170話~不幸の連鎖~
お母さんが私を見つけてホッとした表情を浮かべる。私も駆け寄るために足を1歩踏み出し……そこで踏みとどまった。
お母さんが好きだったおじさんは私を襲い、そして死んだ。私は名前も知らない彼に助けられ、発現者となった。……これをお母さんに伝えるべきか迷う。
知らない人から襲われたと伝えればお母さんは私を心配するはず。でもそれがおじさんだったら? ……お母さんは、どんな反応をするのか……私はそれを知るのが怖くなった。故に反射的に足を止めてしまったのだ。
「琴香、無事だったのね、良かったわ!」
「ぁ、うん……」
お母さんは側まで駆け寄り、私をギュッと抱きしめる。久しぶりに感じるお母さんの温もり、優しさに思わず戸惑いながらも、私は頬を綻ばした。
「怪我は無い?」
「うん……あのねお母さ──」
「そう、ならあの人はどこなの? トイレ?」
今の私に優しいお母さんになら、言うか迷っていた事を言える。そう確信した私が口を開いた瞬間に、お母さんはおじさんについて尋ねてきた。
その言葉を聞き、改めて躊躇する気持ちが現れる。しかし私は『きっと大丈夫なはず』と考えを思い直した。
むしろこの事を伝えたらお母さんは私のためを思いおじさんに別れを切り出し、発現者になった事は自分のことにように喜んでくれると、そう考えたからだ。
おじさんについては死んでいるから別れを切り出す必要も無いし、悲しい気持ちも私を襲ったって伝えれば無くなる。うん、絶対に伝えても大丈夫……!
「あのね、お母さん……おじさんは、亡くなっちゃったの」
「……へ?」
そう告げると、お母さんは目を丸にして口をポカンと開けてそんな声を漏らした。次の瞬間、お母さんの手が首元に伸びてきて、すごい力で襟元を掴みあげる。
「痛っ!? え……?」
実際には痛くなかったが、反射的に声が漏れ出る。いきなりの出来事で私自身も戸惑いを隠せず、変な顔をしているだろう。
「ねぇ……今なんて言ったの? あの人が、死んだ? ……あの人が死ぬわけないでしょ!?!?!? ……ねぇ、じゃあ、なんであんたは生きてるわけ? まさか見殺しにしたの? ねぇ、そうなんでしょ!? 答えなさい……早く答えろ!!!」
「へっ、え、と……はっ……その……ね……」
今まで見た事もない形相のお母さんが私に本物の殺意を向けて尋ねてくる。私は恐怖からすぐにはまともに返事を返すことも出来なかった。
しかし拙いながらも、おじさんが私を襲おうとした事、途中で外に出て、モンスターに殺されたことを伝える。
きっとお母さんは私が生きてたことを喜んでくれる。おじさんが私に襲いかかった行為を否定してくれる。……そう、淡い期待を抱いていた。しかし……。
「何よ、それ……あの人はもう、いない……?」
「だ、大丈夫だよお母さん。私がいるから。これから前みたいに、私も一緒に頑張って2人で──」
「あんたが死ねば良かったのに」
「え…………?」
目の前のお母さんが憎悪の瞳で私を睨みつけて呟く。その内容は私の耳にもしっかりと聞こえた。私は真顔になって、そのまま固まる。
「なんであの人なのよ。どうせならもう用済みだったあんたが死ねば良かったのに……」
「用済み、って……?」
さらにお母さんの口から溢れる信じられない単語に、私は微かに反応した。お母さんの言葉が理解できない。なんでお母さんは私の無事を喜んでくれないのだろうか……?
「あんたが襲われたなんてどうでも良いのよ! あんたはあの人を引き寄せる使い勝手の良い道具だっただけなんだから!」
「へっ…………?」
私の問いかけに返ってきた回答はそれだった。道具? ……私、が?
「あいつに逃げられてから、ずっとあんたの事は重荷でしか無かったの! 邪魔だったのよ! でも法律とか社会の目とか色々あったから我慢してた! あの人を留めておくのにちょうど良かったから、初めて産んで良かったと思っていたのに、あの人はもういないなんて……そんなの、あんまりだわっ!」
お母さんは頭を掻き毟って次々と私に対しての今までの想いを口に綴っていく。私はポカンとした表情でそれを聞いていた。
徐々に内容を頭の中で繰り返して、その言葉の意味を一つ一つ理解させていく。視界が歪み、胸が痛くなって、息が苦しいのに呼吸が上手くできない。
「ぁ、ぉ、お母、さん……私、ね……発現、したの。すごい……でしょ?」
生まれてから今日までの全てを否定された私は、お母さんが唯一知らない私の新しい長所を告げることに縋った。それが私の最後の心の柱……。
「だから何? それであの人があの人が帰ってくるわけでも無いのに余計なこと言わないでくれる!? あぁもう、私これからどうしたら良いのかしら……」
ポキン、と言う音が実際に聞こえたと勘違いするほどの衝撃が私の体を走る。お母さんのその言葉で、私の心の柱はあっさりと折れた。
それからの出来事はあまり覚えていない。私は気がつくと病院のベッドに寝せられていて、一緒に患者さんを治して回った回復系の探索者さんがそばに居た。
その人の口から、お母さんは精神を病んでいると判断され、どこかは教えられないが隔離されていることを知る。
私自身も意識を失う前のお母さんの言葉が何度も何度もフラッシュバックするせいで入院を余儀なくされた。
それがお母さんとした口論の次の日の出来事。その次の日、病室から意を決して抜け出した私はある場所に向かっていた。
少年……私を救ってくれた彼の元に行きたい。会いたい……もう誰も頼れる人のいない私の心の拠り所を、自然と彼に求めていたのだ。
この時の私は、僅か数十分行動を共にしただけの彼を求め、心の拠り所にするほど、壊れていたのだと後で気づく。
そんな私が彼と彼が大切にしていた少女と別れた場所に向かうと……そこには、誰も残っていなかった。




