五十五話:黒騎士の襲撃
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迫りくる死の冷波に対し、信乃はお構い無しに神杖を具現化させてしまっていた。
正体を知られたくないだとか、最早そんな悠長なことを言っていられない。
ここで「聖域」を出さなければ死ぬだけだと、そう直感してしまったからだ。
「……ッ! シラ……!」
「シノブ……!」
だが、シラが少しだけ遠い。これでは聖域の範囲内に入ってくれない。
自前の防御魔法ですら防げないと悟った彼女がこちらに近づこうと駆け出してくれていたが、あまりにも咄嗟のこと過ぎてとても間に合わない。
その時、彼女の背中が押された。
「……え?」
紫髪のメイド、ヨルムだ。いつの間にかシラに近づいていたらしい彼女は、シラを信乃に向けて突き飛ばしていた。
「……ふふ。大変なことに、なってしまいましたね。お願いしますね、あとはお任せします。あなた達には……期待、していますから」
雪崩が目の前にまで迫る間際、ヨルムはそう言って憂いを含んだ微笑みを向け――
「……ッ! 神杖よ、勇者の名の元に神秘をここに具現し、我が障害をこの聖域より払え――『ディヴァイン・サンクチュアリ』!!」
信乃はすぐに近づいたシラ諸共包み込む光の聖域を発動。
――直後、二人以外のすべてが黒氷の雪崩に吞み込まれた。
〝ディヴァイン・サンクチュアリ
魔法攻撃力160
威力階級ディヴァイン:×128
光属性補正:×1.2
スフィア補正:×1.5
魔法威力:36864〟
〝グレイプニル
魔法攻撃力:380
グレイプニル変動補正:×25
魔法威力:9500〟
聖域で防いでいる間、「ラタトスク・アイ」によりその未知の魔法が数値化されて表示される。
「……っ! ヨルム……そんな、ヨルム……!! なに、これ……これは、なに……シノブ……!!」
「落ち着け!! これで終わりじゃない!! この雪崩は……耐えられる……! だが、これ程の魔法攻撃力……まさか……!!」
雪崩がようやく収まり、聖域を解いた先には、完全に先程とは別の世界が広がっていた。
帝国の街並みが、広い道が、崩れ落ちた塔の残骸が、周囲にいたヴァルキュリア達が。
全てが、黒い氷に覆われてしまっている。
「……っ!? そんな、みんな……!」
シラが愕然とした表情で辺りを見渡す。
その氷の中に、たくさんの人型が――冒険家達だったモノまで閉じ込められている。
さっきまでいたはずのヨルムも、ミルラ達他の分隊メンバーもどこにもいない。
オルトロスを倒すためにここに多く集まっていた冒険家達もヴァーナの軍人達も皆、この氷の下に埋もれてしまっていた。
「……っ! 限定顕現――ライジンツイ。『ライジング・ボルトインパクト』!!」
シラは近くの氷に向けて雷魔法を叩き込む。しかし、氷にはヒビすらも入らずびくともしない。
〝ライジング・ボルトインパクト
魔法攻撃力:300
威力階級エクスプロージョン:×8
インパクト補正:×1.2
属性相性有利:×2
魔法威力:5760〟
〝グレイプニル
魔法攻撃力:380
グレイプニル変動補正:×30
魔法威力:11400〟
「……うそ。この氷、まだ魔法として生きている。それも、私の魔法でも撃ち勝てない程の魔法威力を有している……!」
「……氷の魔法は、水属性魔法の亜種。つまり、お前の今放った雷魔法が相性有利となるはずだ。それですら破れない程の魔法を、一瞬でこれほどの規模を展開した。……これは、本当にとんでもない奴が来やがった」
信乃もまたちゃんと周囲の状況を確認しておきたかったし、氷漬けになってしまった味方の救出方法を考えたかった。
だが彼は今それどころではなく、どうしようもなくそこから目を離せなかった。
「……ほう、これを受けて凍らない者がいたか」
男とも女とも分からない、低くくぐもった声が聞こえてくる。
先程の氷の彗星が着弾した地点から、ゆっくりとそれが立ち上がってくる。
全身が黒い氷で出来た、人型だった。
それでどうやって動けているのか不思議に思えるくらいに、体の全てを分厚い氷で覆っている。表面に多少は凹凸があるものの、形はしっかりと甲冑を模して整っており、氷と言うよりはもはや金属にすら見える。当然顔もすっぽりと氷に包まれており、兜の形をしたそれの目に当たる部分には、青い二つの眼光がぼんやりと灯っている。
そして何より目を引くのは、それが両手で柄を握り、巨大で分厚い刀身の先を地面の氷に突き立てている、黒い氷で出来た大剣だった。
――黒騎士。
まさにそんな言葉がしっくりときてしまうその人物に、信乃は内心ほぼ分かり切っていたことを問いかける。
「……何者だ、お前は」
するとそれは、まさに騎士のように礼儀正しく名乗りを上げるのだった。
「帝国聖裁軍・第七師団長――『フェンリル・ヴォイド』。血盟四天王、『黒氷の狂牙』の力を身に宿す魔人である」
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【18:00】
少し時を遡り、アース帝国外周区ビフレスト・第五区画中央。工場群に紛れて立つ、それらよりも更に無骨で大きく物々しい建物――第七師団本部基地の広い屋上。
「なにぃ!? 外周区に侵入したヴァーナ連邦軍と謎の人間達の集団は、もう既に第四区画を制圧し、第十一師団長サイクロプス殿を討ち死にさせた!? しかも現在彼らは第三区画へ移動、今度は第十師団長オルトロス殿も追い詰められていると!? 馬鹿者!! なぜ今になってようやくそんな情報が回ってきた!?」
「ひ……! すいません。連中、外周区に攻め込むと同時に我々の情報遮断も上手く行っていたようで。伝達係の魔人を殺されてしまっては、我々は壁の外側の事情などそう中々気付けるものではないのです。帝国を守るために幾重にも張り巡らしたこの高い壁ですが、相手はそれを悠々と飛び越す飛行能力を持つ新型魔器を多数所持しているのだとか。壁が意味をなさないのであれば、むしろ視覚を遮られる分今回は裏目に出てしまっているのかと……!」
「くそ……! 早く第七師団をここへ集めろ! 連中、この区画とは上手く反対方向へ逃げおって! 直々に我々が出向き、この外周区ビフレスト最強軍団の力を見せつけてやらねば……!!」
「……で、ですが。そう悠々と進軍していては、第三区画まで数時間はかかります。一方相手は高速飛行しており、我々がそこに追いつくころにはまた別の区画に移動している可能性も……なんなら、ずっと追いつけないなんてことも……」
「な、なにぃ!? ならばどうするというのだ!?」
「ひー! 知りませんよー!」
区画中央へ徐々に集まりつつある魔人達の間で、せわしなく言葉が飛び交う。
外周区画を一つ落とされたという、久しぶりに聞くその事実に彼らは冷静さを欠いているようだ。
「……はいはい、落ち着け君ら。それをどうにかするためにこうして集まっているんでしょうが」
その中で一人、他の魔人達に向けて落ち着いた声をかける者がいた。
身の丈に合わないよれよれの白衣を纏った、完全に十代前半の少年の見た目をしているのだが、そのお尻からは赤く太い竜の尻尾が伸びている。
帝国聖裁軍・第七師団副長、「ボルケニオン・バールドレイク」。超大型魔人だ。
そんな見た目だが、この軍の中では一番冷静で頭が切れ、参謀役として皆から一目置かれており――
「――まあ、ここまで追い詰められた状況とか流石にどうすればいいか分かんないんだけど。僕からは早く攻めるっきゃないわーとしか言いようがないね、これは」
「「「ボルケニオン・バールドレイク様ー!?」」」
投げやりなその答えに、魔人達は一斉に落胆の声を上げた。
「あーあーうるさいうるさい。うだうだ言い合っている暇があったらさっさと皆を集めて。僕は現実主義者だ。確実な手段ならちゃんと見い出すけど、今回は僕達が後手に回り過ぎてる。何かをしようにも、とりあえずさっさと追い付く努力をしないことには……」
ボルケニオンなりにも焦り、考えてはいる。疲れ気味にそう言っていると、突然横から彼の言葉を遮る低い声と同時に、凄まじい冷気と殺気が放たれた。
「ならば、私に考えがある」