七十六話:私達は、仲間です
顔を上げると、サシャが真剣な目でこちらをのぞき込んでいる。その後ろでキースとニノも悲しそうな目でじっとミルラを見つめていた。
しばらくの沈黙の後に、ミルラはそれでも微笑んで答える。
「……後悔している、なんて答えるのが普通なのでしょうね。でもミルラは……やっぱりそうとは言いたくないのですよ」
「……! ミルラ……ちゃん」
肯定されると思っていたのだろうか、サシャは少し驚いている。
ミルラだって、ずっと自分は後悔しているのだと思っていた。
道を外してしまった。幸せが待っていたはずだった未来を捨てた結果、ただどん底の不幸な現状を迎えてしまった。
だからもう自分の人生は、ずっと不幸なのだと思っていた。
だがそんな時、ちょっとだけ間の抜けた印象のある、赤混じりの銀髪の少女が言ってくれたのだ。
『怖いことだらけで、周りが良く見えていないかもしれない。一人ぼっちにしか思えなくて、自分だけではどうしようもなく覆せない未来しか待ち受けていないようにしか思えないかもしれない。それでもどうかよく見渡して欲しい。『あなた達』は、何を成すの? 本当にあなた達の生は、大人達からの干渉にも抗えない一方通行でしかないものなの? ――あなた達は、一人じゃないよ』
「シラさんのおかげで、やっと目が覚めたのです。そう……後悔だけは、絶対にしないですよ。だって私はこうして、『あなた達』に出会えたのですから」
サシャ、キース、ニノ。
三人は、ミルラがザンボスのギルドに入れられた時点で既にいた。
当時は三人共、死んだ目をしていたのを覚えている。
『……私は、どうして同じギルドの人に傷つけられた子を回復しなくてはならないの……?』
『死ね。大人なんて、みんな死んじまえ……!!』
『ごめんなさい、ごめんなさい。臆病で弱いのは僕だけでいいから。僕は傷ついてもいいから、どうかみんなを傷つけないで……!』
ザンボスによって連行された子供達は、彼らだけではなかった。他にも結構いたはずなのに、どんどん数が減ってしまった。
ミルラよりも年下だった男の子は、片腕の一本を失ってしまうという大怪我を負ってしまう。
ミルラよりも年上だった女の子は、毎晩ザンボスに性的暴行をされて精神的に病んでしまう。
ようやくそのギルドを去れるという日にも、彼らが泣きながら言っていたことを忘れられない。
『酷い……どうして、こんな目に。ああ……冒険家になんて、ならなければ良かったのに……!』
とうとう「デスザンボス」に残った子供達は、ミルラとその三人だけになってしまった。
ミルラだってその時には、最初は優しかったはずのザンボスの本性にはとっくに気付いていた。
彼女もまたザンボスからひどい仕打ちを受けて、ぼろぼろだった。
それでも、何を思ったのだろうか。ただ暗い顔をするばかりだったその三人に向けて、努めて明るく言ったことを覚えている。
『もう、三人共! なーに暗い顔をしているのですか? 悲しいのですか、怖いのですか、辛いのですか? なら、そんなあなた達の未来をミルラが明るくしてあげるです。――この四人で、いつかギルドパーティを作るです! ザンボスさんなんかからは独立して、みんなで自由に冒険をするですよ! 私達にはきっと、そんな明るい未来が待っているはずなのです! ……どうですか? そう考えれば、少しは怖くなくなるはずなのですよ』
最初は多分、自分が現実から逃避したかっただけなのだろう。
その時は三人共、目を丸くしてこちらを見ていた。「何言ってんだこいつ」と思われたことだろう。
それでも、その日を境に彼らは少しずつミルラに話しかけてくれるようになったのだ。
『ミルラちゃん! また怪我をしているの!? もう、またクエストで無理をしたの? ほら、早く患部を見せるの。私が、回復してあげるから』
『……ミルラ。お前のブレード・ガンド、刃こぼれしてる。それじゃうまく「スラッシュ」系の魔法を撃てないだろ。引き金のばねも少しばかになってる、早く武器屋で直してもらえよ。……ったく、お前の装備なのに、なんで俺の方が気付くのが早いんだ』
『ミ、ミルラ……ちゃん。さっきの戦い方……ちょっと前、出過ぎじゃないかな? あれじゃミルラちゃんが危ないよ? そ、そこまで僕から魔物を引き離してくれなくて、大丈夫だから。僕、どんな距離だろうとちゃんとみんなを守るために狙えるから……ね?』
そんな日々を過ごすうちに、三人は少しずつ明るい顔を見せてくれるようになった。
『えへへ……ありがとうです!』
そしてミルラもザンボスの支配という辛い現実の中でも、笑顔を出せる頻度が多くなった。
いつしか三人だけは味方だと、みんなで今度こそ夢見た世界へ飛び立てるのだと、ちゃんと信じられるようになっていたのだから。
だがここ最近で、またその笑顔は減ってしまっていた。
『おい、クソミルラ! このグズが! おめえだ、おめえが間抜けなんだよ! 弱いくせに、粋がっているおまえが悪いんだろうが!!』
ザンボスは急に、ミルラに対してだけは特に厳しい仕打ちをするようになっていたのだ。
『ごめんなさい、ごめんなさい、ザンボスさん。馬鹿でごめんなさい、グズでごめんなさい。悪いのは全部私ですから。ちゃんと、あなたに従いますから。だから殴らないでください』
ザンボスにもおそらく、ミルラが彼にとって良くない空気を持ち込んでいることが分かってしまったのだろう。
頑張って耐えていたつもりだった。それでも姑息で狡猾なザンボスの支配によって、無意識のうちにミルラの心はいつの間にか壊されていた。
だから最近は、三人の姿もよく見えなくなっていたのかもしれない。
でも――
「……どうして、忘れていたですかね。ザンボスさんには負けないです。ミルラは、この未来で良かった。冒険家になって良かった。あなた達という仲間に出会えて、私は本当に良かったですよ」
でも、やっぱりミルラがやることはザンボスなんかのために変えてやらなくていい。
やはりまだまだ物語の勇者のようには行かないけれど。
それでも彼女は、今日も彼女自身が選んだ道をこの三人と共に進む。
「ミルラ、ちゃん!!」
勢いよく、ミルラはサシャに抱き着かれる。
こちらの背中に回された両腕は、震えている。
「サ、サシャ……?」
「ご、ごめんなさい……なの。私も、よく分かんなくなっていた……! ミルラちゃんがひどい目に遭わされているのに何も出来ない自分が悔しくて、また心を閉ざしていた……! あの時あなたが勇気づけてくれた私が、今度はあなたを助けるべきだったのに!」
サシャは、泣いていた。
「……バカミルラ。今更、そんなことを言われなくても……分かってるから……」
「うえええん! ミルラちゃんー!」
彼女だけではない。キースも少し赤い目から涙をこぼし、ニノに至っては真っ赤な目をごしごしとこすりながらぼろぼろと涙を流している。
「ごめんね、ミルラちゃん! でも、あのお姉さんに言われてやっと目が覚めたよ! もう悲しまない、迷わない! 私は、あなた達に出会えて本当に良かった! 私は……私達は、あなたの仲間だよ……!」
「……ッ」
――やっぱり、間違いなどではなかった。後悔などなかったのだ。
ミルラもそのまま泣き崩れてしまいそうになった。それでも何とか堪え、サシャの背中をさする。
だからこそ、今この場で言わなければならないことがあるのだから。
「……ありがとう、サシャ。キースもニノも、いつもこんな馬鹿な私を助けてくれてありがとうなのです。だから、みんな。私はみんなに、いきなりもうお願いをしちゃうのですよ。どうか、聞いて欲しいのです」