百八話:そして魔王は、引き金を引く
「……それでも、きっとお前は『特別』だ。だってお前は、この世界に一人しかいないんだろうがよ」
そう返した信乃を、シラは微かに驚いた表情で見つめる。
「そうだよ。俺達はきっと、『特別』であって『特別』じゃない、そんな訳の分からない存在なんだと思う。……なあシラ、お前は何がしたい? 何を憎みたい? 何を、愛したい?」
「……私は」
一瞬の逡巡、それでも彼女はすぐに表情を引き締め、答える。
「……そうだね。私は、人が好き。希望を見せてくれたあなた達が好き。優しく頭を撫でてくれたあなた達が好き。――愛してくれた、あなた達が好き。だから私は、人を殺す魔人を憎む。魔人の命を奪って、世界を救う」
「その魔人達も、元は人間だと分かっていてもか?」
シラは、また目を伏せる。思い出した過去の記憶の中で、他の魔人の実験体を見てその正体を知る機会もあったのだろう。
「どんな綺麗事を並べても、俺達は誰かを救うために誰かから奪っていることを忘れるな。俺達は、冷酷な人殺しであるということを忘れるな。……それでも、お前はまだその銃口を魔人達に向けられるのか?」
だが彼女はまた前を見据える。その目には、迷いは無かった。
「――私は、罪を背負うと決めたから。『人』が『人』を殺すことは、当たり前のように行われていても、とても悲しいことだと思う。だからその悲しみを断ち切る為に、私が『人』を殺す。これは償いであり、新たなる罪だ。そして、私の生きる意味だ。この『間違い』の先に、あなた達の平穏と笑顔があるから。これが私の、私だけが持つ正義だから。……だから私は、私のために戦い続けるんだ」
――そうだとも。
彼女は特別ではない。信乃も特別ではない。
この世界に生きる命全ては、特別などではない。
皆万能ではない。何かを憎み、何かを愛し、そうして自分だけの正義を持って生きている。
その混沌とした世界の中で、自分の願いを遂げることはきっと険しく困難な道のりとなるのだろう。
――それでも、彼女は「戦う」と言った。
信乃も前を向く。ユミル・リプロスを、アース帝国を、これから立ち向かう世界を見据えて、叫んだ。
「ああ、それでいい! 正解などなくていい!! これは他でもない、俺達の戦いだ!! お前が願え、お前が決めろ!! そのためにお前は――この世界に生まれ落ちて来たんだろうが!」
少女は微かに驚く。だが彼女も淡い微笑みを返し、同じように前を向いて叫ぶ。
「……そうだ、これは私の『物語』だ! 多くの思想が渦巻く世界だからこそ、私は私の正義を貫く!」
「この景色を見ているのは、誰でもない俺達だ! それを『救いたい』と願ったのも、この世界で唯一無二の俺達だ!」
「ならば私は、私だけの生き様を貫く! 私は、何の色にもなれない私だけの色をこの世界へと映していく! そうして私は、私という存在の全ての重みを乗せて――この世界に向けて、引き金を引こう!!」
渦巻く魔力の風力は、やがて最高潮の強さとなる。その銃口へ密集した魔力は、これまで経験したことのない程の凄まじい密度となる。
「こうして、私は生きていくんだ! 特別でなくても、意味が無くても! それでも私達は、誰かの心へ生きた証を残すために! 『私がいた』と証明するために、生きていくんだ! ――そうでしょう、クロ!?」
――ギギィ!!
とうとう、「タルタロス」の捕縛魔法も発動する。光の灯った八基の魔器より鎖が伸び、再び巨人を捕縛する。
それも長くはもたない。すぐに巨人は鎖を破壊してしまうだろう。それでも、巨人はその「しばらく」を動けない。
止まってしまった対象に、銃口の照準をしっかりと定める。
絶対に外してはいけない一撃は、確かに巨人へと走る軌道を取る。
『ググ……ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
巨人は、その刹那に塔へ集まる莫大な魔力の危険性を察知したのだろう。こちらへと何とか動く顔の穴を向けて、莫大な魔法威力を誇る光線を放ってくる。
〝原初の裁き
魔法攻撃力:600
威力階級ディヴァイン:×128
無属性補正:×0.8
魔法威力:61440〟
だが、二人は目を逸らさない。見据える先は、変わること無く光線の先にいる「ユミル・リプロス」だ。
信乃は銃の持ち手を握るシラの手を握る。
重なった二人の手の指は、そのまま力を込め――
「――破星の魔神撃よ、砕け――『マイツゼロ・ブラッドノヴァ』」
――そして魔王は、引き金を引く。
〝マイツゼロ・ブラッドノヴァ
魔法攻撃力:300
威力階級ユグドラシル:×256
闇属性補正:×1.2
カイザー補正:×1.5
魔法威力:138240〟
一瞬、この世界にある物全ての色が反転した。
二つの銃口より放たれた赤黒き一閃は、どろりとした濃密で膨大な量の魔力を纏いながら一直線に走る。
周囲へと黒き光をまき散らして、目の前に迫っていた巨人の光線すらもあっさりと貫通して消し飛ばし、尚も揺らぎなく一直線に走る。
遂には巨人の胸へと到達した黒赤光はそこへ点となって留まり、急速に膨れ上がる。どんどん膨張を続けるそれは、瞬く間にその巨躯を空へと持ち上げながら内側より破壊し吸収していく。
『グギ、ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴガァ!!』
『……は、え……ギョエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!?』
巨人の断末魔と、その中に入り込んだままの魔人ロキのこの上ない驚愕した声が重なる。
その赤黒巨球が巨人の大きささえも優に超え、第一区画の空をすっぽりと覆ってしまう頃には、もう対象は跡形もなく押し潰された後だった。
こうして巨神さえも成す術なくあっさりと呑み込んだ「破星砲」は、だが幸いにも名前通りこの星そのものまで呑み込むことはなく消えていく。
そのまま急速にしぼんだそこには、もう何も残ってはいなかった。