一話:虚無の終わりは唐突に
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「……あー、ばかばか。あとちょっとでやられちまった。もうクソゲー、二度とやんねえ」
薄暗く散らかった自室の中、有麻信乃は机に座り、ゲーム機を下ろしてため息を漏らした。
「気晴らしに前見たあのファンタジーのアニメもう一回見直そう。面白かったし。内容はある程度頭に入っているから、ソシャゲの周回しながらだな」
ベッドの上に放り捨てられてあるスマホを取りに行こうとして席を立つ。
姿見に、少し色の抜けた焦げ茶の前髪で左目を完全に覆い隠してしまっている、陰キャ全開の姿が映り込んだ。
ろくに運動もしていないため全く筋肉の付いていないやせ細った身体に、ぶかぶかのよれたジャージを着こんでいる。せめてぼさぼさになってしまっている髪さえ整えれば多少はましな見てくれにはなりそうだが、しかし切りに行くのは論外であるし、自分で切るのすら面倒臭い。
そもそも、ずっと誰とも会っていないのだから見た目など気にする必要もない。
今度はふと部屋の隅を――埃の被ってしまった学生カバンとその中からはみ出した教科書を見てしまって、思わず目を逸らす。
「……今日って、何曜日だっけ」
誰に聞かせるでもない呟きを、ぽつりと漏らす。
「高校に行かなくなって、どれくらい経つんだっけ」
平等、平和。そんなものを謳いだした現代社会だが、結局のところこの世界の本質は大昔と何も変わってなどいない。
強い者が蔓延り、弱い者が淘汰される。それがダイレクトに生死に直結しなくなったというだけだ。
負けた者は命の代わりに、その心を奪われてしまうようになった。
ある者は強者に嫌われ、冷たい目で見られ、孤独を強いられる。
ある者は強者の言いなりになり、ずっとこき使われ、時には暴力すらも振るわれる。
そうやって、この混沌とした人間社会の中でゆっくりと精神の方を殺されていく。
それはある意味、肉体的な死よりも残酷なことではないのか。
別に、弱肉強食というその機構そのものに不満があるわけではない。
人間という生物が長年環境に適応し、種を繋いでいく上では必要不可欠な本能だったのだろう。
不満があるとすれば、自身がその弱者の側に立たされてしまったということだけだ。
信乃は、この世界が嫌いだ。
必死に逃避していた現実を思い出してしまい、俯きながらぽつりと呟いていた。
「俺もこんな世界で引きこもりじゃなくて、ファンタジー世界で勇者になって、仲間と一緒に魔王を倒す大冒険をしたかったな……」
答える者は誰もいない。まるで死後の世界のような、薄暗い彼しかいない部屋では静寂が続くのみだ。
「……あほか俺は。何言ってんだか」
溜息を付き、気を取り直してスマホを取る。再び、この終わった世界以外の幾つもの空想世界の中へと潜り込んでいこうとする。
だが、急に目眩を覚えた。
「あれ……やっぱり徹夜でアニメぶっ通したのは堪えたかな。ちょっと寝るか、どうせ時間はいくらでもある。ああ……でも、スタミナだけでも消化、してから……」
布団にもぐりスマホの画面を見ていたが、信乃の意識はすぐに闇へと落ちていった。
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『……しの……』
誰かが、ずっと何かを言っている。
『ごめ……い……』
でも酷く不安定な通信のように、断片的にしか聞き取れない。かろうじて女性の声と認識出来る程度だ。
『あな……に、は……うん、めい……かく……を。……ま……「ノル、ン……遺跡」。そこ、に……、神器……』
ノルン遺跡? 神器?
『おね……が……。あなた、にし……』
意味が分からない部分が多過ぎる。でも何故かこれだけは分かる。
彼女は酷く辛そうで、悲しそうで、必死に助けを求めている。
ああ、もしも。こんな自分でも、何も無い、何もかもを失った空虚な人間でも。それでも、助けになってやれるのなら。誰かの役に立てるのなら。
そんなことを、考えてしまった。
『どう、か……世界、を……』