五話:読めない女
「……なんの、真似だ?」
「なーんて、な。状況見て分かんねえか? アタシは魔人達に襲われているアンタ達を助け、こうして地下まで運んだんだ。つまり、今のアタシにアンタ達を殺す気はないってことさ。良かったな、今日のアタシは優しくて」
そう軽薄に笑いながらスルトは答える。だが、納得できる答えではない。
「何が目的だ」
「だから気まぐれだって。アタシの機嫌が良いと思ってくれていいぞ。なあ、アンタだってそっちの方が嬉しいだろ? 大人しくその好意に甘えておけばいいじゃねえか」
「……ッ! 俺達を生かそうとする明確な理由を、要件を言え!!」
苛立ちから信乃は叫ぶ。
どうせ敵が温情をかけてくる理由など、ろくなものではないのだから。
だが、そんなもので怯むような相手ではない。
「理由、ねえ。そいつは……こういうのがお望みなのか?」
スルトは信乃に顔を近づけると、相変わらずその苛烈な美貌に似合う狂笑を浮かべながら答えるのだった。
「――『降伏勧告』だ、勇者! 二か月前にも言ったろ、アンタ達を殺すには余りにも惜しい! その実力自体は高く評価されている! 『あなた達帝国の絶大な力を思い知りました、我々は二度とあなた達には逆らいません。我々もあなた達の軍門に下り、共に多くの人間達を殺すことをお約束いたします』と、そう頭をこすり付けて帝国に懇願してみろ!! そうすれば、慈悲深き我らが『アウン様』はきっとアンタ達を生かしてくれるだろうよ!!」
――分かり切っている、答えだった。
数時間前にも、違う勢力から似たようなことを言われていた。
誰も彼もが、こちらの事情もお構いなしに「勇者」と「魔王」の力は欲しいらしい。
「……同じだ。お前もやっぱり、あいつらと同じなんだ」
狂っている、全部、全部。
おかしいのは、帝国だけではない。
この世界そのものが、全てがおかしいのだ。
油断して何もしてこない敵を刺激しない方がいい。そんなことは信乃でも分かっている。
それでも、ずっと溜まり続けていた怒りを目の前の女にぶつけずにはいられないのだった。
「ずっと命を狙っておいて、見捨てておいて、力を示した途端にお前達はそれか!? 弱ければ淘汰し、強ければ利用する為に何が何でも生かすのか!? ああ――帝国も、連邦も、何もしないこの世界全部の人間達も……全部クソだ!! 力さえあれば、何でもやっていいと思っている! 力こそが、それを持つ魔人こそが絶対だと思っている!! ふざけやがって、ふざけやがって……なんなんだこの醜悪な世界は! あの世界と何も変わらない! 理解が出来ない、付いていけない! 俺は、そんなお前達に従う気は決してない! せめて命尽きるまで、派手に暴れてやるだけだ!!」
「――」
スルトは、しばらく呆気に取られているかのように目を見開いていた。
だがそれも数秒、ガンドの銃口を再び信乃の眉間へと近づける。
「……っ」
そんな「降伏勧告」にも乗らない信乃を、やはり殺すといったところか。
戦う覚悟は出来ていたつもりだったが、急に目先に向けられた銃口に思わず一瞬目を閉じてしまい――
「よっと」
――むにゅ。
「……は?」
その隙に、全く予想していなかった感触を受ける。
スルトは、ガンドを持たない左手で信乃の右手を掴んで引き寄せ、彼女の豊満な胸を服の上から鷲掴みにさせていた。
「……へ?」
――むにゅむにゅ。
ロアやシラ、ヨルムンガンドに何度か身体に押し付けられるくらいはしたものの、直接手で触ったことは無かったその肉塊に、ずぶずぶと指が沈む。有り得ないくらいに柔らかくてとても温かい。
間違いなく信乃が掴んでしまっているのは、目の前にいる美女の乳だ。だがそんな物を掴まされた理由が全く分からない。
新手の動揺を誘う作戦だろうか? だが怒りに燃える信乃がこんなものに屈するはずがない。更に押し付けられる。柔らかい。これが血盟四天王の魔人の実力だというのだろうか? やはり一筋縄ではいかないようだ、抗えない。
――頭は湯気を吹き出し、瞬時にショートしていた。
「……ぶふぅっ!? え!? な、なななななにやってんだお前!?」
さっきまでの怒りはどこへやら、赤面してみっともなく狼狽する信乃に対してスルトは至って冷静に言うのだった。
「……ああいや。アンタ、ここに来るまでに随分と苦労してきたんだなと。アタシなりに……その、励ましてんだぜ? アタシにはよく分からんが、男ってのは女の胸が好きなんだろ? こんな怪物の乳房で悪いが、それでも揉ませれば多少は元気になると思ったんだが……」
「は、はあ!? こんな時に、ふ、ふざけんな! もも、揉ませるな、離せ!!」
「お、さっきより随分と眉間のしわが消えてんな? なんだ、アンタにはこういう方が効くのかよ! ……おし、もう騒ぐな、落ち着けよ。じゃなきゃ――今度は直で揉ませる」
「!?!? わ、分かった! 落ち着く! 落ち着くからこれ以上馬鹿な真似はよせ!!」
「アタシは――脱ぐぜ!!」
「脱ぐな痴女!!」
自分の服の裾をめくって白く艶かしいお腹をチラつかせながら、ウインクをしてそんな(限りなくご褒美に近い)脅しをかけてきたスルトに、耐性の無い信乃は思わずそのまま要求を呑んでしまう。
本当に、この修羅場になんなのだろうかこの会話は。
信乃は自分のあらゆる方面での情けなさにいっそもう殺してくれとすら思っていると、スルトはようやく自分の胸から真っ赤になっていた彼の手を離してくれた。
「ふう、やっと戦意を削いだか。……まあいい、アンタの答えは聞いた。帝国に与する気はない、これでいいんだな?」
「……はあ……はあ……。当たり前だ」
二か月前といい、相変わらず全然読めないスルトの奇行によってかき回されてしまった場に、しかし再び真面目な空気が流れる。どこまで行ってもそう答える道しかなかった信乃に、彼女は溜息交じりに言った。
「命知らずだな。いいぜ、ならそれを度外視して聞いてやる。……選べよ勇者。今死ぬか、まだもう少し生き延びるか、ただそれだけの二択だ」
「なに?」
訳の分からない問いに思わず聞き返す信乃へ、スルトは顔を近づけて再度聞いてくる。
「いいから選べよ。この場で無慈悲に殺されるのか、まだ数時間は生きて、その間にこのアタシから逃げる算段を考え出すのか。アンタは世界を救う勇者として、どっちを選ぶかって聞いてんだ」
「……」
そう聞いてくる相手の意図が、よく分からない。なぜ殺してこないのかが分からない。
それでも、有麻信乃は答えていた。
「……やらなければならないことがある。だから俺達は帝国の言いなりにはならないし、死ぬわけにはいかないんだ」
「……あっそう」
そうとだけ言って、スルトはそのまま信乃を掴み上げ、放り投げた。
「ぐっ!?」
再び感じる、熱く硬い鉄の感触。信乃はまたリンドヴルムの背中に乗せられていた。その直後に、スルトは担いでいた信乃のバッグから回復用のポーションを一つ彼に投げ渡してくる。
そのまま、またスルトはシラと神杖を担ぎ直し、先程も進んでいた方向へ通路を歩き始めていた。信乃を乗せるリンドヴルムもそれに付いて二本の後ろ足でズンズンと歩行を始める。
「……ッ、お、おい! なんだこれは!? お前は、俺達をどうするつもりなんだ!?」
「心配すんな、アンタ達を見つけたことはまだ誰にも報告してねえし、今からしに行くつもりもねえよ」
そこまで言ったスルトは再び振り向いて、いつになく真面目な顔でこう続けるのだった。
「……ツラを貸せ。アンタ達にはこれから、三つばかりの『地獄』を見てもらいたい。これが、敵という立場であってもアンタ達を生かしている理由だ。それが終わるまでは、アタシは決してアンタ達を殺さないことを約束してやろう。だから、黙ってアタシについてこい」