八十六話:それはお前の願望だ
「……ッ!? だ、だめだアル……しの……いいや俺達冒険家は偽名だとしても登録ネームで呼ばせてもらうルールだった――アルマ君!! あの女の誘いに乗ってはいけない!!」
横から、切羽詰まったシンジの説得が聞こえてくる。だが信乃はまたそれも片手で制して、またヨルムンガンドに質問を返していた。
「この期に及んで勧誘とは笑わせる。お前達連邦は、『ユミル・リプロス』を手に入れた時点で勝利となるのではないのか? なのに、なぜ更なる戦力の増強にこだわる?」
「……いいえ、それだけが我々の勝利条件ではございません。この二ヶ月で準備と計画は練ってきましたが、それでも仮に『ユミル・リプロス』を捕獲した所で、『ガルドル大陸完全破壊計画』を実行するにはどうしても更に数日を要してしまうでしょう。その間に帝国は巨人奪還のため本気で連邦を攻めて来るでしょうし、他の国々の人間達も黙ってはいないでしょう。我々はその数日、大陸そのものを敵に回すこととなるのです。だからこそ血盟四天王の魔人にすら対抗出来る力を持つあなた達に敵に回って欲しくはありませんし、逆に我々と共にそれを凌いで欲しいと考えています」
「断る」
率直に、信乃ははっきりとそう否定をした。しかし、相手はそれで揺らぐことはない。
「勿論、あなた達には最大限の譲歩を致します。協力いただいた暁には、信乃さんとニーズヘッグさんにもヴァルキュリアに搭乗いただき、我々と共にその後の新しい世界を生きてもらいます。それだけではありません、あなた達とある程度親しい方々も、全て生き延びさせましょう。そして勿論、私を守ってくれたこの分隊の方々もです。どうですか? 私は、これまでのあなた達の旅の出会いを無駄にはしません。世界が変わっても、あなた達の周りの環境は、人生は、決して変わらないのですよ」
「黙れ、それは譲歩ではない。ただの人質だ。そして莫大なる犠牲だ。俺は、俺達は、救われるべき全ての命を救うために戦う。大量虐殺が前提のお前達にやり方に、決して賛同することはない」
「……なぜです? なぜあなたは、そんな関係のない人間達にまでこだわるのです?」
そこで初めてヨルムンガンドは、今までとは違う表情を見せる。
困惑、悲しみ。眉根を寄せ、静かな口調で彼女は問いかけた。
「これまでの旅路、決して楽なものでは無かったことをお察し致します。あなたは勇者でありながら、誰もあなたに付いてこようとはしなかった。あなたのそばにいるのは、私と同じ怪物であるニーズヘッグさんだけ。これまで、あなたの為に多くの人間が死んだのでしょう、あなたを貶めるために多くの人間があなたを裏切ったのでしょう。人間も……そして亜人達も、魔人に比べて圧倒的に弱く、そして醜く儚い生き物です。そこまでして、あなたに守る価値があるものには思えない。それなのにどうして信乃さんは、そうしてまで……?」
次に、彼女は眠り続けているシラに目を向ける。
「ニーズヘッグさん……魔物達の王――魔王だなんて途方も無い力を宿しながら、それでも他の魔人達とは違う道を歩もうとするシラさん。私は、彼女にも共感せざる負えません。魔人でありながらも、帝国を離反した魔人。彼女は化け物でありながらも、ただ彼女の思うままに、彼女に良くしてくれる方々を信じて生きていたいだけなのです。いいですよ、私は彼女の意見も聞きましょう。彼女が目覚めるまで待ってあげます。だから、せめてあなただけでも頷いて下さい信乃さん。それだけでも、私は彼女が目覚めるまであなた達を守ることをお約束しますから……!」
「……ならば、また俺から今更な質問をさせてもらうぞ、ヨルムンガンド・アルバス。なぜお前は、帝国を裏切った? 魔人という身でありながら、なぜ亜人側に――その醜く儚く守る価値の無い人の側に付いている?」
「……」
そんな信乃からの質問に対し、ヨルムンガンドはしばらく何も答えなかった。やがて眉根を寄せながら両手を胸の前で祈るように包み、漏らす。
「……私は、あの人達に付いて行くと決めたのです。あり方など、とうに託しました。馬鹿で、愚かで、救えなくて……それでも、彼らの理想を私は遂げたい。そのために、私はどんなに酷いことでも致しましょう。それが、何にもなれない半端者である私の生き方なのです」
「そうか。多くを聞くつもりはないが、大体は分かったよ。――それが、お前の願望なんだな、ヨルムンガンド」
「――」
恐らく、それはずっと嘘偽りを並べてきた彼女の、数少ない本心なのだろう。
だからこそ、ヨルムンガンドは目を見開きながら言葉を失っていた。
「『人を、世界を救う』。それが他でもないシラの――魔人ニーズヘッグの願望だ。お前に彼女が分かるだと? ふざけるのも大概にしろよ。お前は彼女のことを何一つ分かってなどいない。彼女を起こすまでもない、この交渉は決裂だ。彼女も、そして俺も、その在り方をお前の為に、誰かの悪意の為に歪めてやるつもりは毛頭ない。人の善も悪も、俺達はその全てを『勇者』として丸ごと救うのだからな」
「……馬鹿げている。我々の掲げる絶対の救いを、あなたは拒むのですか? 確かに全能の救いではない、それでもあなたの掲げる途方も無い夢物語ではない――確実に、救われる命はあるのですよ? 私はただ、私なりにこの世界の行く末を思って……」
「確かにそうなのだろうな。だがお前はさっき確かに言ったぞ――『ヴァーナの民は全て救う』とな。種の多様性を守るというのなら、その比率はおかしい。お前はただ、お前の救いたいものを救うだけではないのか?」
「……ッ!?」
再び狼狽し、黙ってしまった彼女に対して、信乃はとどめの言い文句を刺した。
「語るに落ちてんだよ、ヨルムンガンド。その先にあるのは人の為の世ではない、ただお前という怪物にとって都合が良いだけの世だ。それを正義だと信じて疑わないお前が、亜人以外は死んでいいと考えているお前が――俺達の価値を、決めてんじゃねえ!!」