六十八話:眠りに落ちる騎士
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【19:30】
第三区画中央。
日も沈み、周囲はすっかりと暗くなっていた。
あちこちでまばらに点灯する街灯が、帝国の壊れた街並みを映し出す。
魔人も、亜人も、人もいない。そこは酷く閑散とし、静寂に包まれている。
その中に一つ、人影があった。
「フェンリル!!」
その場には余りにも似つかわしくない青と黒のドレスを纏った美しき少女、ヴァーリが冷気で凍りついた穴を覗き込むと、その底には鎧の砕けたフェンリルが血まみれで横たわっていた。呼びかけるものの、返事がない。すぐにスカートの裾を翻し、穴の中へ飛び込んでフェンリルの元へ着地した。
「フェンリル!! しっかりなさいませ!! フェンリル!!」
「……ヴァー、リ……? 私……は、一体……?」
「……っ! ああ、良かったですわ。フェンリル」
抱き起こして呼びかけると、ようやく彼女は微かに目を開けて返事をする。命に別状はなさそうなことに胸を撫で下ろしつつ、その問いに答えた。
「……あなたは、暴走しましたの。また『狂牙』に意識を乗っ取られ、闇雲に暴れたせいで力を使い果たしてしまったようですわ。ここ最近は無かったので、わたくしも油断していましたの。本当にごめんなさい、あなたには酷い無理をさせてしまいましたわ」
ヴァーリも、急にヴァーナ連邦が攻めてきて外周区第四区画を陥落させたという知らせを受けた時点で、いち早く次に彼らが攻めていた第三区画を「見」ながらそちらへと向かっていた。
当然同じ知らせを受けていたであろう優秀なフェンリルもそちらへ到着する様子も確認出来た。そこからもまさに行幸であり、彼女はどうにも「魔人殺し」らしき人物達との接触も成功。
だが、そこからが良くなかった。
一つは想像以上に「魔人殺し」達が強く、フェンリルですらも苦戦を強いられたこと。
そしてもう一つは、何やら未知の介入があったことだ。
(一瞬で、しかも遠目で監視していたわたくしには何が起こったのか分かりませんでしたわ。でも確かに、「何か」がフェンリルが周囲に張っていたはずの黒氷を呑み込み、防御する術を失って魔人殺し達の攻撃を受けてしまい、結果暴走までするに至ってしまった。イレギュラーが余りにも多過ぎますの。此度ヴァーナ連邦が運んできたものは、ただの戦火だけですの? ……本当に、今この帝国で何が起こっていますの……?)
「暴走」こそ、まだ「黒氷の狂牙」が馴染みきっていなかったフェンリルの生誕期には嫌と言うほどたくさん見てきた。どうにもかの魔物の自我は死しても尚かなり強いものらしく、その精神を何度も乗っ取ってきては訳の分からない言葉を叫びながら暴れ出した。その度に何とかヴァーリがそれを沈めたものだ。
だが彼女が成長するにつれて、そのなりも随分と沈んでいたはずだった。実際にその存在すらも忘れかけていた程だ。それがここにきて、何らかの「要因」があったせいでかの魔物が再び目覚めてしまったようだ。
正直フェンリルに聞きたいことは山程ある。音声までは拾えなかったし、結局その場の状況を詳しく把握できているのは間違いなく彼女の方だろう。しかし酷く衰弱している様子の彼女を見て、今はとにかく休ませるべきだと判断したヴァーリはこの場ではあえて何も聞かなかった。
「……そう、か。また……私は。ごめん、ヴァーリ……」
「あなたが謝らないでくださいな。ここはもう戦闘が終わっているとはいえ、危険ですわ。すぐに『フェンサリル』へあなたを連れて治療しますの」
「……アース……スレイヤー……神杖の、勇者達は……?」
「……そう、やはりかの人物は勇者でしたのね。彼らなら片方が致命傷を負い逃亡、もう見失ってしまいましたわ。接触は失敗でしたが、仕方がありません。相手の力量を見誤ったわたくしの失態ですの。成り行きを見守りながらどうするべきか考えましょう。だから今は、ゆっくりとお休みくださいませ。お疲れ様でしたわ、フェンリル」
「……そう、か。すまない、今はまだ……酷く眠いんだ。……ふふ、ヴァーリの、その優しい笑顔が……とても好きだ。やはり君の、元が……一番、安心、して……」
そこで言葉は途切れる。普段は凛々しくかっこいいとすら感じるフェンリルの顔が、今は年相応に可愛らしく緩み切った少女の寝顔になっていた。
「……もう、意識が途切れる間際にまでそんなキザな言葉を言うだなんて。いつも私の為に気を張ってくれていますのね。本当に、ありがとう。フェンリル」
一瞬緩んだ顔を、ヴァーリは再び引き締めた。
やることは山積みだ。
まずはフェンリルの治療が先決だが、彼女が上手く足並みを崩してくれたヴァーナ軍の残党も一刻も早くこの帝国から排除する必要がある。
この「事件」を、なるべく最小限の被害に抑える必要がある。
現在は外周区の最高戦力であるフェンリルがこの有様となっている。実力だけならばそれにも次ぐスルトも、いまいち思考が読めず自由奔放な性格であるため、正直余り当てに出来るような人物でもない。
今からでも遅くはない。ヴァーリ自身が「帝国」に、魔人達を率いて連邦軍を鎮圧させてもらえるよう許可を貰って――
「――アレアレー? こんなところで何をしているのカナ? ヴァーリおねーサマ?」
「……げっ」
上空からそんな聞き覚えのある少女の声が振ってきて、ヴァーリの顔は思わず引き攣った。




