九十六話:中将の苛立ち
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「……」
煙も晴れつつある中、ヨルムは冷ややかな目で倒れているカリンを見下ろしていた。
向かってきた身の程知らずの馬鹿共は全て始末出来た。残るはもう動けないカリン、信乃、シラの三人だけとなる。
だがそこには、もう信乃とシラの姿は既に無かった。
「……あなたを見捨てて逃げた、腰抜けの勇者様と魔王様はどちらに?」
「腰、抜け……? さぁ……そんな人達、あたしは知らない……がぁっ!?」
すかさずカリンの投げ出されていた右手を踏み抜くと、彼女は更に顔を苦しそうに歪める。
「口を割らないのはおすすめしませんよ。囚われの身でも生き永らえるのか、とことんまでいたぶられて死ぬのかどっちがいいんですか?」
「……っく、あー……それは、困るわね……参ったな。あたしの『ワープ』、移動先の座標までは指定出来ず……ランダムなのよね。だからあなたに拷問なんかされちゃったら……何も吐けずに殺されるだけだわ」
「……くっ、また面倒なものを持ってますね。それが本当ならば、完全に逃げられたというわけですか。――ああ、このくそモブが。『勇者の伝説』に例えるのならば、片隅の一場面程度に出てくるかも怪しいただの人間が。出しゃばってんじゃないですよ」
どうやらもうこれ以上信乃達の足取りは追えないようだ。その苛立ちを、ヨルムは目の前のカリンにぶつける。
「でもって彼らだけを逃がして、自己犠牲の悦にでも浸っているんですか? せめて死ねば目立てるとでも思っているんですか? はっ、如何にも弱者らしい考え方ですね。あなたは彼らを救いたいんじゃない、そう言ってみせることで何も出来ない自分の存在を救いたいだけなんですよ。それでもって後のことを任せるのは全部主役である勇者様達なんですよね、この卑怯者が」
「……ふ、はは。酷い言われようね。まあ……反論は何も出来ないわ。確かにあたしは凡人で……何もかもが足りていなくて……弱いことは認める。あたしは間違いなく、彼らに丸投げした……卑怯者よ。……でもね、その卑怯者って面では、あなたも同じでしょうが……ヨルムンガンド」
「……は?」
鋭い眼光で睨みつけるヨルムを、カリンはほんの少しの怯えも混じらせながら真っ直ぐに睨み返してくる。
「あなた……シラちゃんが――魔王が怖いんでしょ? だからあの子が動けなくなってから、タイミングを見計らってこうして出張ってきた。はっ……笑わせる。何が血盟四天王の『魔人』よ。あなたは結局生まれ変わっても、魔王の残滓にすらも……怯えているんじゃないの、卑怯者?」
「――」
ヨルムは、カリンの腹を思いっきり蹴り上げた。
「がは……ッ!!」
少し跳ね上がる身体。苦悶の表情から吐き出される血。再びそれが地面を転がると、もう意識を失っていた。
「……ちっ」
これではもう拷問すらも出来ない。すかさずそれの下に「穴」を空け、吸い込む。これで信乃とシラを除いた全ての分隊メンバーを回収出来た。
もう周囲に他の魔人達の気配すらもない。残っているのは完全にヨルム一人だ。
「……っ。……う……おぇ……」
戦いも終わり、少し気が抜けてしまうや否や、ヨルムは急に気持ち悪くなり口元を押えて嘔吐いてしまう。
原因は明白で、反理にいる「ブリュンヒルデ」に積んでいた「マジックポーション」内の液体を、門によるこの世界への転送によって何度か無理矢理彼女の胃袋に注ぎ込んで魔力を回復させたことによる。
魔法を絶やすことなく魔力を回復させられる、擬似的に帝国の「無限魔力の加護」を再現出来る良い手段なのだが、彼女の身体自身がこの行為を好まない。
直接胃に流し込むことへの抵抗も勿論あるが、昔間違えて胃袋ではない違う器官に液体を大量に注ぎ込んでしまって死にかけた惨事があり、そのトラウマによるものもあるのだ。
そもそも、今回は魔力切れまで持ち込まれてしまう想定もなかった。
魔王であるシラが眠ってしまったいたため、ろくな攻撃魔法は使えない勇者単体にはそう苦戦はしないであろうとヨルムは高を括っていたのである。
しかし乱入してきた魔人の軍勢、そして信乃を守っていた分隊メンバー達の想像以上の奮闘によって、ヨルムは思っていたよりも随分と魔法を行使してしまったのだ。
もちろん、マジックポーション瓶ごと自身の手元に転送させて、口から摂取するという本来のやり方で魔力を回復させる選択肢もあった。しかし、そうしている間はどうしても魔法が止まってしまう。そんな僅かな隙の間にも、彼らは逃げ隠れてしまいそうな程の決断力と行動力があった。
「……はぁ……くそ。正直舐めていましたよ。まだうら若き乙女にこんな姿を晒させるとか……本当に、よくもやってくれましたね」
口元から垂れた涎を拭い、中腰になっていた身体を起こしてヨルムは不機嫌そうに独り言を漏らす。
何よりも想定外なのは、これだけ手こずらせておいて肝心の勇者達をまんまと逃がしてしまったことだ。
本当に、腹立たしい。
ひとまずその場を立ち去ろうとした時に、戦闘中は目もくれていなかった通信機にノイズが走った。誰かから連絡が来たようだ。
「……こちら、ヨルム中将」
『あ、やっと繋がったわ。はぁーい、ヨルムちゃん。ウチやで、ライザ少将や』
応答すると、聞き覚えのある独特の訛りがある女性の声が返ってきてヨルムは更に顔を顰めていた。