二十七話:無垢暴食の限りを尽くす七十二の悪羅
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「――あ」
崩れ落ち、床に血だまりを作り始めたクロリアに集まっていた視線は、すぐにもうそこへの興味が無くなってしまっていた。
彼らはただ茫然と、入口で立ち震えている銀髪の少女を見ていた。
シラだ。どういう成り行きなのかは知らないが、彼女はあの監獄より解き放たれ、ここまで連れて来られたのだろう。
そして、クロリアが殺害されるこの現場を目撃してしまった。
(……う、そ……。なんで、シラが……この場に……?)
「あ、ああ。ああああああああ……いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!」
シラは、命が失われゆくクロリアの姿を見て、ただただ絶叫を漏らしていた。
理性も、心理も、願望も。
それは全てを瓦解させていく音だ。
もはや、研究員達も何も言えていなかった。
ただその怪物の、悲しみと怨嗟の入り混じった叫びをなすすべもなく聞き続けるのみだ。
だがやがて、少女の呪詛は止まる。
――もう、どうなってもいいや。
そんな声が、聞こえたような気がした。
それは突然操り人形のように首だけがかくんと前に倒れ落ち、ただ力なく詠唱を紡ぐ。
「――全てを喰らえ。全てを喰らえ。我、この世界を呪い続ける者。我、終末を見届けて尚も命を嘲笑い、それを蒐集し飛び立つもの。故にこそ足りぬと吠える。故にこそ招集する。悪を以て命を貪る、その七十二の悪魔達を今ここに――『ゴエティア・ブラッド』」
少女のシルエットが、はじけ飛んだ。
まさに、一瞬そう錯覚するに足るものだった。
「……おい、なん……だ、あれ。あの……化け物の、背中から……次々と生えてくるあれは……」
そうとしか、研究員達は言葉に表せない。
シラの背中が、大量の血と共に突き破られる。そこから、皮膚の削がれた剥き出しの筋肉を思わせる赤黒い肉の触手が無数に飛び出してくる。
それらのぱっくりと開いた先端――口の中には、大小歪な牙がびっしりと生えている。
手前の研究員の身体が突如、足が地面から離れる。
彼は、その伸びた一つの触手の口に一瞬で喰われていた。
「は……ぎゃあああああああああああああああああああああああ!!!!」
絶叫が、この場にいる者達の顔を恐怖に引き攣らせる。
――ばきばき、ごくん。
そうして人体が出してはいけない音を立てながら呑み込まれた直後、ロイジャーの場違いな歓喜の声が響く。
「おお、おおおおお! 素晴らしいぞ検体番号000003! 失敗作が最後に、最高の成果を見せてくれました! それはより効率良く多くの命を喰らうための魔王の捕食器官だ!! 『洗脳魔法』では、そこまでのものは引きずり出せなかったからねぇ! 彼女を泳がせて正解だった! 屈辱だが、これが『愛』というものなのかね!?」
無数の触手が伸びる。今度はロイジャーの身体が為す術なく食いちぎられ、血飛沫と肉塊と骨片を飛び散らせる。
それでも完全に壊される直後まで、彼は不気味な笑みを浮かべたまま語り続けるのだった。
「おかげで、本当に良いデータが取れたとも!! 引き継ぎも済ませている! これでもうこの研究所の役目は終わったのだ、もう楽になればいいさァ! 後はこの機関と人間達諸々盛大に死んでくれ!! ああ……まだ信仰も無きあなた様よ。最期に、破滅と言う名の『幸せ』を見つけられて本当に良かったねェ……ク、クカ、クカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカ」
――喰われた。
「「……」」
だが、確かに言葉は残った。
それは、終焉という地獄の始まりを告げる合図だった。
「ひ、ひぃいいいいいいいいいいい!! 化け物だ!! 化け物が脱走して、俺達の捕食を始めたぞ!!」
「逃げろ!! 殺される!! どうして!? 俺達は、帝国に忠誠を誓って……」
「そ、そんな……折角ケビンさんの言う通りにクロリアさんを囮にしたっていうのに……何で!? 僕達が、何をしたって言うのさ!? ひ……く、来るなああああああああぁぁぁ」
逃げ惑い、絶望する者達がいた。
「あ、あぁああああ! こいつ、魔王だ!! 何が魔人だ! 生まれ変わっても、何もお前は変わっていないじゃないか! どれだけ俺達人間を殺せば気が済む!?」
「くそ……死ね、死ねよ! お前が死ねよ!!」
「ああ……許さない! お前だけはあたしが絶対に許さない! 死んでも、あたしだけはお前を呪い続けてやる!!」
逃げながらも怪物を睨みつけ、行き場のない怒りを撒き散らす者がいた。
「あ、あは、あははははははははははははははははははははははは」
「……ここまで、か。ごめんな、ケビンさん、ミーニャさん、……クロリアさん。どうあっても、俺達はこの罪から逃れられないようだ。ふ、ふふ、ふははははははは……」
ただただ、その場から動かずに壊れて笑い続ける者達がいた。
そんな彼らを等しく、触手の塊と化した怪物は無惨に食い散らかして進んでいく。
待ち受ける未来は、シラも含めた「全ての死」だ。
「……」
しかし腹の穴から血を流して倒れているクロリアには、一切触手が飛んで来なかった。
それでも直に死ぬし、もう意識もほとんどない。
だが、すぐには死ねなくなってしまった。
彼女は、最後の力を振り絞って懐から注射器を取り出す。
捨てることも出来ずにずっと持っていたそれは、一年前にロイジャーから渡されていた「魔人化ウイルス」だ。
――ああ、そうだとも。彼女がこの世界に生まれ落ちた意味なんて、もうとっくに決まっていた。
「……待ってて……シラ。今……行くから……ね……」
それを躊躇うことなく自分の腕に突き刺し、注入した。