百十三話:最強の調停者
「……っ!」
シラも、微かに肩を跳ね上げて「彼女」を見る。一度は死の淵を彷徨うほどの重症を負わされた相手だ、そう身構えてしまうのも仕方が無い。
信乃達にとっては十数時間ぶりの再会となる。しかし、出来ればもう出会いたくはなかった。
せめて幻であったのなら、という淡い期待すらも打ち砕くように、その騎士は鎧に低く響くせいで男とすら間違えてしまうような声を発するのだった。
「……成程、随分と状況が変わったものだ。よもや司祭殿ですら手を焼くとはな」
「おお……オオオ、『フェンリル』!! 実に良いタイミングで戻ってきたでは無いかァ!! さあ外周区最強の駒よ、殺戮せよ! 奴らの肉体損傷を抑えろとまではもはや言うまい! 裏切り者のスルト共々勇者と魔王を殺し、そこのヨルムンガンドも始末し、地上で蔓延る人間や亜人共に慈悲を与え救済せよ!!」
その姿を確認するなり、途端にロキが耳障りな奇声を騎士――血盟四天王の魔人フェンリル・ヴォイドへとかける。
当然この騎士こそは、紛れもなく帝国陣営の魔人だ。しかも、この場で今一番体力が回復していて戦えるのも彼女だ。
咄嗟に信乃は、スルトに耳打ちしていた。
「(おい……お前はあいつに勝てるのか、スルト?)」
「(……いいや、と正直に否定するしかねえ。昨夜も言ったが、フェンリルの水魔法は特殊でな。アタシの『ソーン・フォール』でも無効化出来ねえんだ。だからそもそも『水と火』の属性相性の面で最悪で、『魔剣』をぶつけたとしてもあの鎧を砕けねえ。しかもアタシ自身あの暗黒根暗馬鹿女と戦ったせいで身体も万全とは程遠い。ちっ……単体性能は大したことないロキ司祭相手ならばまだしも、あの正真正銘『最強』の騎士だけはな……)」
「(くそ……俺ももうお前に分けてやれるようなポーション類もない。そして俺とシラ二人もほぼ使い物にならんという状況だ。ヨルムンガンドに無理矢理協力を仰ごうにもあいつも戦えない。……誰も、あいつを止められる奴がいないのか……!)」
本当にフェンリルには最悪のタイミングで復活されたものだ。一度好転した状況が、また一転して最悪なものとなった。
ここで容赦なく彼女が動けば、三人共容易くやられてしまう。そして、折角生存した地上の冒険家達にも甚大な被害が出てしまう。
「……ああ、そうだな。私は、私の責務を果たすとしよう」
思考を巡らせる猶予も無かった。
この最悪最強のジョーカーはそんな言葉を呟くと――あろうことか、信乃達から背を向けてしまった。
「……は?」
真っ先に困惑の声を上げたのは、ロキだった。
フェンリルは、この塔の上から人間・亜人・魔人の大軍がごちゃ混ぜに入り乱れている戦場を見下ろしていた。
そして手に持つ氷の大剣を床に突き立て、この区画全土へと響くような大声で宣うのだった。
「――皆の者、戦いはここまでだ! 此度帝国に踏み入った人間や亜人共も、我が愛すべき魔人の同士達も、皆等しく魔器を収めよ!! 繰り返す! 我が調停の元に、この戦争を終わらせよ!! ……これは、アース帝国第二皇女『ヴァーリ・ウル・ヴァラスキャルヴ』殿下直々のお言葉である!! これを破る者は、殿下の騎士『フェンリル・ヴォイド』の黒氷の底に沈むものと思え!!」
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【10:35】
その破星の極光は、内周区「フェンサリル」にある絢爛豪華な洋館の窓からも見えていた。
「――そう。とうとう巨人は、魔王の力を以て破壊されましたのね。失態ですわよロキ司祭。まさか魔王までこの戦いに参加しているなどと予想が出来なかったとは言え、あなたは欲に目が眩んでしくじりましたの。……ならばやはり、この戦争はここまでですわね。いたずらに死者を出すわけにも参りませんわ」
そう、青と黒のドレスを纏う金髪の美女・ヴァーリは窓を見つめ溜息を付きながら呟いた。
そしてすぐに振り向き、心配そうな顔で部屋の中を見る。
「……本当に行きますの、フェンリル? 身体もまだ万全では無いはずですわ。別にこの『調停者』、あなたが無理に務める必要もありませんのよ?」
「いいや、私が行くよヴァーリ」
返された声は、部屋の真ん中にある天蓋付きベットの傍らで、包帯の巻かれた華奢な身体に騎士の礼服を着ている最中の少女・フェンリルのものだった。
「今や第一区画には、ニーズヘッグ、スルト、ロキ司祭殿、ヨルムンガンドの四人が集結しているのだろう? ならば、この私が出張らないわけにはいかない。……このまま姿を出さずに、一番影の薄い血盟四天王だと思われてしまうのも癪だ。魔王にも、他の連中にもいい顔はさせない。今一度、本当の強者というものを知らしめてやらねばな」
そんな(フェンリルなりの)ユーモアを含んだ発言をしつつ、美麗な微笑みをこちらに向けてくる。ヴァーリに心配をかけないように、という本心がこういう面では不器用な彼女から伝わってきてしまう。
「……もう。いつの間にそんな悪い子に育ってしまいましたの?」
だからこそヴァーリは、尊敬と慈愛を込めてたおやかに微笑み、彼女を見送ることしか出来ない。
あっという間に準備を整えて部屋の出口に立ったフェンリルは、部屋の奥からヴァーリが近づいてくるまでその場で留まってくれていた。
「待っていてくれ、ヴァーリ。私が、必ずこの戦争を止めてみせるから」
「お気をつけて。この館の入口で、あなたの師団副長が待っていますわよ。あの子も気が気じゃないご様子でしたわ」
「ボルケニオンか。彼にも苦労と心配をかけてしまっているが、最後の一仕事として第一区画まで飛ばしてもらわなくてはな。……では、行ってくる」
「あ、少しお待ちなさいな」
「ん、まだ何か……。……ッ!?」
再び死地へ向かうフェンリルを見て、自分でも何を思ったのかよく分からない。
ヴァーリに呼び止められて振り向いたその可愛い頬に、彼女は咄嗟に口づけをしていた。