御身の命が優先なのでは?」
「ぐ……ぐむ。ぐむむむむむゥ……!」
「ほらほら無能司祭さん。フェンリルさんは、あなたが余計に前に出張って来たせいでこんな事態になったと言っているんですよ? ぐずってないで、さっさと『休戦協定』を始めましょう☆ ……くすっ。『協定』と言えば聞こえはいいですが、要するに『何かを賠償するからもうこの戦いから手を引いてくれ』ってことですよね? ねえねえ、今までさんざん周辺諸国へ大いに被害をもたらしてきたあなた達帝国はぁ、どのような賠償で『許してくれ』って言おうしているんですかぁ?」
横からヨルムンガンドに煽られて尚も、ロキは唸るだけで何も言うことは無かった。そのまま、怒りに震える腕で文書をフェンリルへと差し出す。
その様子を見てやはり溜息をついた彼女は文書を受け取り、それに目を通しながら「休戦協定」の説明を始めるのだった。