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機巧探偵クロガネの事件簿 〜機械の人形と電子の人魚〜  作者: 五月雨皐月
機械の人形と電子の人魚 編
19/24

9.雷光の機械戦士と電子の人魚

 バスローブから高級スーツに着替えた獅子堂玲雄は、護身用の拳銃を手に落ち着きなくスイートルームをうろついていた。先程から部下と連絡が付かず、依然として電力は復旧しないため不安が雪だるま式に大きくなっていく一方だった。

「くそッ! どうして俺がこんな目に――ヒッ!?」

 身勝手な悪態を遮る形で轟音が鳴り響き、扉の鍵が無残にも吹き飛ばされた。

 思わず身を竦めた玲雄は震える手で拳銃を構える。

 ギィ……と軋むような音と絨毯を踏む足音が聞こえた。扉を破り何者かが侵入してきたのだと理解する。

 全身の震えが止まらない。

 やがて暗闇の中、油断なくショットガンを構えたクロガネが現れるや否や、

「あ、ああああああッ!」

 デタラメに引き金を引いた。

 クロガネは何をするでもなく、その場に佇んでいる。狙いが定まらないまま立て続けに放たれた銃弾は一発も掠りもせず、背後の壁や足元を穿つだけだった。

 やがてカチン、カチンと引き金を引く音だけが虚しく響き渡る。弾切れだと玲雄が気付く前に、悠々とショットガンから拳銃に切り替えたクロガネが歩み寄る。

「ヒッ!?」

 息を呑む玲雄の両脚にゴム弾が命中。

「ぎ、ぎゃあああああッ!」

 あまりの激痛に涙を流して絶叫し、その場に崩れ落ちてのたうち回る。

「脚が! 俺の脚がぁああッ!?」

「実弾でもないのに大袈裟な奴だ。しばらくすれば痛みも引くし、問題なく歩、け……る」

 呆れた台詞の後半が尻すぼみになる。視線はベッドに釘付けだ。

「……美優?」

 見覚えのある人影に呼び掛けると、暗闇に浮かぶ緑色の瞳が動揺したかのように揺らぎ、

「イやッ、見ナいでッ!」

 強く拒絶する声が響き渡る。

 その時、雲が流れ、月がその姿を見せる。

 最上階に設置された窓から月明かりが差し込み、美優の身体を照らした。

 クロガネは息を呑んだ。

 両手をベッド柵に手錠で繋がれた美優の姿は、見るも無残なものだった。

 衣服は一切纏っておらず、全身の至る所を刃物で切り裂かれ、傷口から銀色の金属骨格が剥き出しになっている。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そして極めつけは、()()()()()()()()()()()()()。左耳は切り落とされ、鈍く輝く金属質の骨格が露出し、ピンポン玉ほどの大きさ義眼がギョロ、ギョロと動いている。不安と恐怖に歪みながらも、無事に残された右半分の美しい顔が余計にその悲惨な姿を浮き彫りにしていた。

「ゥ……見ないデ、くダさイ……ッ」

 喉――人工声帯まで切り裂かれたせいか、ノイズ混じりの震えた声で美優は懇願する。

 顔を見られないように俯き、右目から洗浄液が――涙が零れ落ちた。

 呆然としたクロガネが思わず一歩踏み出すと、硬い感触が足裏に伝わる。

 そこにはボロボロに刃こぼれした果物ナイフがあった。

 クロガネの怒りが一瞬にして沸点を超え、最高潮に達した。

「ギャッ!?」

 こっそり逃げようとしていた玲雄の背中にゴム弾を撃ち込んで動きを止める。

 大股で近付き、義手で襟首を掴むと力任せに放り投げた。

 成人男性の身体が軽々と宙を舞い、

「ガハッ!?」

 背中から勢いよくガラス製のテーブルに叩き付けられた。テーブルは粉々に粉砕される。

「グゥ……!」

 朦朧とする玲雄の首を掴んで持ち上げると、街をパノラマで一望できる窓に押し付け、腹にゴム弾を容赦なく全弾撃ち込んだ。

「ァ……」

 失禁して失神した玲雄をゴミのように投げ捨てる。

 弾倉交換を行い、ゴム弾が装填された拳銃からリボルバーに切り替える。カチリと撃鉄を上げるや否や、玲雄の左手を実弾が貫いた。

「グギ、ギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」

 無理矢理覚醒され、玲雄の口から絶叫が迸る。

「あ、あああ痛い痛い痛いィイイイイイイッ!」

 左手を押さえて泣き喚く玲雄を見下すクロガネ。その目は氷よりも冷たく、その表情は何の感情も窺えない。まるでロボットのようだ。

「ぅ、グッ、この無礼者めッ! 俺を獅子堂玲雄と知ってここまでやるとは、ヒッグ、よほど死にたいようだなッ!」

 迫り来る絶望と死の予感から辛うじて玲雄を支えているのは、権力にしがみつき盾としたみっともないプライドだけだった。

「……ハァ、ハァ、だがどうだ? 俺の一存でお前を助けてやってもいい、この無礼も許してやる。俺の側近にならないか? 給料は言い値で払うし、女が欲しければ飛び切りの美女を用意してやる」

 クロガネはピクリとも表情を変えず、無言のままリボルバーの撃鉄を上げる。

「待て待て待て!? 俺を殺せば大変なことになるぞ! これは本気でお前のために言ってるんだ! 俺を殺せば、獅子堂が総力を挙げてお前を殺しに来る! お前の身内も関係者も全員巻き添えだ! それでも良いのか? ここで俺を殺して全てを失うより、俺に仕えて全てを手に入れた方が賢い選択だと思わないか?」

 跪いた状態からの説得……に見えて、その実上から目線の命乞い。結局のところ玲雄の頭にあるのは下らない自尊心と保身でしかない。現に権力者の息子である事実が絶対のアドバンテージだと信じ、これ以上の暴挙に出ることはないと考えているのだろう。

 だがそれは大きな勘違いで見当違いも甚だしい。

 今のクロガネに、獅子堂の権力も脅迫も説得も譲歩も一切通用しない。

 返答は銃声。今度は右肩に風穴が開いた。

「グギャァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!? な、何でッ!?」

 思わず蹲まる玲雄の後頭部に、銃口を押し当てる。その感触とカチリと撃鉄を上げる音に、玲雄は痛みを忘れて動きを止めた。

「ほ、本当に殺すのか? 俺を? い、嫌だッ! 死にたくないッ! どうして!? 俺が何をしたっていうのッ!? た、助けて、助けてくださいッ! お願いします! 何でもしますから! だから、だから助けて!」

 本気で命乞いを始める玲雄に対し、クロガネは慈悲も容赦もなく引き金を絞る――寸前、

「……くロ、ガねさン……」

 美優の声が聞こえた。

 引き金に添えていた指の力が抜ける。彼女はじっとクロガネを見ていた。その機械仕掛けの緑眼に何を見たのか、玲雄の後頭部から銃口を外す。

「へ?」玲雄が間抜けな声を上げた。

 クロガネは美優の傍に近付くと、彼女の手とベッド柵を繋いでいる手錠の鎖をリボルバーで破壊する。反対側も同様に破壊した。

 自由を取り戻した美優は、すかさず両手で機械が剥き出しになった自身の顔を覆い隠して俯く。

「……ごめんな、少し取り乱した」

 穏やかな声に顔を上げると、ばつの悪そうな顔をしたクロガネが居た。

 そっと伸ばした右手が、美優の手をどけて剥き出しになった機械の頬に触れる。

「痛そうだ……こんなことになるなら、もっと早く駆け付ければ良かった。本当にごめん」

「……ッ、痛クはあリマセん、にんゲンではナいのデすかラ」

「美優は『人間になる』のだろ? それがお前の夢で、お前からの依頼だった筈だ」

「……ァ」美優が言葉に詰まる。縋るようにクロガネの手に触れる。

「……ドうシテ、クロがネさンはココまデ……」

「それは――ッ」

「ヒッ!?」

 唐突に言葉を切り、クロガネは美優を庇いつつリボルバーの銃口を怯える玲雄に――ではなく、その背後に向ける。そこにはいつ現れたのか、トレンチコートの男が佇んでいた。コートの襟を立てて帽子を目深に被っているため、顔が見えない。

「……誰だ?」

 視線を感じるまで気配すら察知できなかった。突然現れた男に、美優はおろか彼のすぐ近くに居た玲雄ですら目を白黒させている。

「……私は【パラベラム】の使いです」

 男は静かにそう告げると、一同は息を呑んだ。

 反サイバーマーメイド団体【パラベラム】。AI管理社会に異を唱え、世界中で過激なテロ活動を行っていることで有名な極めて危険な犯罪組織である。

「テロリストが何故ここに?」

「こちらに居る獅子堂玲雄の確保に――」

 そこまで聞くや否や、リボルバーに込められた最後の一発を男の肩に撃ち込んだ。

「……いきなりですか。流石は元ゼロナンバー、容赦がない」

 悠々と防弾コートの表面に張り付いた銃弾を払う男に舌打ちし、クロガネはリボルバーをしまってショットガンを構える。

「やれやれ、私は貴方にもそこのガイノイドにも用はないのですがね。とりあえず、一旦落ち着いてその物騒なものを下ろして頂けませんか? OK?」

 それは「撃って下さい」と言ったも同然なネタ台詞だ、随分と余裕な態度である。

「OK、ッ!?」

 お約束に倣い、容赦なく撃とうとした寸前で、壁をぶち破って新たな闖入者が現れた。

 全長二メートル超、西洋甲冑に酷似したデザインの黒い複合装甲を隙間なく身に纏った機械仕掛けの怪物だ。鎧兜からは雄々しい角が二本伸びており、青く光るスリット状のカメラアイがクロガネを捉え、身の丈に匹敵するような巨大な戦斧を軽々と振り被った。

 咄嗟に美優をベッドから突き飛ばし、その反動を利用してクロガネも離れると一瞬前まで二人が居た空間に戦斧が叩き付けられた。轟音と共にベッドは真っ二つに折れ、その下の床までもが粉砕される。

 美優の無事を確認する余裕もなく、クロガネはその桁外れの出力に戦慄した。

「その場で待機だ、〈アステリオス〉」

 【パラベラム】の使いと名乗った男の指示に、怪物――〈アステリオス〉は片手で持った戦斧の石突きをドンッと床に打ち付けると、直立不動のまま動かなくなった。

 油断なくショットガンを構えて警戒しつつ、クロガネは男とその傍らにいる玲雄を視界に収める。

「……AI社会に反発しておきながらAIが搭載された兵器を使う……矛盾しているぞ、【パラベラム】」

「何とでも。月並みですが、目的の為ならば手段は選びません」

 立てますか? と男は玲雄に手を差し伸べる。

「そいつをどうするつもりだ?」

「我々【パラベラム】がスカウトし、保護します」

「スカウト? 保護だぁ? 冗談言うな、そいつは親のスネ齧って好き勝手に悪行三昧していたゲスだぞ。犯罪組織でもまともに働けるわけがない」

 男の手を借り立ち上がった玲雄が発火する。事実だろうに。

「しかしながら彼の頭脳だけは優秀です。だからこそ私は回収に参りました」

「……()()()()? ()()? まさかお前……!?」

「ええ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 さらりと恐ろしい目的を明かすと、青ざめる玲雄の鼻っ面に拳銃を突き付ける。

「では共に参りましょう。生身のまま父親やあの男に苦痛を伴う折檻を受けるか、我々の元で悠々と穏やかに世界征服のお手伝いをするか、どちらがよろしいですか?」

 クロガネ自身、犯罪者を完膚なきまで痛めつけることに異論はない。だが、罪のない多くの人命を奪うことに利用されるのであれば――

「待て、そんな俺以上に外道な真似は見過ごせん」

 ショットガンの銃口を〈アステリオス〉から()()()()()()()()()()()()

「なるほど、我々の手に堕ちるくらいなら殺すと……合理的で最善手ではありますが、良いのですか? 彼女が見ていますよ?」

 振り向き、美優と目が合う。その痛々しい姿にしたのは他でもない獅子堂玲雄だ。本来ならば助ける義理も生かす理由も価値もない。

「ここまで誰一人殺さなかったのは彼女の為なのでしょう? その努力が全部無駄になりますが、よろしいのですか?」

「くっ……!」

 男は的確に痛いところを突いてくる。

 ――ここで玲雄を殺せば、多くの人間を救うことに繋がるかもしれない。

 代償として、美優は自分のせいで(たとえ悪人だとしても)死人が出たと一生後悔を背負いかねない上に、彼女を含めたアンドロイド/ガイノイドの存在そのものが危ぶまれる。

 ――ここで玲雄を殺さなければ、美優の存在は確かなものとなる。

 代償として更に力を付けた【パラベラム】は世界征服に一歩近付き、多くの人間が傷付き命を落とすことになりかねない。

 どちらを選んでも【パラベラム】は得をする構図だ。

「……どちらを選ぼうが構いませんが、我々にとってやはり貴方の存在は障害でしかありませんね。〈アステリオス〉、その男を殺せ」

 命令を受諾した〈アステリオス〉のカメラアイが光り、戦斧を手に突撃してくる。

「くそッ!」

 〈アステリオス〉の頭部にショットガンを二連射。いずれも命中するも、徹甲弾は鎧兜の表面を浅く突き刺さるだけに留まった。

 運動エネルギーを分散させて停止させる複合材――クロガネの防弾スーツと同様の原理を用いた特殊装甲だ。唯一の違いはその裏に衝撃吸収材が重ねられている点であり、着弾時の衝撃はほぼ皆無だろう。

 戦斧を振り被った腕と柄の角度から太刀筋を読み、大上段からの振り下ろしを紙一重で回避――したのも束の間、即座に刃を返して横薙ぎの第二撃が迫る。咄嗟に屈んでやり過ごすと、大きな影が差した。見上げると〈アステリオス〉の巨体が浮いている。

「ちょッ!?」

 慌ててゴロゴロと転がって影から抜け出した直後、重い音と共に〈アステリオス〉が着地して床が陥没する。あと一瞬遅かったら、あの巨体と質量に踏み潰されて即死だった。

「コイツは洒落にならんな……!」

 全力で振り下ろした大質量武器の慣性を物ともせず途中で軌道変更させた制動力、迅速かつ効果的に次の攻撃へ移行する戦術思考。単純な出力や質量は元より、これまで闘ってきたオートマタや生物兵器(BOW)とは間違いなく一線を画す怪物だ。

 ちらりと横目で確認すると、トレンチコートの男が玲雄を拳銃で脅して離脱しようとしている。どうにかしようにも〈アステリオス〉から目は離せない。ほんの少しでも気を緩めたら瞬殺される。

(……ショットガンの残弾は六発のみ、リボルバーは弾切れでリロードする余裕はない、ハンドガンは満タンだが中身はゴム弾だ。実弾を装填しても豆鉄砲同然だろう)

 互いに睨み合う膠着状態に陥った。〈アステリオス〉も最初の三連撃が躱されて警戒しているのだろう、随分と賢いAIを搭載しているようだ。

(ナイフは通じない。スモークグレネードでは倒せない)

 視線は逸らさず、ショットガンに添えている義手を意識する。

(消去法で有効打を与えられそうなのは『破械の左手』しかない……)

 『破械の左手』。それは掌サイズにまで小型化されたEMP(電磁パルス)発生装置だ。

 元々は雷、大規模な太陽フレアといった自然現象や高高度大気圏外核爆発などによって発生する強力な電磁波であり、敵対国中枢の電子機器類を麻痺させることを目的とした非破壊・非殺傷兵器として21世紀初頭から研究が進められていた。サイボーグ技術が著しく発達した現代においては特に有効的な攻撃手段の一つとして認知されている。

 そしてクロガネの義手にもEMP発生装置が搭載されており、理論上はどれほど強力なオートマタが相手でも、一撃でAIを機能停止にさせることが可能である。

(ただし、致命的な弱点が二つもあるのが厄介だ)

 一つ目、エネルギーのチャージに時間が掛かる。

 パワーソースはクロガネの疑似心臓から賄っており、義手内部のケーブルを経由して掌に仕込んだEMP発生装置にエネルギーを伝達・充填させる。チャージ開始から射出準備完了まで十七秒もの時間を要する上に、指先と掌がEMP射出用に展開するギミックの構造上、チャージ中は拳を握ることも武器を持つことも出来ない。また使用後は排熱と冷却を挟むため、再チャージまで更に時間が掛かるのも大きな欠点だ。実質、一発勝負である。

 二つ目、リーチが極端に短い。

 生身の腕とほぼ同じサイズの義手内部に仕込むほどの大きさとなると、当然EMPの威力もリーチも軍用のものと比べて極端に小さく短くなる。

 最大威力を発揮する射程距離は約二〇センチ以内。オートマタを確実に破壊するとなれば必然的に零距離で直接当てる必要があるのだ。そこまでの接近は当然ながらリスクも大きい。

 今のところ、クロガネの『破械の左手』で破壊できなかったオートマタは存在しない。情報の少なかった〈ドッペルゲンガー〉においては、確実に仕留められるよう一定以上の損傷を与えてからEMPで破壊したが、〈アステリオス〉は完全に未知の敵である。情報皆無な上に現状の装備でどこまで渡り合えるか不明だ。何とかEMPを当てたとしても、破壊に至らなければ返り討ちにされるだろう。

(総合的に見て、明らかにこちらが不利どころか絶望的な状況……だが)

 彼我の戦力差を客観的に考慮した上で覚悟を決める。

 どれほど絶望的な状況でも、生きている内は敗北ではない。

(死が敗北ならば、もう負けられない。二度も死んだんだ、これ以上死ぬものか)

 脳裏に浮かぶのは、必ず守ると誓った筈の今は亡き少女。

 背中に居るのは、機械仕掛けの身体に人間の心を宿した彼女の一人娘。

(思い出せ、守るべき者の前で闘った最強の自分自身を)

 ――迷う必要などなかったのだ。

 折れない覚悟と決意を胸に、一歩前に出る。遅れて〈アステリオス〉も一歩前へ。

 ――黒沢鉄哉は、既に守るべきものを選んでいたのだから。

 両者は同一のタイミングで飛び出した。



 遠くで聞こえる戦闘音を無視して非常階段を上り、トレンチコートの男は玲雄を連れて屋上へ向かっていた。

「な、なぁ、俺をどこに連れて行くんだ?」

「とりあえずヘリポートですかね? その先は貴方にとって天国なのか地獄なのかは知りませんが、まぁ自業自得ということで人間らしい生き方は諦めてください」

 飄々(ひょうひょう)とした男の言葉に玲雄は絶望を禁じ得ない。

「……くそ、どうして俺がこんな目に……」

「……本気で言っているのならどうしようもないですね。貴方によって酷い目に遭わされ、理不尽に大切なものを奪われた多くの人間が同じ台詞を言っていたと思いますが?」

「それは、俺が獅子堂の」

「因果応報」

 ごり、と玲雄の後頭部に銃口を押し付け、必死の弁明を遮る。

「己の罪は巡り巡って己に返ってくる、世の常でしょう?」

 恥も外聞もなく玲雄は泣き出し、怒鳴り散らす。

「ふざけるな! 何でッ!? どうして俺がこんな、アイツだ! あの探偵が俺をコケにしてッ! バカ妹の造ったあの人形に執着する変態がッ! 全部アイツのせいだッ!」

 自分に一切の非がないと盲信し、全ての原因は他者に在ると感情に任せて喚き散らす。

 自己責任能力の欠如、我欲に忠実で他人の苦痛を理解すらせず保身に走る破綻した人間性。もはや獅子堂玲雄は社会に不要な存在だ。

 男は玲雄の背中を足蹴にし、ヘリポートに通じるドアに押し付ける。

「ガッ!?」

「何度でも言ってやるが、他人を踏みつけても支配者の息子である自分にはそんなことは起こらないとでも思っていたのか? それこそ、()()()()()!」

 男はドスを効かせた低い声音で玲雄の癇癪(かんしゃく)を黙らせると、ドアノブを捻った。外開きのドアの内側に押し付けられていた玲雄は投げ出されるような形で前のめりに倒れる。

 顔を上げると、けたたましいローター音と共にヘリコプターが一機、ヘリポートに鎮座していた。

「さっさとあのヘリに」

 轟音。ローター音を引き裂いて飛来した何かが防弾コートを易々と貫通し、男の胸に拳大ほどの風穴を開ける。気付けばヘリの扉が開かれており、機内から五〇口径対物ライフルを構えた小柄な人影が見えた。

 ヘリのメインローターは回転数を上げるどころか耳障りな風切り音が徐々に収まっていき、やがてエンジンが停止した。

「……やれやれ」

 明らかな致命傷を意に介さず、男は冷静に銃口を玲雄へ向けて発砲しようとした瞬間、下方から斜め上に一筋の閃光が走り、引き金に掛けていた人差し指ごと拳銃が両断される。

 いつの間に現れたのか、高周波ブレードを持った黒服の男が目の前に居た。返す刀でトレンチコートの男の首を刎ね、目深に被っていた帽子が宙に舞う。

「ひっ」

 斬り落とされた首が、地面に這い蹲った玲雄の目の前に転がった。

「こ、コイツは、〈ヒトガタ〉?」

 呆然と機械仕掛けの頭部を見つめる玲雄。

 トレンチコートの男の正体は人間ではなく、オートマタ〈ヒトガタ〉だった。直立した首無しの胴体には出血もなく、胸部の風穴には破壊された機械部品が覗き見られ、時折小さな火花を散らしている。

 キン、と涼やかな金属音に我に返って見上げると、納刀した男が冷たい視線を玲雄に向けていた。

「お前は確か、ブラボーゼロ……まさか」

「……聞くところによれば、随分と他人様(ひとさま)に迷惑を掛けたようじゃないか、玲雄よ」

 大型ライフルを背負った褐色肌の少女を連れ添い、壮年の男が玲雄に歩み寄る。

「……もう帰って来たのかよ、()()

 傍若無人な玲雄が力なく呻き、鋼和市の頂点に君臨する真の支配者は厳かに頷いた。

「ああ、ただいま」

 獅子堂光彦――獅子堂重工会長にして獅子堂家当主、そして玲雄の父親である男が鋼和市に帰還した。



 ホテル『バベル』最上階は凄惨な状態となっていた。駆けるクロガネの後を戦斧が追い縋り、その刃の軌道上にあるものは一切合切を両断し、例外なく破壊していく。

「ッ!?」

 戦斧が切り裂いた壁を〈アステリオス〉は空いた手で殴りつけて破片を飛ばしてくる。なまじ馬力が凄まじいため、飛んでくる破片群はまるで散弾のようだ。

 咄嗟に頭を庇いながら身を低くして回避する。

 頭上を通過した大きな破片が壁一面の窓ガラスに直撃し、着霜したかのように白く曇った。高所の風圧や飛来物に対応した強化ガラスだけあって割れない辺り流石は日本製。そして躱し損ねて肩や背中、太腿に小さな破片が直撃しても貫通しないスーツも見事なものだ。だがかなり痛い。

「~~~~ッ、――ッ!」

 必死に歯を食い縛って激痛に耐えつつ追撃の戦斧を回避、振り下ろした直後の僅かな硬直時間を逃さず、ショットガンを発砲。至近距離で放たれた二発の徹甲弾はスリット状のカメラアイの右側(右目)に命中する。

 〈アステリオス〉は振り下ろした戦斧を僅かに持ち上げると、刃を寝かせて足を刈らんとばかりに薙ぎ払う。

 留まれば両足首は切断される、真上に跳んで躱せば――大砲のような拳が迫ってくる!

「ふんッ!」

 クロガネは空中で上体を反らし、両の足裏を突き出された拳に乗せて両膝を曲げる。そして〈アステリオス〉が拳を振り抜いたタイミングに合わせて脚を伸ばし、水平に跳んだ。着地場所がソファーであるのは把握済みだ、勢いよく座り込むような形で着地。

 だが慣性までは殺し切れず背もたれごと後ろに倒れ、床に投げ出された。受け身は取ったので大したダメージはないが、

「……映画のようにはいかないな」

 一言ぼやいて回避行動に移るのと、〈アステリオス〉が戦斧を両手で振り被ってダイブしてくるのが同時。轟音と共に戦斧が叩き付けられる。

 その一瞬の硬直を逃さず、先程と同じ箇所に徹甲弾四発を撃ち込む。

 集中的に狙った甲斐があったようだ、〈アステリオス〉のカメラアイの右半分が破損して視界の半分を喪失させた。

 弾切れになったショットガンを捨て、ホルスターから拳銃を抜いてゴム弾がぎっしり詰まった弾倉を排出――実弾が装填された弾倉をグリップに叩き込んで安全装置を外し、スライドを引いて薬室に初弾を送り込む――重い音を立ててゴム弾入りの弾倉が床に落ちたと同時に、隻眼の〈アステリオス〉が再び戦斧を振り被って突っ込んできた。

 タイミングを計って戦斧の振り下ろしを躱し、クロガネは強烈な左フックを〈アステリオス〉の右頬にぶちかました。

 強固な複合装甲が陥没し、拳の形がくっきりと彫り込まれる。

「ぐッ!」

 圧倒的な質量差と高硬度の装甲を全力で打ち抜いた義手が悲鳴を上げ、衝撃で肩に痛みが走る。

 強烈なカウンターに(たま)らずぐらついた〈アステリオス〉の破損した右目に銃口を突き付け、立て続けに連射する。一瞬で全弾七発をほぼ同一個所に集中砲火したことで、〈アステリオス〉の動きが目に見えて鈍くなった、その隙にリロードを行う。

「……づッ」

 先の戦闘で痛めた右手首の具合が悪化していた。銃口が跳ね上がらないよう反動の強い四五口径を力ずくで抑え付けていたのだから無理もない。

 拳銃のグリップに最後の弾倉を叩き込んだクロガネは左袖を捲り上げ、義手のギミックを展開。疑似心臓からエネルギーが充填される。甲高い高周波音が鳴り、義手の甲にオレンジ色の光が円を描き始めた。

(何とか、右目に当てれば……)

 カウンターを狙おうにも同じ手は二度と通用しないだろう。

 チャージ完了まであと十四秒。

 拳銃の残弾は七発、右手首を痛めた現状では精密射撃は難しい。

 『生存の引き金』はあと一回、使いどころを見誤れば終わりだ。

 時計回りに移動し、常に〈アステリオス〉の右手側――死角に回り込む。無事な左目を向けてクロガネを視認して行動に移るまで僅かなタイムラグがある、そこを突く。

 だが〈アステリオス〉にもクロガネの狙いが読めたらしく、柄の端一杯まで握った戦斧を左右横薙ぎに振るい始める。大質量の長柄武器のリーチを最大限に活かした上に切り返しも速いため、懐に飛び込むことが出来ない。

「デタラメだ……!」

 竜巻の如く振るう戦斧の軌道上にあるものは例外なく両断し、粉砕し、破壊した。飛び散った破片が散弾となり、咄嗟に物陰に潜んでやり過ごすも、

「うッ!」

 小さな破片が額に当たり、鮮血が舞う。額から流れ出た血が目に入り、一時的に視界が封じられた。すぐさま音と勘を頼りに暴風圏からの離脱を試みる。

 気付けばバスルームにまで移動していた。これ以上逃げ場のない完全な袋小路だ。

 壁一面に貼られた鏡に、追い詰められたクロガネの姿が映る。


 ***


 安藤美優は稼働して以来、最大級の恐怖と焦燥感を覚えた。

 窮地に追い込まれたクロガネの姿に、佐藤に撃たれて倒れた姿が重なる。

 今度こそ彼を助けたい、守りたい一心で周囲を見回す。

(せめて、ネットが使えれば……!)

 〈アステリオス〉の電脳にクラッキングを仕掛け、無力化は無理だとしても何かしら制限を掛けられる筈だ。だが玲雄の奸計(かんけい)によって、今自分が居る最上階のネット回線が切断されている。

 ならばと、美優は壁際まで移動して何かを探し始めた。

(きっと、『あれ』があるはず……!)

 やがて美優は受話器が外れて転がっている有線式の内線電話を見つける。

 その電話線を辿ると、ベッドチェスト裏の壁に設置されたコンセント端子に行き着いた。

(あった!)

 コンセント端子とセットで備え付けられている凸型をした四角い差込口を二つ見つける。一つは電話線を介して内線電話と繋がっており、もう一つは規格が違うためか空いていた。

(これなら……!)

 美優は右手の人差し指を立てると、指先がスライド展開して小さなコネクタが飛び出した。それを空いていた差込口――LAN端子に差し込む。

 美優の義眼が、力強い緑色の光を帯びる。

(行ける! 無線(ワイヤレス)が駄目なら、有線(ダイレクト)で接続すればいい!)

 一瞬にも満たない光の速さで、美優の意識は鮮やかなコバルトブルーに彩られた電子の海を駆け抜けた。

《接続完了。サーバーコードJCM007A。情報保安権限に基づき、当該システムにおける干渉支配権を要請》

 世界に七基しか存在しない高性能自律管理型AI〈サイバーマーメイド〉。

 その最新型である〈日乃本ナナ〉に、アクセスコードを入力する。

《要請受理を確認》

 美優の情報体は複数に分裂し、電脳世界を流星のように駆け抜け、全てを光で満たす。

《ホテル『バベル』のネットワーク管理システムの全権限を安藤美優に譲渡――完了》

《最上階のネット接続設定をオフラインからオンラインへ》

《ホテル『バベル』のコントロールセンターに接続――侵入開始》

《セキュリティAIが防壁を展開――AI中枢に侵入――データ改竄(かいざん)――掌握完了》

《警告解除――防壁は通常通り展開中〝全て問題なし(オールグリーン)〟》

《全監視カメラと同期開始――完了》

 リアルタイム映像では、ほぼホテル内全フロアのセキュリティは昏倒しており、〈ヒトガタ〉や〈サイクロプス〉は無残に破壊されているのを確認。

 外周の監視カメラの映像では、このホテルを警察が十重二重と包囲していた。その向こうでマスコミと野次馬が遠巻きに様子を窺っている。

 現実世界では一秒にも満たない時間で準備運動終了。

 美優は改めてクロガネと〈アステリオス〉を視界に収めた。

《各対象名を〈クロガネ〉、〈アステリオス〉と設定。〈アステリオス〉のネット回線を検索》

[ERROR]

《攻性防壁の展開を確認――セキュリティレベル甲――ダミーコード散布――逆探知を回避――成功――演算開始――防壁突破の所要推定時間186秒/現実世界換算――アクセスコードを変更――キーワード追加――再検索》

[ERROR]

《攻性防壁の展開を再確認――ダミーコード再散布――検索レベルを甲から乙へ下方修正――再演算開始――再々検索》

[SUCCESS]

 強力な電子戦対策が〈アステリオス〉に施されていたため、美優のハッキング能力を以てしても今すぐ機能停止は出来ない。だが、視界に侵入・同期することは出来た。

 同期した〈アステリオス〉の視界に、ふらつく足取りでバスルームへ逃げ込むクロガネの姿が映る。まずい、絶体絶命だ。

《クロガネさん、聞こえますか?》

 クロガネの多機能眼鏡と同期し、フレームに内蔵された骨伝導式無線機に『声』を送る。疑似声帯が損傷したとしても、ネット回線を介さえすればクリアな声を伝えることが可能だ。今の気分はボーカロイドやボイスロイドに近い。

『美優か? 二秒で良い、ハッキングで奴を止められないか?』

 少し驚いた声音で応答したのも束の間、瞬時に状況を理解したクロガネは最小限かつ的確な指示を出してくる。

《すぐには無理です、三分ください!》

『長すぎる! 三分も持たん!』

 ゆっくりとした足取りで、〈アステリオス〉がバスルームへ向かう。

《対象がそっちへ向かっています!》

『くそ……ッ』

 万事休すな悪態に、美優も焦る。すぐにでも〈アステリオス〉を停止する方法を検索するも、まずは防壁を突破しなければならない。それには三分という厚く高すぎる壁が立ちはだかる。

『……俺と奴との距離は把握できるか?』

 ふと冷静になったクロガネの問いに、美優のAIが解答を弾き出す。

 リアルタイムでクロガネの眼鏡に搭載されているカメラと同期。

 クロガネと〈アステリオス〉の視界を共有した美優は、ネット回線を介する際のタイムラグも計算に入れて瞬時に両者の距離を算出する。

《クロガネさんから見て一時の方向、八メートル……七……六……》


 ***


 ――ここから先は三者三様の視点で起きた出来事であり、リアルタイムで同時に全ての視点から美優が目撃したものだ。


 クロガネの視点では、バスルームの出入り口に向かって缶状の何かが転がっていく。


 美優自身の視点では、バスルームから大量の煙が噴き出す。


 そして〈アステリオス〉の視点では、クロガネの脳天に凶刃を叩き付けた。


 ***


 バスルームの壁を破壊して、〈アステリオス〉が踏み込んでくる。直後、足元に転がったスモークグレネードが噴き出した煙に視界を奪われ、思わず動きが止まる。

 ――銃声。煙幕の向こうから飛来した銃弾が胸部装甲に当たる。銃声の位置と弾道の角度から標的の位置を割り出し、戦斧を振り上げる。その風圧で煙が吹き飛ばされ、晴れた視界の先にクロガネの姿を視認、その脳天に戦斧を叩き付けた。

 クロガネは――()()姿()()()()()()は、音を立てて粉々に砕け散った。

『――!?』

 半壊した視覚センサーが煙幕と銃撃の発射位置に惑わされて虚像を掴まされたと気付くより早く、すでに懐に潜り込んでいたクロガネの義手――『破械の左手』が〈アステリオス〉の右目を覆った。チャージングリングは真円を完成させ、オレンジ色から緑色になっていた。

「死ね」

 冷徹な死刑宣告と共にEMPが炸裂し、〈アステリオス〉は一瞬ビクリと全身を震わせると、戦斧を鏡に叩き付けた状態のまま動かなくなった。

 クロガネは油断なく残心をして怪物から離れると、義手の排熱機構が展開して勢いよく蒸気を噴き出した。

重厚な新型オートマタ、〈アステリオス〉。

〈ドッペルゲンガー〉以上にパワフルなボスキャラとして登場しましたが、両者ともに奥の手である『破械の左手』=電磁パルスで破壊されました。とはいえ、リーチが短いという致命的な弱点ゆえに、確実に当てるために工夫を凝らしています。

〈ドッペルゲンガー〉戦では事前に準備していた罠と佐藤を利用し、〈アステリオス〉戦では煙幕と鏡、そして美優のサポートがあってこそ掴んだ勝利です。

前者はともかく、後者はクロガネ単体では倒せない強敵として描きました。

『体調不良』、『武器弾薬の枯渇』、『逃げ場のない袋小路』という三点セットが揃っては絶望しかありません。

残された手札からの逆転劇と、何より美優の活躍は書いていて楽しかったです。

個人的に理想のヒロインの条件とは、ただ助けを待つか弱い存在ではなく、主人公の(物理的か精神的かは別として)ピンチを救う強い一面を備えていることだと思います。

今まで守られていた存在が主人公と肩を並べて闘う場面は、美優の成長が一際強く感じるものになったのではないでしょうか。

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