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SS~もう戻れない日常~

 僕が家族を失い、一香さんと共同生活を過ごし初めてからある程度の時間が経った。これはそんなある日の一日。



「うぅ……重た、い……って!?」


「空~~、ふへへっ」



 意識が覚醒すると共に感じたのは体全身を包み込む柔らかさと息苦しさ、それに付随する何かが体を押さえつけるような圧力だった。


 何事かと目を開けてみれば、目に飛び込んできたのは肌色の山が左右に2つ、真ん中に谷が1つ。つまり一香さんの谷間だった。


 一香さんは僕のベッドに潜り込み、僕を抱き枕にしたまま寝てしまったらしい。またなのか? またなのかっ!? 心の中で叫んだ僕は顔を赤くしながら一香さんをたたき起こした。



「痛てぇ……」


「S級がF級の叩きで痛くなるわけないでしょ。さっさと着替えてきてください」


「頭じゃなくて心が痛てぇよ。心臓に近い胸の辺りがズキズキする。……お、何見てんだよエッチ」


「自分の部屋で! 早く着替えてください! 仕事、あるんでしょっ!」



 嘘泣きを晒し、わざと僕の前で着替え始めた20歳に向けて叫びながら、僕はいつも通りの朝を迎える。これが日常だなんて僕は悲しいよ……。


 身だしなみを整えると朝ごはんをすぐに用意して僕は学校に、一香さんは白虎組合に向けて出発する。もうこれが朝起きた時のルーティンになりつつある。真面目にヤバい。



「一香さん、着替えた服ぐらい洗濯カゴに入れといてくださいよっ!」



 一香さんが帰ってくるなり「風呂ー!」と言い脱ぎ散らかされた服を指差しながら僕は講義の声を上げた。いっつもいっつも、子供かこの人! 僕が来るまでどんな生活してたんだよ!



「うぇ~、やだぁぁぁ! めんどくさぁぁぁい! ……いややっぱ私が入れよう。空に任せたらナニして遊ばれるか分かったもんじゃない」


「遊ばねぇよ!? てか下着姿で出てくんなっ!」

 


 俺にそんな趣味はない! て言うか絶対この家はモラルとかが崩壊してる! 母さんはもちろん、水葉だって下着姿で彷徨くことはなかったぞ! ……水葉はまだ下着付けてなかった気がするが。



「一香さん、話があります」


「悪い空、好いてくれるのは嬉しいが、お前の気持ちには応えられない」


「妄言も大概にして下さい。明日の休日、一緒に家事をしましょう!」


「家事? ……空、それはつまり、お家デートって事か?」


「違ぇよ」



 その日の夜、お風呂上がりの一香さんを捕まえると俺はそんな提案をした。この人は放っておいてはダメになる。そんな直感が働く。



「明日、料理をしましょう。洗濯や掃除は最低限出来てましたから……最低限ですが」


「やめろ2度も言うな。……全くしょうがねぇな、仕方ないからやってやるよ、料理って奴をな」


「ありがとうございま──おかしいなぜ僕がお礼を言う立場に……?」



 そんなこんなで明日の休日は、一香さんに料理を教えることとなった。次の日の朝、起きるとベッドに潜り込んでいた一香さんの頭を小突いた後に料理の準備をした。



「今日作るお昼ご飯は……チャーハンです」


「なんでチャーハン?」


「具材を切る、卵を割る、混ぜる、フライパンを使う……まぁ、小学生でも保護者付きなら全部できるメニューだからです。ちなみに僕も小学生の時に作らされましたので」


「なるほど! パラッパラのチェーン店にも負けないチャーハンを作ってやるぜ!」


「最初からは絶対無理なので普通にしますよ。だから包丁を逆手持ちにして構えるのは今すぐ止めてください……!」



 さすがに絵的にも常識的にも危険と判断した僕は一香さんから包丁を取り上げる。



「まず冷凍しておいたご飯をレンジで温めます。できれば同時並行でいくつかの具材を切っておきたかったですが、教えるのは一香さんなので大人しく待ちましょうか」


「私の切る速度なら間に合うぞ?」


「……一香さん、大人しく僕に従ってください」


「おうっ! ……あ、エロい事は無しだぞ?」


「(イラッ)」



 僕の青筋を見た一香さんはさすがにマズいと思ったのか、誤魔化すように口笛を吹きながらご飯をレンチンする。温まったご飯をレンジから取り出してボールに入れた。



「それじゃあ卵を2つ入れます。一香さんどうぞ」


「おう任せと──」



 グチャッ……そんな音が台所に響く。一香さんの手は生卵と細かく砕け散った殻が付着しており、卵をぶつけた角にも似たような光景が広がっていた。



「嘘でしょ……?」


「……すまん」



 お互いふざける余裕もないほど素直な感情が言葉に乗る。レシピ通りに見守りながら作れば、ダークマターなんて出来ないはず……僕はそう考えていたけど、結構現実味を帯びてきたことに絶望し天を仰いだ。



「気を取り直して、改めて卵を入れましょう。……こうです、分かりましたか?」


「おう。今度こそ任せておけ」



 掃除をして、僕は先程の出来事をなかったかのように振舞う。その前に最初の1回だけお手本を見せ、2個目を一香さんに託した。


 慎重に角に卵をぶつける一香さんだが、今度は気を遣いすぎたのか一行に割れる気配がない。まるでダイヤモンドでも持つかのごとく丁寧に扱っており、恐ろしさから手が痙攣していた。卵1つを割るのに、S級探索者がここまで集中するなど誰が思うだろうか……?



「……やった! ……ぁ」



 それでもなんとかヒビを入れ、ボールに生卵を入れることに成功した一香さんだったが、殻がいくつか混じってしまった事が分かると途端に気落ちしてしまう。



「別にこれぐらい僕もたまにやりますよ。ほら、菜箸さいばしで一つ一つ取りましょう」


「空~、お前は優しいなぁ。大好き、結婚しようぜ、私が一生養ってやるからさ」


「初めてのプロポーズがこんなにも嬉しくないなんて割りと問題だと思う」



 そうな掛け合いをしつつ殻を取り出した一香さんは次のステージへ向かう。



「さぁ次は……ご飯と卵を混ぜましょう」


「空、思ったけど卵を先にフライパンでやるんじゃないのか? 昨日寝ぼけながら読んでたレシピにはそう書いてあった気が……」


「人それぞれでは? 僕がこう習ったというのもありますけど、家庭料理ですし美味しければ良いんですよ。と言うより一応予習をしてたんですね、今日1番の驚きです」


「空、私、保護者なのに舐められすぎだと思うんだけど?」


「日常生活の一香さんを敬えってのは死んでも無理です」



 さすがにご飯と卵をボール内で混ぜることは失敗することも無く、米粒に綺麗に溶き卵がコーティングされた。一香さんの見たレシピ通りにしたらスクランブルエッグとお焦げ付きご飯になってたんじゃないだろうか……?



「次は具材です。包丁を使うので気をつけましょう」


「刃物なんて普段から扱ってるから心配いらねぇぜ!」


「卵も割れなかった人がなんか言ってるよ」


「私は今、包丁で指を切るより深く傷ついた」



 先程の失敗を忘れた様子の一香さんに突っ込むとイジけだした。多分料理に関して一香さんはニワトリと知能指数がどっこいどっこいだな。



「何の具材を入れるんだ?」


「冷蔵庫を漁って出てきたウィンナー、人参、玉ねぎ、ピーマンの4種類を入れましょう。賞味期限は確認済みです」


「野菜3種類だけ抜こうぜ」


「言いたくは無いですが、一香さんは生まれる性別を間違えたと思います」


「空が女に生まれていたら、の方が合ってるぜ! 絶対可愛かったって!」


「さっさと切れ。僕がキレる前に」


「はい」



 まずは1番簡単なウィンナーから切り分けていく。できれば今のうちに人参の皮もピーラーで剥いておきたいが、一香さんに全部やらせるつもりなので僕は見てるだけだ。



「ん? ストップです一香さん……猫の手って知ってます?」


「???」


「……はぁ、こうですよこう」



 一香さんから包丁を受け取った僕が切り方を教えていく。と言うより料理したこと無くてもこれぐらい覚えておいてよ普通。……そう言えば僕、一香さんの家庭事情をほとんど知らないや。



「一香さんって家庭科の時間何してたんです?」


「お前が来たら全てが無に帰す。料理は1番多く分けるから大人しく座っててくれ……そんな感じだった」


「悲し」


「そんな事より猫の手、こうで合ってるか?」



 一香さんが誤魔化すように尋ねてくる。見やすくするためか、空中で僕に向けてポーズを取った。



「違いますよ、こうです」


「空の猫ポーズ、可愛すぎてワロタ」


「(イラッ)」



 訂正して正しい形を見せると、一香さんはニヤニヤしながら僕の取ったポーズを見てくる。嵌められた……。そんなこんなでウィンナーも終わり、次は人参の皮むきだ。



「良いですか。こう、するんです……じゃあどうぞ」


「ふっ、ウィンナーを切った今の私に皮むきごとき楽勝なのだよ」


「人参じゃなくて皮膚剥かないで下さいね……?」


「怖いことを言うな! 手が震えてきたじゃないか!」



 一香さんはピーラーの刃を立てようとするが、上手く引っかからないようだ。



「別に初めてなんですし失敗はして当然です。多少身も削れて構いませんよ、薄皮だけ切ろうとするからそうなるんです。ほら落ち着いて……そう、自分のペースで……うん、上手じゃないですか」


「なんか空がエロい」


「殴りますよ?」



 皮むきを終えた後、今度は玉ねぎの皮むきをする。一香さんが案の定、実まで剥こうとしたので慌てて止めた。



「玉ねぎと人参は置いておきます。次はピーマンを切りましょう。中はほぼ空洞なので気をつけてくださいね?」


「任せろ、もう油断はしない」



 普段の訓練や迷宮攻略より真剣な顔つきをしてそうな一香さんがピーマンを切っていく。中の種も包丁で綺麗に取り除いていた。驚きの進歩だ。その調子で玉ねぎも4等分に切り分けた。



「後はこのすりおろし器で全部細かくしましょう」


「え? そうするのか?」


「実家ではこうしてましたよ?」



 俺も最初は細かくみじん切りにしていたと思っていたが、教わった際にそう告げられた。やはり普通じゃないのか……?



「あぁ、なるほど。そういう事か」


「どうしました?」


「いや、小さい子は野菜嫌いだろ? だから細かくして気づかれないようにって工夫を凝らしてたのかって納得しただけ」


「……え?」



 一香さんの予想に僕は固まる。確かに小さい頃、僕は野菜が、特にピーマンが嫌いだった。だから母さんはそんな工夫をしていたと言う一香さんの言葉が深く胸を打つ。



「……あはは、そう、なんですね……すみません、玉ねぎ切ったのを近くで見てたせいかな? 涙が……」



 人に指摘されてから初めて気づいた母さんからの気遣いに目から雫がこぼれ落ちた。



「さ、さぁ! 中断しちゃいましたけど早く作りましょう」


「……そうだな、美味いの作るぞ」



 先程の涙は見なかったことにして一香さんが野菜をすりおろし始める。



「目が、目がぁー!」



 玉ねぎをすりおろした一香さんが泣きながらムスカの真似を呟いていた。これが劇場型一香クオリティだよ、全く。



「さて、それじゃあ次はいよいよ火を使います」


「おう、服や髪や家は絶対燃やさないぜ!」



 フラグにならない事を祈ろう。水で洗い、予め火で残った水気を飛ばしておいたフライパンにサラダ油を投入する。そして薄らとフライパン全体に伸ばした。ここまで一香さんが1人でやってのけた! 偉い! ……偉いったら偉いんだっ!



「まずは先程混ぜておいた野菜から入れましょう」



 人参、玉ねぎ、ピーマンがフライパンに投入される。焦がさないように……なんて言うんだっけこれ、しゃもじみたいなヘラ? を使って掻き回す。



「はい、ウィンナーも入れて」



 危なっかしいが一香さんはウィンナーを入れることに成功する。おめでとう一香さん! ……おめでとうったらおめでとうなんだっ!



「最後に卵混ぜご飯。ちゃんと火が通るように」



 卵混ぜご飯を入れた一香さんは僕の指示に従って、炒めた野菜と入れ替えるように掻き混ぜる。ある程度卵が固まってきた。



「はい、塩胡椒……待って嫌な予感が──」


「──おらぁっ! ブアックシュッ!?」



 塩胡椒で鼻がやられた一香さんがS級の身体能力を最大限に活かし、チャーハンから離れてくしゃみをした。危なかった……なんて危険な罠だろう。



「なぁ、テレビでよく見るチャーハンをフライパンでこう、シャカシャカ回すような飛ばす奴はしなくて良いのか?」


「? ……あぁ、あれは絶対に止めてください。普通に壁に飛ばすだけなので……小学校の時に実体験があります」


「……おう」



 あれは料理店でやる技術だ。僕らみたいな一般家庭の人達がやる必要はないだろう。……でも、いつかは出来るようになりたいな。



「さぁ、あとは焦がさないように自分で良いと思った頃に取り出せば良いんですよ」


「うぇぇっ!? わ、分からんぞっ?」


「勘で良いんですよ、火を通しすぎて焦がすのは駄目ですからね?」


「うぅぅぅ……そいやっ!」



 用意しておいた大皿に勢いよくチャーハンを盛り出した。どうやら一香さん的に完成らしい。僕としてはもう少しだけお米の水分を飛ばしたかったけど……いや、一香さんが作った初めての料理だ。例えダークマターだろうと口にしたに決まってるか。


 チャーハンを盛り終えると、使った調理器具などは流し場で水に浸けておき、そのままテーブルまで持って行った。そしてスプーンを使って僕の分を取り分けてくれる。



「空! 早く食べようぜっ!」



 子供のようにはしゃいだ一香さんがスプーンで小皿に取り分けていく。



「「いただきます」」



 着席してすぐに2人で手を合わせてチャーハンを口に運ぶ。思ったより米粒はポロポロとこぼれ落ちた。べちゃついている訳ではなかったか。



「…………美味いな!」


「そうですね。美味しいです」


「でもあれだ、空には劣ると思う」


「こんな一瞬で追い抜かれたら僕のメンツ潰れるんで安心しました」



 人参、玉ねぎ、ピーマンが入っていることをほとんど感じさせない食感。それでいてほんのりとだが味が全体に行き渡っており、殺してはいない絶妙な加減に仕上がっていた。


 小さく切られたウィンナーから肉汁が噛む度に溢れ、卵とご飯によく合う。一香さんは自分で作った料理を美味しそうに掻き込み、全て平らげてしまった。



「はぁー、美味かった!」


「でしょう。これからは一香さんも料理を作って──」


「──絶対やだ。やっぱ私は空の料理を食べるのが性に合ってるわ」


「えぇ……」


「だけどまぁ……手伝いからなら始めても良いかもな」



 頬を指でポリポリとかいて照れた様子を見せた一香さんだった。そして次の日から一香さんは僕の隣で料理を手伝い始めた。


 そして三日坊主で辞めてしまった。これが、劇場型一香クオリティだ……!

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