十六話:失敗作の魔王
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「アア、アアアアア……」
「ニンゲン、ニンゲンダ……」
「コロス、コロシタイ……ヒヒ……」
監獄のように左右がずっと檻続きになっている、細く薄暗い通路。
その檻の中には、実験体である魔人や魔物達がびっしりと収容されている。
鉄格子はかなり丈夫であり物理的には破られない。実験体からは通常時は魔力を吸い上げて空にしており、魔法も放つことは出来ないため、基本的には安全だ。
それでも異形達が鉄格子を掴み一様にこちらを「敵」と認識して睨みつけて来る様は、本当に不気味だった。
(……まあ、これから向かう所にいる奴の方が、ここにいる奴らとは比べ物にもならない、よっぽどの怪物らしいからね。この程度で怖気づいてもいられないわ……)
勉強会を終えて夕方、ここからはまた研究員達は夜まで研究に明け暮れることとなる。
そしてクロリアは、早速ロイジャー教授の指示通り「その実験体」の元へと向かっていた。
検体番号000003――「魔人ニーズヘッグ」。
それは魔人研究が始まってから三番目に生み出された魔人であり、その生誕は十年前にも遡るそうだ。
そして、ちょうどこの頃から「ファヴニール反応」の生体融合で魔人達の数が一気に増えてくることとなる。
だがニーズヘッグ含むその「最初の三体」は、クロリアの今やっている研究のように人間受精卵と魔物のDNAが融合し誕生した、「生まれながらの魔人」達だそうだ。
一体目は、クロリアも良く知っている。否、この帝国で知らない人物などきっといないのだろう。だが「彼」はもう実験体などではない。
二体目は、どうやら7年前に起こった「不慮の事故」とやらで死んでしまったらしい。その件に関しては何故かタブーのような扱いを受けており、ロイジャーからも聞き出せなかった。
そして三体目が、クロリアが研究したい魔人の実質上唯一残った実験体・魔人ニーズヘッグになる。
勿論クロリアも、その魔人については事前に調べている。
曰く、その生誕には紆余曲折の苦労があった。
魔王などという絶大な力を魔人という器へ落とし込むことを、「ファヴニール反応」ではどうしても実現が出来なかったために、もう当時では研究の終焉を迎えかけていた「生まれながらの魔人」を造る手法に頼らざる負えなかったそうだ。
曰く、それでもその「魔王の生まれ変わり」は失敗作だった。
魔王固有魔法「フヴェルゲルミル」の継承は確認出来たものの、魔法攻撃力は魔王よりも大きく劣る。しかも、その固有魔法を唱えた際に肉体が耐えきれず、自傷を起こす。更にその血を補う必要があるのか肉食衝動が起こり、魔物だろうが魔人だろうが人間だろうが、命あるものをなんでも喰らいつくそうとしてしまう。
曰く、それはもうとっくに帝国より見放されている。
仲間である魔人ですら喰らってしまう可能性のあるそれを、何よりも魔法を唱える度に自傷していずれは勝手に命を落とす危険性すらあるそれを、まともな戦力としては見られない。その怪物には、自身の取り込んだ魔物が魔王だとは知らされていないようだが、ただあくまでもそれの精神面での安定を図るため。あくまでも穏便に、その魔人を処分する方法を探っているのが現状だそうだ。
だが折角生まれた、かの伝説に語り継がれる魔帝の魔人だ。ロイジャー教授によれば、帝国はそれを処分する前にやはり使い道はないのかを念のため調べておきたいらしく、最後の専属研究員としてクロリアを指名してくれたらしい。その要求は今日の内に受理され、早速クロリアはこうしてその初仕事へ向かっているというわけだ。
(……しかし噂だけでも、とんでもないわね。生まれて十年程度の魔人だって話で、人間でいればまだ幼い少年少女に当たる年だけれど、魔王ニーズヘッグなんてものを取り込んでいるのでしょう? ロイジャー教授からは「その姿は実際に会って見てみるといい」って言われたけれど……もうそれが魔人なんて認識の埒外にいる、途方もなく巨大な肉塊だと言われても納得出来る自信があるわ。私を見るなりぱっくり食べに襲い掛かって来るだなんてことも想定しておいた方がいい。……ケビンさん達の言っていた「脱走」まで生きていられるだなんて、正直期待は出来ないわね……)
正直、クロリアは凄く怖い。
お世話をする専属研究員と言えば聞こえはいいが、カイルの言う通り、もうロイジャーからは「ニーズヘッグに喰い殺されろ」と言われているようなものだ。魔人ならばまだしも、ただの人間であるクロリアに抗う術はない。今日は言い過ぎでも、彼女はいつ命を落としてもおかしくはない。
それでも、クロリアはこうして進み続けている。
彼女の命には、きっと意味はない。生まれてすぐに彼女の帝国は、「人間が魔人へと生まれ変わる場所」となり、その存在意義を否定されている。
何とか研究員としてその命を今日まで繋ぎ止めては来たものの、いつ帝国の気まぐれで彼女は殺されるか魔人へと変えられてしまうのかも分からない。
だからもう、彼女は生まれた時から死んでいる。
だがそこで何もかもを諦めてしまうことは、やはり嫌なのだ。
(顔も覚えていない両親のためっていうのも、何かおかしい。それでも、私はこうして人間として生まれてきたんですもの。だったら怪物へと変えられてしまう前に、せめて私は「クロリアという人間」として、この世界に大きな何かを……私が「そうであって欲しい」と思う物を、生きた証を残してみたい。だから私は、この使命を最後まで全うしてみせるわ……!!)
歩き続けて、ようやくたどり着く。通路の突き当り、そこには重々しく施錠された鉄の扉がある。
ここが、正真正銘本物の怪物が収容されている部屋だ。
「……ッ!」
ロイジャーからもらった鍵で施錠を解除する。
意を決し、クロリアはその扉を開くのだった。