クリスマス・イヴ
「おやすみ。」
乱れたベッドの上で真弥が私の肩ほど髪を撫でながら満足そうな表情でそう呟いた。
「おやすみ」
同じように私もそう呟く。
そんな普通なことに泣きそうになるぐらいの喜びを感じていたのはいつだっただろうか。
ゆっくりと体を動かして真弥に背を向けるとあらわになった乳房がやけに痛むのに気づいた。最近の真弥は遠慮なく体を求めて、欲望のままにするからいつも疲れる。隣のがーがーと大きいないびきに嫌気がさして一度布団を出る。
今日は十二月二十二日。窓を見るとさっき真弥と待ち合わていた時よりも雪が激しく降っていた。けれど真弥と一緒にいる方が寒いように感じるのはただ裸でいるというのが理由ではないような気がした。
「美那、まって。」
K大学の校内、ちょうど大学の二限目が終わってセブンでお昼ご飯を買おうと思っていた時だった。
振り向くと、同じ大学に通う舞花が昨日積もった雪道をぱたぱたと音をたてて走ってくるのが見えた。
淡いピンクのロングスカートに白のトップスを着て上に灰色のカーディガンを羽織っていた。
舞花は童顔で身長がかなり低く、男女問わず妹的な存在として認知されている。
「あっ舞花。そのスカートかわいいね。」
舞花はえへへと笑いながらありがとうと少し首を傾げた。普通なら苛立つところだが、舞花ならしょうがないと許していしまいたくなる。
「どうしたの舞花?私これからバイトなんだけど。」
「あぁ、そっかー。今日の六時ごろから合コンがあって、誘おうと思ってたんだけど無理だよね。」
その前に私彼氏いるからとは口が裂けても言えない。そんな私の気持ちを読んだのか、
「最近彼氏とうまくいっていないってないって言ってたからさ一回リフレッシュするのもいいかなと思って。」
無自覚のうちに眉間にシワがよってしまった。遠慮がない舞花とこれ以上話していると、自分が何を言い出すかわからなくなりそうなので時間やばいんだと嘘をついてとりあえず家に帰った。
大学の敷地内を出て右に曲がって五分ほど歩くとセブンの看板が見えてくる。店に入るといつもの無機質な挨拶が私を歓迎した後、たまごのサンドウィッチとサラダチキンを買ってすぐに出た。こういう時に地元の田舎が懐かしくなる。
セブンを出て、真っ直ぐ歩くと無駄に大きいT駅につく。そこから電車に揺られて二駅過ぎたO駅で降りて、そこから少しのところに私のアパートはある。
築十三年にもかかわらず部屋が綺麗なのと、私の妹と同い年というのがおもしろくてここに決めた。
部屋に入ると、ベッドにいるあざらしの抱き枕が眠そうに迎えてくれる。誰もいないけどただいま、と言って持っていたカバンを机に下ろしてスマホを取り出した。
「授業終わったー?」
「今日バイトこれる?」
「ねぇねぇ寂しいな」
「もうクリスマスだね。」
スマホを投げつけたくなる気持ちを抑えて、画面を下にしてスマホを置いた。
ざっと二十件のメッセージが真弥から届いていた。
真弥は二つ年上の彼氏でバイトしているスーパーで知り合った。大学に入るのに一回浪人しているから今年で大学四年生だ。昨年から就職活動しているのに全く決まらず、ずるずるとスーパーのバイトを続けて、この間はこのまま店長になるかと言っていた。
身長は私よりも頭ひとつ分大きく顔も悪くない。大学でフットサルをしているからか、太腿あたりの筋肉がかなり硬い。初めて彼のお腹を見た時シックスパックって本当にあるんだなと感心したのを今でも覚えている。
沈んだ気分を変えようとテレビをつけてみたが、ちょうどお昼が過ぎた後で面白そうな番組は何もやっておらず、どこもかしこもクリスマス一色だった。
キャスターの明るい声が寂しく響く部屋で他にやることがなく遅めのお昼の支度をする。野菜室に余っていた千切りキャベツの上にさっき買ったサラダチキンを切って和風ドレッシングをかけたものと、サンドウィッチを一緒に食べた。
彼が私の家に泊まった時、カレーと一緒に豆腐を出すと美那って偏食だねと言われて苛立ったのを思い出した。
今日の私のメニューはおかしいのかなと思いながら私が満足しているから良いやとお茶と一緒に飲み込んだ。
大学の入学祝いで妹が買ってくれた腕時計を見ると、十四時二十分でまだまだバイトの時間には余裕がある。近所のブックオフに行ってからバイトに行こうと出かける支度をした。
バイト先のスーパーは私のアパートから歩いて十分のところにあり、午後四時から九時までで相場よりも高い給料をいただいている。そこを左に折れるとタイムスリップしたような佇まいの本屋が哀愁を漂わせながら営業をしている。それを無視して右に曲がると、ブックオフが見えてくる。入ると古本の独特の匂いがした。
いつもの百円均一のコーナーに行って前から気になっていたゲーテの『若きウェルテルの悩み』を取ってレジに向かい、五十円玉二枚と十円玉一枚で払った。
まだ時間はある。周りの視線を感じつつも漫画を少し立ち読みしてからブックオフを出た。
来た道を引き返していると、一人の背格好のいい男性とすれ違った。その手は、小さくともしっかりした白い袋を優しく、力強く握りしめていた。
凛々しい表情の彼を見て、どうしようもなく泣きたい気持ちになった。
真弥はこれからのことを考えているのだろうか?ひとつ上の角度から私を求めてるし就職活動すらままならない。付き合っている以前に、一人の人間として彼のことが心配になる。
空を見上げると灰色の雲がかかりゆっくりと青を埋め尽くした。
何もしたくない気持ちをおさえ、真っ白い雪道を踏み潰して歩いていやに明るい店内に入った。
今日は十二月二十四日。クリスマスイブだ。店内を見渡すと、筆記体で書かれたmerry Xmasの文字が至る所に置いてある。子供の頃はサンタさんがプレゼントを配ってくれる楽しい日としか印象はなかったけど、今は違う。クリスマスは必死になって売り上げを伸ばさなければならない、苦痛の日なのだ。
スタッフルームに入って、店のロゴがはいったエプロンを着ると、店長の翔太さんとすれちがった。
「おおっ美那ちゃん、こんにちは。」
「店長、お疲れ様です。」
「ごめんね、こんな日にバイト入っちゃって、お礼ってわけじゃないけど僕の机の上にワインが置いてあるからさ、後でもってちゃってよ。」
「いいんですか?ではお言葉に甘えて。」
「うん。じゃあ、よろしくね。」
そう言って店長は総菜売り場に足早に歩いて行った。昨日から言っていた自慢のローストチキンが飛ぶように売れて忙しいらしい。
そんな中でも話をしてくれる店長はやはりいい人だ。
私の担当はお菓子売り場だが、低めの棚に陳列したサンタのブーツはまだたくさん残っていた。昨日からの大雪で小さい子どもがあまり来ないのが響いているのだろう。とりあえずお菓子売り場であまりすることがなかった私はヘルプが入ったレジに着いた。この時期、レジに何人いても悪いことない。
ひっきりなしになってくるお客をさばいてやっとゆっくりできてため息をつくと、見覚えのある人がレジに並んでいた。
「あっ」
思わず声を出してしまった。
相手は訝しげにこちらを見たがすぐに顔を下げて財布の小銭入れをガチャガチャとかき混ぜた。
結局、千円札で払った彼はさっさと出口に向かってしまった。
休憩時間になり、スタッフルームにいると、
「あれ誰、知り合い?」
振り向くと、後ろのレジで仕事をしていた真弥のねばついた視線があった。
「いや、今日偶然すれ違った人だよ。」
「本当に?だって美那のこと変な目で見てたもん。男だから俺わかるよ。あれは美那に惚れてるよ。」
だから?そんなわけないから。それでどうしたいの?私はこれ以上何をどうすればいいの。
「まったく、人の女に何してくれてんだよ。」
頭をガツンと殴られたような気がした。
ショックで少し痛む頭を抑えていると真弥に肩を掴まれた。
「大丈夫?ごめんな怖かったよな。俺が守るから。」
内臓が内側から迫り上がってくるんじないかと思た。
すると背中が圧迫を感じ始めた。
彼の頭が当たっていると気づいたのは
少し時間が経ってからだった。
『やめて‼︎』
心の底から思った。
スッと体軽くなったのはどれくらい経ってからだろうか。一分かもしれないし、一時間かもしれない。ふわふわした時間の後、また明日といって真弥はスタッフルームから出て行ってしまった。
私はなんだか帰る気も失せてきて一人で誰かの机にあったサンタさんの人形を見つめていた。
私が真弥も付き合い出したのは今年の五月大学三年になってからだ。大学生活にもバイトにも慣れ始めて少し気が緩んでいた時、発注を間違えて大量のお菓子がはいってきてしまった。私が半泣きでオロオロしていると真弥がやってきたて、あぁ俺もやったな。と思い出に浸っていると思ったら、急に腕を掴まれて店長のところまで行かされていた。
いざ店長を前にして何を言えばいいか考えあぐねていると
『ちゃんと確認してあげられなかった私にも責任があります。』
と私を庇ってくれた。それがきっかけで彼のことを好きになり、私から告白して付き合うようになった。最初は楽しかった。それなのに……。今、真弥のことを好きかと聞かれたら即答出来る自信がない。
私は昔のことでセンチメンタルに浸りながら帰路についていた。
なんとなくだるい体に鞭打ってサクサクと雪道を歩いていると空に安っぽい銀紙の星が揺れていた。ついブルーハーツを思い出して少し笑ってしまった。
家につくと、まずシャワーを浴びた。
少し熱めのシャワーは体についていた大量の汚れを綺麗に落としてくれた。
バスルームから出ると下着をつけて、しまむらで買ったパーカーワンピースを着る。一九八〇円で見た目の割には安かった。
ドライヤーで髪を乾かしているとスマホが鳴った。
『明日、十時にT駅に集合でいい?』
真弥からだった。
明日は二十五日。クリスマス。聖なる夜だ。それなのになぜか不安でしょうがない。私は寂しくなって抱き枕を寄せて顔を埋めた。いつもの匂いがして少しだけ落ち着いた。
〈続く〉
この話は後日投稿する『クリスマス』に続きます。