百六話:始まりの破壊
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「――追加、詠唱」
信乃がただ見守る中、そうシラは目を閉じたまま、握られていない右手をかざしながら詠唱を始める。
直後にいつもの「完全顕現」通りに魔法陣が現れるのだが、その様相が随分と違う。
血のような深紅ではない、黒とも赤とも取れるような曖昧で不気味な色彩を放つそれが、彼女の周囲から幾何学的な紋様を描いて現れる。
「我、全てを終わらせる者。我、あらゆる命を蒐集し、泉に凝縮する者」
だがその魔法陣は、やがてうねり始める。
まるで生き物のように、触手を蠢かせるかのように不気味に歪み、縮み、そして一か所へと集まっていく。
「力はやがて星をも砕き、全てを零に帰す。なれば其れは神話の終焉の先を造る力。破壊と創造を司る力」
そうして彼女の目の前に出来上がったのは、赤黒の泥によって出来た黒点だった。
「……っ!?」
恐らくはそこから、「魔神器」が生まれてくるのだろう。だが、何やら様子が変だ。
黒点は歪にごぼごぼと蠢き続けるものの、一向に肝心のそれを吐き出さない。
信乃も、勿論彼女の「秘策」については聞いていた。
その魔泉の奥底に眠るという、魔王秘蔵の「魔神器」を取ってくるらしい。
本来ならばシラに扱えるものでは無いのだが、その構造が信乃の「神杖」に似ているからこそ、「血の盟約」によってその使用適性を信乃より借り受け、扱える可能性をぐっと上げたのだとか。
しかしあくまでも「似ている」というだけの話だ。信乃のその権能を以てしても、どうやら「魔神器」を完全に呼び寄せることは出来ないらしい。
「……う、く……」
詠唱も止まり、シラはまだ意識を『向こう側』に置いたまま苦悶の表情を浮かべる。
時間が経ち過ぎている。彼女を包む銀光が、「不死の加護」の効力が切れ始め、その身体には「代償」が現れ始めて血を吹き出す。
このままでは、シラが死んでしまう。
「シラ!! くそ……起きない! これを呼び寄せない限り、帰って来ないのか!!」
本当は、こんなことを彼女にさせるのは嫌だった。でも、他に手が無かったからこうするしか無かった。
その結果がこれだ。あと数十秒もすれば「不死の加護」は完全に解け、魔泉に取り残された彼女の身体は弾け飛ぶ。
だから、その前に信乃が「何か」をしてこの「顕現」を成功させなければ、彼女の助かる道はない。それどころか、この秘策の失敗に待つ先はユミル・リプロスの「大量虐殺」だ。
今、多くの人々の命運は信乃の判断に委ねられている。
だが、その「何か」を咄嗟に思い浮ぶはずもない。
シラに呼べない物を、信乃に呼べるはずがない。
(あの泥を壊して……いや、それでシラがどうなるかも分からない! ひたすらに回復を……だめだ、それも結局成功の見込みのない彼女頼みでしかない! くそ、くそ!! だが何かあるはずだ! 考えろ、考えろ……!! ……だめだ、何も思い浮かばない。ふざけるな……また、俺は……失うのか?)
考えすぎて、目の前が真っ暗になっていく。何も見えなくなってしまいそうになる。
(頼む、頼む……!! 今度こそ、俺は――守ると決めた女の子を、助けたいんだ!!)
それでも、絶対に放棄するわけにはいかない。
歯を食いしばる。刹那の時にしがみつき、必死に思考を巡らせて――
唐突に、その「奇跡」は起こった。
『――諦めないで、信乃』
何故か真っ暗だった脳裏に、いつか最初の冒険に連れ出してくれた、三人の少年少女達の顔が過ぎった。
「……え?」
再び戻った視界。目の前にはその手に乗っている、自分の腰のホルスターに収めていたはずの「ガンド」があった。
(俺、いつの間に持って……いや、待てよ)
そして次の瞬間には不思議なくらいにすらすらと、その突拍子も無い思考が動いていく。
(……ああ。俺の不完全な使用適性により、不完全な呼ばれ方をされているから、シラはその「魔神器」を全く呼び寄せていない思っていた。――だが、実はもう呼び寄せてすぐそこにあるのではないか? ただ「不完全」のまま持ってきているから、それは「完全」ではない。完全ではないのなら……本来の「形」が無くなっていて、ただ見えていないだけなんじゃないか?)
『あら、知識のおさらい? 勤勉ね信乃は。私達が今使っているガンドが誰でも使える「武器型魔器」。昔からある杖とか魔導書というのは、「適正型魔器」と呼ばれるもので、名前通り「使用適正」がある者しか使えないわ! ……え? じゃあ「神器」はどうなのかって? そりゃ使用適正があるんだから、古き良き「適正型魔器」に決まっているでしょ?』
『正直よ、作っている武器屋ですら適正型魔器についてはどういう仕組みなのか未だによく分からん。そう、ただ魔法触媒の「形」を作るだけなんだ。魔器とは本来、魔法を撃つための魔法触媒のみを指す言葉だった。適正型魔器である魔導書や杖は書かれている文字、形状概念そのものを魔法触媒として魔法を放つものだな』
(……そうだ、足りないだけなんだ。適正だけあっても意味は無い。ガンドのような武器型魔器と同じように、結局必要になるのは実体だ。この適正型魔器に必要なのは魔法を撃つ概念……「形」。シラの「魔神器」は、本来の魔器構造を持ってこられず、魔法を撃つ機構すら成り立っていないのかもしれない。例えるのならば霊体のようなものだから、この世界にそもそも魔器として出てこられないと……。……っ!?)
そして、気付く。
(ならばそこに――「魔器の基本構造」を投げ込んで、その霊体に憑依……融合させてやれば?)
信乃は自分のガンドを握りしめる。更には、シラの腰に付いているもう一つのガンドも取り出す。
一つで足りないのなら、惜しみなく二つでも捧げてやればいい。
元々これは、二つで「一人の少女」の魔器だ。
それは咄嗟に浮かぶはずもなかったアイディア。根拠は無いが、何故かこれが正解なのだと確信している。
不思議なことが起こったとしか言いようがないが、誰が起こしてくれた「奇跡」なのかははっきりと分かる。
――また、助けられてしまったようだ。
(……お願いだ。カイン、キノ、――ロア。俺達を、シラを、守ってくれ……!!)
切実なる祈りを込める。
信乃は、躊躇うことなく二つのガンドを、黒泥の中へと放り込んだ。
どす黒い雷光。
莫大な魔力を纏うそれが、ガンドを入れられた泥の中より暴れ狂ったかのように次々と吐き出され、周囲にぶち当たって瓦礫を巻き上げる。
「……!!」
成功なのかも、失敗なのかも分からない。
それでも信乃は再びシラの手をしっかりと握り、離さない。
「……ッ! ああ、お前は死なない! お前は、俺と共に死ぬからだ!! だから、ここで終わるんじゃねえ!! さっさとその魔神器を引っ張りだして戻ってこい……シラ!!」
手は尽くした。奇跡にも縋った。
後は絶望の中でも、終末の中でも――それでも信乃は、「信じる」。
「――なればこそ、我は創造する」
いつの間にか雷撃が止み、あらゆる音が失われた刹那の中で、聞こえてきたのは詠唱の続きだった。
「……」
呆然と、信乃はシラを見る。
「我は、命の営みを知る。我は、あらゆる心を知る。我は、全てを見届ける者。苛烈なる破滅の物語を見届け、それでも尚次へと飛び立つ者」
シラは血を流し、もうぼろぼろだ。
それでも目を閉じた顔は安らかに、もうその生誕の儀を絶やすことはない。
「なればこそ我は造る。新しき世界を造る。砕く、砕く。生まれ落ちるための破壊を、今ここに」
黒泥は、急にその蠢きを早める。かと思うと、急に上に長く伸び始め、明確にそのシルエットを造り始める。
――生まれる。
新たなる神話が、始まりを告げる破壊をもたらす力が、今ここに生まれる。
「滅亡の杖よ、新たなる形を以て、今再び我が手に収まるがいい」
長く伸びた泥は、やがて一つの武器となった。
黒よりも暗き、二メートルは超える長く大きい銃身に走る、血のように赤き文様。
先端の銃口は一つではなく、二つの開口が並んでいる。
二つのガンドと融合したそれは、本来の姿ではないのだろう。
狙撃銃や猟銃というにしても更に大きな、大砲の一歩手前。それでも天に伸びる巨銃身はどこまでも禍々しく、そして美しい。
シラは、その赤い双眸を開く。ようやく現世にその「魔神器」と共に戻って来た彼女は、高らかにその名を宣うのだった。
「融合顕現――『破星双銃アスク・ツインドライブ』!!」