五十八話:血の盟約
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数分後。信乃とシラは近くにあった、人気の無い崩れかけの建物の中に移動し、二人きりになっていた。
「「……」」
気まずい。酷く、気まずい状況だ。
スルトも周囲を見張ってくると言い、一時的にこの場を離れている。茶化してくれるような者もいないし、二人共そんなことを言えるような空気ではなかった。
二人は一瞬だけ見つめ合い、すぐに顔を赤くしてお互い目を逸らしてしまう。ずっとこの繰り返しだ。
しかしシラが意を決したように息を呑むと、あろうことか自分の身につけている装備の肩に手をかけた。
「……!」
その動作に、信乃の方が大いに動揺してしまう。
「……あの、ごめんシノブ。ちょっと……後ろ向いてて」
「へ……! あ、ああそうだな!」
みっともなく上擦った声を出し、すぐに後ろを向く。
直後、衣擦れの音が聞こえ出してさらに心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
(まずいだろ……これ。まじでそういう流れみたいじゃないか……)
頭を振る。信乃は煩悩を消し去るために、ついさっきの会話を必死に思い出していた。
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「……お願い、シノブ。私を――たべて?」
何やらユミル・リプロスを打倒する秘策があるようだったシラを問い詰めると、彼女は顔を赤らめながらの上目遣いで言ってきた言葉は、それだった。
「……」
「……」
「……(固)」
「あ、あれ……。シノブがまるで石になってしまったかのように固まってしまった? や、やっぱり……こう言うのもおかしかったのかな? ねえスルト、私変なことを言っちゃったのかな?」
「へ……ア、アタシ!? アタシに振られてもな……この信乃の反応はよく分からねえな。え……何こいつ、本当に動かなくなってんぞ」
「たべる」とは、普通の意味ならば捕食するということだ。
だがそんな危険なことを、彼女はただこうして恥じらいながら言うものではないだろう。そんなことは信乃だって絶対にやりたくはない。
だがもう一つの、女性経験も乏しいくせに彼はその「性的」な意味なら知ってしまっている。
安請け合いで「何でもする」とか言うべきではなかった。そうされる理由は知らないが、シラの秘策のためにまさかここで不肖信乃の貞操が奪われるというのか。
こうして彼の思考と身体が完全停止している間に、シラとスルトが二人で話を進めてくれていた。
「……というかシラ、『たべる』ってのはどういうことだ! そのままの意味だとアンタ、死ぬだろ!? そんなのアタシが……いや信乃が許さねえだろうさ! 無論却下だが、どうやらそのままの意味でもねえんだろ? 信乃もその真意をアンタが言い出すのを待って、こうして直立不動の無言になっているんだろうぜ(多分)。何を恥じらってんのか知らんが、アタシは笑わねえから。信乃が笑ったらアタシがぶん殴ってやる。だからほら、ゆっくりで良いからちゃんと説明しなシラ?」
「……ふぇ、スルトが凄く気遣ってくれている……嬉しい。実はとっても優しい人なの?」
「……っ!? し、しま……はあ!? そんなわけねえだろ! くそ、おら言え! さっさと言え! 言える範囲で言えこの馬鹿娘! うがー!」
「……認識。スルト、がさつに見えて実は気配り上手で面倒見のいいタイプ……好き。いっそもう『スルトお姉ちゃん』って呼んでもいい?」
「うがーー!!!!」
「……じゃなくて。そうだよね、そもそもちゃんと説明しなきゃだし。スルトの言う通りに……ちゃんと言います」
咳払い。やはり赤い顔のまま、シラは動かないままの信乃とスルトに向けて説明を加え始めるのだった。
「シノブと、『血の盟約』を交わしたいの」
「『血の盟約』? なんだそりゃ?」
「私の元となった魔王……『血蒐の魔帝』の権能は、あらゆる生体の魔力や魔法、特性を集めて凝縮し、数多の魔器として自身の中に内包しておける力。それをもっと簡単に、根本的に言うのなら……『他者の力を自分のものにしてしまう』という力なの」
「……ほう。まあ、何となく分かんぞ。他人からどんどん力を奪って、その分自身が強くなるってところか。簡単に言うが、やっぱヤバかったんだなその魔王って奴はよ」
「でもね、その方法とは元々他者を喰らうことでは無かった。それは相手の血を少し飲み、自身の血も少し飲ませるというもの。本来はこれで契約は完了し、魔王はその相手の能力を得る。……これが、『血の盟約』」
「そりゃまたみみっちいやり方だな。当然相手に見返りもねえんだろ? そんな盟約にわざわざ応じる奴なんか……ああ、だから『喰らう』って強行手段もあるわけなのか」
「そう。それがあなた達も知る、相手の能力を得るためのもう一つの『喰らう』というやり方。相手の大部分を喰らう必要があるから、確実に殺しちゃうんだけれど……私は一方的に契約を交わせる。でもシノブは殺したくないから、前者の『血の盟約』の方に応じて欲しい。後でまた詳しく話すけれど……シノブの『神杖の使用適正』を私も得たいの」
「……ふーん。まあ何となく分かった。とにかくアンタはその『血の盟約』を交わすために信乃の血が欲しいし、信乃にもアンタの血を飲んで欲しいと」
「心臓に近い綺麗な血を飲んで欲しいから、シノブには私の首元をがぶっと行って欲しい。……って言うの、やっぱり恥ずかしくて咄嗟に変な言葉に言い換えてしまった……ごめんなさい」
「ああ、だから『たべて』って言ったのか。だがちゃんと良く言えたな、偉いぞシラ。……だってよ信乃。おら、いつまで固まってんだアンタは!!」
「……。……。…………はっ!」
ここで、ようやく信乃の硬直は溶ける。勿論話も聞いていた。
何とか体勢を立て直し、上手く取りまとめようとする。
「……あ、ああなるほどな! そういう方のことか! 決して思考停止していた訳では無い、『どういう意味なんだ?』と思わずじっくり物思いに耽ってしまっただけだぞ、うん。シラ、お前の切り札に託そう。仕方があるまい、さっさとその『血の盟約』とやらを交わして……」
「ちょっと待て。へぇ、アンタがそうなってまで考えることか。そりゃ興味がある。なあ教えてくれよ信乃、シラの言った『たべる』ってのは、他にどういう意味があるんだ?」
「おい待て止めろ」
「シノブ、私も気になる。私世間知らずだから……ちゃんと言葉の意味を知っておきたいなって。『たべる』って、私は他にどんな場面で使えばいいの?」
「止めろ!!!!」
眠っていた分を差し引いた実質精神年齢十一歳のシラと、魔人としての生誕から考えると実質四歳のスルトに、さすがに話せる内容では無いなと思う信乃であった。