二十四話:私の、可愛い妹
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「……シラ」
「……」
「見世物」にされたシラはその後、また監獄に戻されていた。
クロリアから背を向けて横たわる彼女自身の有様は、酷いものだ。
魔法を使った代償に、身体のあちこちに傷を負っている。
血はもう止まっているものの、まだ塞ぎきっていない傷口はむき出しのままであるし、赤く血で汚れた彼女の服も見ていて痛々しい。
「……ねえ、シラ。包帯を巻こう? その服だって、洗いたいの。だからお願い、こっちに……」
「来ないで!!」
初めて、そんな鋭い叫びを聞いた。
「見たでしょう、ニンゲン!? これが私だった! あんなに大きな人を何人も、あっさりと呑み込んでしまった! あなただって同じ……私は必ず、あなただって喰い殺すんだ! ……あなたは、私に随分と色々と良くしてくれた。でも私は、何も返せない。どころか、害にしかきっとならない。……だから、お願い。もう私に、構わないで……」
「……」
見てしまったものを、きっとクロリアだって忘れられない。
この少女は、間違いなく怪物だった。
ある程度は食物としての栄養となるのだろう。だが物理的に身体に入らない大部分は魔力へと変わり、彼女の身体に蓄積されるそうだ。
だから彼女は、際限なく命を食べられてしまう。これが魔王の力だ。
ペロリと喰われゆく彼らの絶望の表情も、絶え間なく吹き出し続ける血しぶきも、確かに彼女の目に焼き付けられてしまった。
――それでも。
それでも彼女は怖いと言うよりも、悔しいと感じたのだ。
「……そう、じゃあいいわ。私から、あなたの所に行くから」
「……ッ!?」
クロリアは迷わず鉄格子の南京錠を解き、その扉を開けて中に入った。
軋む鉄の音を聞き、シラは慌てた表情でこちらに振り向く。
「な、なにをしているの!? 私の捕食衝動、まだ収りきっているとも限らない! あなたを、本当に喰い殺してしまうかもしれない! 来ないで、来ないで……!」
「……いいえ、行くわ。それでも良いって、私は言ったの。以前にも話したでしょう? 私の人生に意味はないの。私はもう死んでいるようなものなの。だからあなたに喰い殺されたって、一向にかまわない。私が今やりたいことに比べたら、そんなものは安いわ」
「……なに、それ……やりたい……こと?」
「意固地になって拗ねて、でもとっても悲しんでいる、妹みたいに可愛いあなたのそばにいてあげたいってことよ」
そう言って、クロリアは傷に触らないように優しくその小さな背中を抱きしめていた。
「……あ」
「私は、終わりゆくもの。あなたが抱える宿命に比べたら、本当にちっぽけなもの。だから、いいの。私は死んでしまっても」
「……じゃあ、じゃあ……なんで……」
その手を、振りほどかれることは無かった。
ただ彼女は、小さな声で聞いてくる。
「なんで、あなたは……私達は、これまで生きてきたの……?」
「……分からない。でも、それが答えなんじゃないかしら。分からないから、意味がないから、それを見つけたいから、きっとのうのうとここまで生きてしまったのだと思う」
クロリアもまた、そんな曖昧な答えしか返せなかった。
「だからね、私はあなたのそばにいたい。一人じゃ、私はきっと分からないままなの。でも二人なら、私だって……そしてきっとあなただって、何かを見つけられるかもしれない。……だから、お願い。私を拒まないで、シラ」
「……クロ」
それっきり、二人とも黙り込んでしまうのだった。
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「あ、あったあった。これを見て、シラ」
シラの治療も終えた夜、寝付けなさそうだった彼女を見て、クロリアはふと思い当たり机の奥底からそれを探り当てていた。
そこにあったのは、古びた画集だった。
それを早速シラに見せると、彼女は不思議そうに聞き返してくる。
「……これは、なに?」
「私のお父さん、昔は世界のあちこちを旅する画伯だったんだって。まだ赤ん坊だった私に、これを託してたみたい。ここにはね、『地下の外』が描かれているの」
そう言って、クロリアは早速表紙をめくる。
まず出てきたのは、平和でのどかな農村だ。
次に出てきたのは、草木生い茂る幻想的な森林だ。
またその次に出てきたのは、人の活気溢れる昔の帝都の街並みだ。
白く綺麗な雪景色。恐ろしくも美しい火山。どこまでも青く雄大な海――
ずっとシラは、驚いたように、そして食い入るようにその景色を眺めていた。
やがて全ての絵を見終えると、感嘆のため息をつく。
「……綺麗。これが、外の世界? 信じられない。この地下の外に、そんなものが広がっているだなんて」
「でしょ? でもこれは絵よ。芸術的には凄いのかもしれないけれど、どこまでいっても本物の世界じゃない。……いつか、二人でそれを見られるといいね」
「……無理だよ、現実的にも。何よりもこの世界は……私には綺麗過ぎる」
「無理でも、よ! 言ったでしょ、二人で生きてく意味を見つけるって。つまりは、目標よ! ……ね? そんな未来を思い描くだけでも、『生きなきゃ』って、そう思えてくるでしょう?」
それにクロリアからすれば、是非とも彼女にはこんな景色の中で立っていて欲しい。
きっと、本当によく似合うのだろう。
「……そんなの。よく、分かんないよ」
シラの答えは、素っ気ないものだった。
それでも、その口元は微かに、確かに笑っていたのだった。