八十五話:二か月前からの思惑
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【23:00】
「フォル……ス、ブラッ……ド……うそ。あなたが、かの……伝説の……?」
女が自身の正体を明かし、そこからしばらくの沈黙があった。
ミルラも、シンジも、分隊の皆も。
先代の勇者達の伝説における悪役の重要な一体を、ろくな言葉も出せず畏怖の眼差しで見つめていた。
最悪だ、と信乃も胸中で吐き捨てる。
真実は知っておきたかったしここに来なくても生還は難しかったとはいえ、想像していた中で一番最悪なエンカウントと言っても良いだろう。
これで、三体目。シラにこうして意識のない今、あれに勝つことはほぼ不可能だ。
(……いいや、違う。これは多分、最初から――あの二ヶ月前の戦いから続いていたこの女の思惑だった。俺達は最初から、あいつの手のひらの上にいたんだ)
ならばもう、この茶番も終わりだ。
絶望的状況を悟りながら、苦々しい口調で口を開く。
「ヨルム、いいや――魔人ヨルムンガンド。世界に厄災をもたらした巨悪・血盟四天王の魔人だったとはな。空間転移……いや、詠唱からして世界そのものを別世界へ反転させる力か。信じがたい能力だが……お前はやはり、その裏側の世界より俺達とスルトの戦いを覗き見、とっくに知っていたのだな」
そう問いかけると、女は――ヨルムンガンドはやはり笑いながら、更に頬を少し赤らめて興奮気味に答えた。
「ええ! ええ! 勿論ですよ――『神杖の勇者』有麻信乃さんに、『血蒐の魔帝』の魔人ニーズヘッグ・ブラッドカイゼルさん!! あの時は突然ミズル王国へ侵攻を始めたアース帝国の様子をこっそりと観察する程度の目的でしたが……なんと、とんでもない魔法をぶつけあう二つの勢力を偶然見つけてしまったのです! 片や私も知らなかった、私とは別の血盟四天王の魔人を語る『スルト・マイヤード』さん! そしてもう片や、逃走中だったはずの神杖の勇者様に魔王の力を封じた魔人様までいるではありませんか! もう大興奮でしたよ、私! あなた達の戦いは、言葉は、全て裏側よりこの現世に開けた小さな隙間から覗き見、聞かせて頂きましたとも! その後光線が降り注いだため、その隙間も閉じる必要があったためにあの時は姿を見失ってしまいましたが、こうして時を経て再会出来て本当に良かったですよ☆」
「「「……ッ!?」」」
その言葉に驚いていたのは、むしろ周りの分隊達だった。
「アル、マ……君? あんたが指名手配中の、神杖の勇者……? それに『血蒐の魔帝』……だって? な、なんだこれは……ヨルムがとんでもないが魔人だったことと言い、次々と一体なんなんだ!? 俺達は、今何の場に立ち会っている!?」
「何となく、噂の『魔人殺し』なんじゃないかって勘ぐってはいたわ。でもまさか、アルマ君が勇者で、シラちゃんが魔王……? なによ、これ……こんなことって……!」
「……」
「アルマ、さん……シラ、さん……」
皆がそれぞれの動揺を示している中で、いよいよ正体をばらされたことへの緊張感を孕みながらも、信乃は冷静を装って質問を続けた。
「なぜ俺達の正体を知っていながら、このような茶番を繰り広げた? 裏をかいて、俺達を倒すつもりだったのか?」
「まさか倒すなどと、とんでもない。ご安心を、私は魔人ではありますが帝国とは離反し、こうして連邦に付いている身です。あなた達と同じ、間違いなく帝国と敵対する者なのですよ。これは此度の作戦のもう一つの目的のため……私は多少卑怯で強引な手段を取ってでも、こうしてあなた達二人との『交渉』の場を設けたかったためなのです☆」
「交渉だと? 卑怯……なるほど、俺達をこうして無力化してからってことか。うまいやり方だ。やられてる側じゃなければ、その手際を素直に褒めたかったよ」
そう信乃が皮肉を交えて言うも、それにヨルムンガンドが怒る様子は無かった。ただ誉め言葉として受け止め、更に機嫌の良さそうな笑みを零すばかりだ。
「……うふふ、ありがとうございます☆ この通り私はあなた達にとって相容れない存在でありまともな話し合いは難しかったでしょうし、そもそもずっと国交を絶っていた連邦そのものを信用してはくれなかったでしょう。だからこその今日の誘い出しです。あなた達が冒険家のペンダントを下げていたところも目撃していたので、居場所が分からなくとも大陸全ての冒険家に今回の侵略を依頼すれば、きっとあなた達は来てくれるだろうと信じておりました。そして『交渉』前に、あなた達にはスルトさんの相手をしていただく予定でした。私も外周区出身でしたので、彼女もきっとそこにいるのだろうと……もしいなくても、どこかで超大型魔人辺りでもけしかけ、とにかくニーズヘッグさんの『完全顕現』なる強い力を使い切らせてしまおうと。そうして消耗したお二人の前に私が現れるという予定でしたが……その前に、予想外の敵とぶつかってしまったのです」
「……魔人フェンリル・ヴォイドか」
彼女が「予想外」だと言う心当たりはそれくらいしか思い浮かばない。あのとんでもなく強かった魔人の名を出すと、今度は少しだけ苦々しい顔で彼女は頷いていた。
「ええ。私が思っていた以上に、十三年前よりも帝国が出してくる駒は遥かに強くなっておりました。まさかスルトさん以外にも血盟四天王の魔人がいるだなんて。しかもそのフェンリルさんは、下手をすればスルトさん以上の実力者。私は咄嗟に反理に隠れてお任せしてしまいましたが、お二人がやられては元も子もないと思い、一度助け船は出しました。しかし、そこから何故かフェンリルさんは暴走。それに伴い、私があちらに取り込んだ黒氷も勝手に動き出して私に襲い掛かってくる始末。それへの対処に全力を割いている間にまたお二人の姿を見失ってしまった時はどうなるかと思いましたが……まあ結果的にこうして再会が出来ました。ニーズヘッグさんは意識不明、この『交渉』には応じられないという状態ですが、いいでしょう。信乃さん、あなた一人だけでも結構です」
「それで、その交渉の内容とは?」
長い前置きの後に、いよいよ本題だ。
ヨルムンガンドはまた怪しく笑い、こちらに手を差し出すのだった。
「なに、こじらせたわりにはシンプルなものですよ。――我が連邦の軍門に下りなさい、有麻信乃さん」